最近の若者はいつの時代も失礼なのか

ここ2~3年くらいで、ラボに入ってくる学生(大学4年生)の質が一気に変わってきた感覚がある。
「最近なんだか失礼な学生が多いなあ」と思っていた。先輩である私へはまだいいとして、ボスの教授や研究員さんへの態度で冷や冷やする場面が大変多い。
目上の人への態度とか縦社会での振舞いなんていうのは、私の世代では高校までの部活で教え込まれることが多いので、この子たちは中学や高校で部活をやっていなかったのかなと思い、「部活やってた?」と聞けば、ゴリゴリの運動部出身だったりする。
「おいおいこの子たち大丈夫なのか?」と思っていたが、ここ2~3年は毎年入ってくる学生が皆総じてこのようなので、だんだん私の考えが改まった。
彼らが失礼なのでは無くて、私たちが老いて古臭い価値観なだけで、彼らの方が今の時代のスタンダードな考え方なのではないかと。
彼らの話をよくよく聞いてみると、別に目上の人を敬っていないわけでもないし、軽んじているわけでもない。彼らなりの合理性があった。

たとえば、当ラボでは毎週決まった曜日に掃除をする。実験室、学生の居室、先生の居室の床を掃除してゴミを捨てる当番がある。
明文化はされていないが暗黙の了解として、学生の居室より先に先生の居室を優先して掃除することや、面倒な掃除機がけは下っ端の4年生が行うことなどがあった。
これに関して、最近の学生たちが言うのは「実験室と学生の居室を掃除するのは、自分たちが使っているところなのだから納得できるけれど、先生の居室を掃除する意味が分からないです。先生が自分で掃除機をかけるべきじゃないですか?」「何で面倒な作業を下っ端がやるのかが分からないっす。先着順とか手が空いてる人からやればいいじゃないですか」

こう言われてしまえば、「た、たしかに…」と思ってしまい、特に反論もなかった。とりあえず「先生には指導していただいてお世話になっているんだから、色んな学生の面倒見て忙しい先生の部屋くらいは私たちで掃除して差し上げましょうね」などと言っておいた。


この学生たちと話していて印象的だったのが「その行為に意味はあるのか?」という理由を求めることだ。
「人を指さしたら失礼だからやめろって言うじゃないですか。あれって何で失礼なんですか?」
「指さされたらなんか嫌な気がするでしょ?されて嫌なことはしないようにってことでしょう」
「僕別に指さされても嫌じゃないっす」
「…そうなんだ」
「じゃあ指してもいいですか?」
「……うーん…だめなんだけど…」

こんな風に、意味を聞かれると答えられないことがしばしばある。屁理屈をこねる小学生に苦戦するお母さんの気持ちってこんな感じなのだろうか。とにかく失礼だから失礼なんだよ!と言っても納得してもらえないし、私もそんなぼんやりした答えを言いたくはない。
その後、何故指をさすことが失礼なのかネットで調べてみたが、「指をさす行為は、指揮者が演奏者に指で指示するように、上の立場の者から下の立場の者への強い指示の表現だから、目上の人に指をさすのは失礼」などと出てきた。う~ん、なるほど?


逆に、意味を聞かれて答えると納得してくれる場合もある。

「女性に年齢聞いたら失礼って言うじゃないですか。あれってなんで失礼なんですか?僕以前女性教師に年齢を聞いてめっちゃ怒られたことがあるんですが腑に落ちなくて」
「この社会では男性と違って女性は容姿や年齢でその価値が判断されることが非常に多いのよ。まぁ子供を産むリミットもあるからかな。それで、年齢を聞かれるのは、価値を見定められているようでいい気がしないのよ。35歳って答えて「うわーおばさんじゃん」とか、18歳って答えて「若い!最高!」って君たち男性の尺度で価値を測られているようなものなのね。男子で言うと、会話し始めてすぐ「で、年収はいくら?!」って聞かれたら失礼だと思うでしょ」
「なるほど~。わかりました。もう聞きません」

と、こんな感じだ。

このように、彼らは別にボスを軽んじているわけではないし、失礼なことを言いたい訳ではない。合理的に説明できる理由が欲しいだけなのだ。私たちの昔ながらの凝り固まった考えでは、頭ごなしに「失礼だな!」と思ってしまうが、その行為をひも解くと特に失礼ではないように思う。
部活の話に戻ると、最近の運動部は縦の関係とか精神論ではなく、効率的な運動法や実力や頑張りが重視される風潮にあるそうで、とてもいいことだ。

ただし、「日本で麺を啜るのは普通だけど、欧米では啜るのはマナー違反というように、地域や時代やらによってそれぞれ異なるマナーや礼儀があるから、理由が分からなくてもとりあえず今自分が所属している社会のマナーに従って生きるのが得策だよ」とは言っておいた。


平安時代の日本にはまた別のマナーがあっただろうし、同じ時代でもインドと日本では全くマナーが違う。インドでは左手が不浄の手だっけ。
最近の日本では、「とにかく目上の人は敬え」という儒教的な考えがだんだん無くなってきているのかもしれない。何も考えずに言われた通りに振舞うより、自分の行動に合理的な意味を持たせようとする風潮は良いことだな、と私は好意的に見ている。この考え方がスタンダードになれば、彼らの振舞いは失礼には当たらなくなるはずだ。そんな時代はそう遠くない未来だろう。


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