小説を鏡として、自分を見る

村上春樹氏の「1Q84」を読み返している。文庫版なので全6冊。日々の進むペースはまちまちであるが、お盆休みとも重なりそうなので、何とか読めるか?少し読まな時間があると、途中のままラストまでたどり着かない。

久しぶり(半年以上か?)に小説を読んでいるが、私は小説を読むのが好きなんだ、ということを改めて思った。そして村上春樹文学の世界感、流れる空気感が好き。小説の世界にいる間、現実世界からは離脱している。

小説世界と現実世界に違いはあるのだろうか?どちらの世界も私の脳が生み出している世界。情報で構築される世界と、五感で捉えられる物質世界の違いはあるが、どちらも、私が世界を認識し、創っている。

食事を作り、食べる。散歩をする。読書をする。洗濯をし、掃除をする。お酒を飲む。仕事をする。

村上春樹氏の人間生活の描写が好き。登場人物によって、生活スタイルは異なるものの、生活をする上での軸、心構えは共通しているように思える。

「自分の生活は自分でコントロールする」

「1Q84」の中の登場人物の生活に同調すると、僕の生活は僕自身でコントロールできているのか?、と思う。制御しているのではなく、漫然と、流れのままに生きている。勿論、これはこれで悪くはない。ただ、今の生活に僕は満足できていない。
いつから満足できなくなってしまったのか?
ある時から、徐々に、徐々に、生活が変化していった。微調整で軌道修正ができるなら楽であるが、そもそも軌道修正の方向がわからない。僕自身はどこに向かいたいのか?
こんなことを思っても時間は止まってくれない。僕の生活の時間は止まっているが、社会の時間は止まらない。時間は進み、社会的に僕の年齢は上がっていく。数々の〆切は否応なく、近づいてくる。〆切が過ぎる。そしてまた新しい〆切が設定される。その〆切を乗り越えるために頑張る。このサイクルが繰り返される。ハムスターの回し車のように。

僕は〆切がない(少ない)生活を好むのだろうか?変化のない(少ない)繰り返しの日常を。

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