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あふれる涙は感情の指標

今まで縁の遠い出来事だったことが、ここ数年Twitterのトレンド知ることが増えた。

そのひとつがZARDの坂井泉水さんの命日が昨日だったことTwitterのトレンドで知った。3年前に亡くなった兄のiPhoneの壁紙が坂井泉水で、生前に兄の趣味で知っていたのなんて数少なくて壁紙にするぐらい好きだったなんて私は知る由もなかった。

亡くなってから兄の部屋の片付けをしているときにZARDのCD,DVD付きマガジンが置いてあった。ディアゴスティーニのように毎月1冊発売される本で調べてみたら全部で52号まで続いているようだ。全部買う気だったのかしら。しかし中を見たところ、明らかにCDとDVDを開けている形跡がない。いわゆる積読。

「最新デジタルリマスタリング音源収録」の文字に惹かれて開けてみたいと思いつつ、3年が経とうとしている今もまだ開けられない。iPhoneのアプリも未だに起動できないものが多くある。開けてしまったら兄が最後に起動した日から私が開いてしまった時点でおそらくそこでゲームオーバー。すでに長い月日が経過しているからきっともうすでに終わっているゲームもいくつかあるだろうけど、私が開いて終わりをみなければ時間は止まったままそこにあり続ける。

以前私もインストールしていたマリモのアプリが兄のiPhoneにも入っていることを怪我をした当初に知る機会があったとき、知らぬ間に繋がれていたことがなんだか嬉しかった。あのアプリだけ数少ない開いたアプリの一つだったんだけれど、兄が亡くなってからしばらくして開いてみたらすでに枯れてしまっていた。多分あれが嫌な思い出として残っているのか、あれ以来他のゲームアプリは開くことはなくなった。アップデートも、OSのアップデートはしたけれど、アプリのアップデートはほとんどしていない。

TwitterでZARDの事を見なければ、もしかしたら兄のことをこんな風に思い出すことはなかったのかもと思った。でも、それがきっかけで久しぶりに兄のiPhoneの画像フォルダやインストールされているアプリを眺めたりしていたら何も考えていないのに涙が溢れてきた。

兄のことで泣いたのは久しぶりな気がする。私にとって涙は感情の指標だ。何も考えずに涙があふれるときは言葉にならない思いがまだまだ多いことを意味してる。この涙とはこれから先何十年も付き合っていかなければならなず、悲しみが辛いから遠ざけて忘れてしまえるほど軽くないことを知っている。もしこの悲しみでそれができていたとしたら、いつかどこかでダメになってしまう。忘れることなんてきっとないから。記憶とはいっとき忘れている時があったとしても埋もれているだけで体の中にそれはある。あまりにも強い衝動で涙が出るときだけは無理やり蓋をしようと、体を動かしたら別のことを無理やりにすることがあるけれど、あとできちんと整理をしてあのときの衝動はなんだったのか考える。そんなこともきっとこれから何年もやっていくのだろう。父が亡くなった16歳のときから何十年もの間、この悲しみは一体いつまで続くのだろうか。無くならないことをわかっていながらそんなことを思い続けた。けど兄がなくなったときにようやく理解した。無くならない。絶対に無くならないと理解したら、いつまでこの悲しみは続くのだろうかと考え続けた気持ちが消え去り、その代わりにこれからも続く悲しみと生きていく覚悟が芽生えた。その方が楽だった。

それからというもの、悲しみのたびに流す涙のことを知りたくなった。涙を流すにもいろいろ種類がある。目の奥に強い痛みを感じるほどに一気に出てくる涙、じわっと溢れる涙、時間がかかりながらすっと頬を伝う涙、何も考えていないとき、何かを考えているとき、何かを見た見たとき、何かを聞いたとき、涙を流すときのシチュエーションは様々で、決して悲しいときだけでなく、喜びに満ち溢れているときも同様だ。そう思い色々本を読んでいるんだけれどどれも難しい。涙の理由は、二人の見解という形で面白くはあったけど知りたいのはそういうことじゃない。人間の体が何をどのようにして反応しているのか。「涙 人は何故泣くのか」の中で、涙にはいつくか種類があってエモーショナルティアーズ(だったけか)感情的涙の話が興味深かったんだけど人に説明できるほど理解が進んでいないのが残念だ。

人はなぜ泣き、なぜ泣き止むのか?は写真がマンレイだったのものあって買ってみたもののまだ読んでいない。

まだ涙のことを全く理解しきれていないけれど、感情が今どの位置にいるのか涙の感覚で把握するようになり、何度考えても涙が出なくなったときには、この物事はやっと整理されたんだなという理解に至っている。


最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。