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日常に戻してくれたタイムライン

今日は兄の誕生日。生きているときに思い出すことなんてほとんどなかったのいなくなってから思いに耽ってたりするのなんてほんと身勝手だなと常々思う。

今年特にいろいろ思い出してしまうのは数日前にフジロックに急遽出演が決まったクラムボンのタイムラインを聴いたからだ。

タイムラインはモメント e.p. 2というアルバムに収録されていて、兄が亡くなった数日後に発売されたのだけれどすぐには買えなくて、発売から1ヶ月後ぐらいにライブ会場へCDだけ買いに行った。

兄の部屋を引き渡しに行った日、電車のホームで聴いたタイムラインが胸に響いた。

いつどこでなにが起きるか わからない世界の果て
パラレルに日々はつづく つづけるをつづけてゆく
広がるこの空の下 わたしもここにいるんだって思った

クラムボン タイムライン 歌詞

どうにかして日常を取り戻さなければ、どうやったら取り戻せるのかそればかり考えていた私にタイムラインはさまざまな日常を見せてくれた。わたしもここにいるんだって思ったと聴いたときに、自分がここにいることを思い出させてくれた。ほんと、いつどこで何が起こるかわかったもんじゃないなんて、ツッコミまで入れられるようになって、少し元気出たのを覚えている。

聴く度に様々なことを思い出して涙が出てくるのだけれど、好きだから度々聴いてしまう。特に今回は兄の誕生日近くで聴いちゃったもんだから、当時の日記まで持ち出してしまった。久しぶりに辛い涙が出る。読まなきゃいいのにどうしてこうなるのがわかっているのに読んでしまうのだろうかと同時にすぐに答えもわかる。辛さを伴ってまでも思い出したい。忘れたくない。でも、結局は全部読めなくて途中で止める。5年も経ったのになのかまだ5年なのか。その答えも知ってる。何年何十年経ったって、何かのきっかけで辛い涙を流すときはやってくる。終わりはない。

父が亡くなったときはいつかこの辛さの終わりを願っていたけれど、兄が亡くなったときにこの終わりはやってこない覚悟が何故かできたら、なんだかとても楽になった。辛いけど楽になったという、矛盾しているようでうまく共存している。

5年前の今日、兄の誕生日に兄のお金でMac Book Proを買った。亡くなってからお金が入ってくる度に、兄がお金になったようで悲しかった。でも悲しんでばかりもいられないから好きな物を買いたいと母に相談したら了承してくれた。そのときの写真でもnoteのカバー写真に使おうと探していたら1枚も写真を撮っていなかった。日記にもMacの写真を1枚も撮っていないなんでだろうって書いてあった。全然覚えていなかった。買ったものの虚しくなったのかもしれない。物じゃどうしょうもならないなんてわかりきっているのに。

今も使ってるそのMac、数日前に「バッテリー 修理サービス推奨」の文字が出てきた。マジか。交換とは書いていないから使えるようだけど、なんか嫌な感じ。次買うときも兄の誕生日に買いたいからあと1年は頑張ってくれと思いつつ、今年から仕事でも使ってもいるからもう1台あると壊れたときに安心かもしれないと思わなくもない。

次に買うならまた何かの記念日が良い。だとすると次は9月だ。9月16日安室さんのデビュー日&引退日か、9月20日の安室さんの誕生日。ってさっきまで辛かったのがどっかに消えていった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。