その人の素晴らしさを認識している「私」が素晴らしい
ご無沙汰しています!
理由は色々あって、ざっくりいうと、
評価を気にして自分がやりたいことではないこととかを一生懸命やっていたら、人生がつまんなくなっていた!
んです。由々しき事態…
年末くらいから他のSNSで楽しんでいたのはいいんですが、ちょっとずつ周りと比べ始めていたんですね。
景色がいいところへ行っても、「アップするために写真撮らなきゃ!」みたいな。そういう状態…肝心の景色は心に残ったかな?私よ。
気づいたらそうなっていて、そしてSNS見るのが辛いけど気になっちゃう…みたいな。多分コレ、SNSあるあるだと、私は思っています。
同じようなスタートを切った仲間の活躍が遠く眩しく見えたり、それに比べて自分は…と思ってみたり。
そうこうしてるうちに、何かウケることをしなければ…と評価されそうなことを探す目線になってました。あぶない。
★何をしたらウケるかな→これはDOの考え方
★どんな在り方で居たいかな→これはBEの考え方
大切なのはBEのほう。何度も自分でも実感してるし、師匠からもそう教わっている。
しかしねーーー。たまに襲ってくるこの比較の恐ろしさ…
私は誰かと比べちゃったときの応急処置として
その人の素晴らしさを認識している「私」が素晴らしい
と思うことにしてます。もし、SNSに悩む中学生とか居たらそう言いたいと密かにおもっています。
話はちょっと飛ぶんですが。(ちゃんと戻るよ)
尾崎世界観って方のことを、今日初めて知ったんですね。音楽もしてらっしゃって、小説も書く方みたいで。たまたまその方が、表現と評価について語っている記事を読んだんです。内容は、ふむふむそうだよねー。という感じで興味深く拝読したんですが、何しろ、名前にびっくりしたんですよ。「尾崎世界観」って。名前に「世界観」という人がいて評価されてるなら、もう名前って自由!みたいな急に勇気が沸いてきました。尾崎世界観さんありがとうございます。本そのうち読みます!(たぶん…)あと、肝心な、評価と表現に関して、評価されそうなことという基準で表現しないみたいなことも仰ってました。ちょっと記憶あいまいなのでニュアンスで書いてます。成功してる方がそう言うんだから、きっとそうなんだな!と思って、書きかけのウケたいと思って書いた下書きを一旦横に置いて、今の自分100%で書けることでnoteに向かっている今が楽しい…
目下のお悩みが何も解決されたわけではないけれど、自分が100%投入できることをやっぱりしたい!
って思った今日でした!
あーひさびさnoteに向かうのやっぱたのしいな!
私も「書くときは、評価は一旦置いて、自分100%で向かう」のを改めて大切にしよーとおもいます!
今日はアーユルヴェーダの話も無くてすみません…
とはいえ、いつも100%って、アーユルヴェーダ的考えだとほんとにおもいます。
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