28年間生きてみて

人生を振り返ってみると、周りと同じように振る舞えない、場の空気を読んでおしゃべりができない、雑談ができない、数少ない慣れた友人とだけ話すなど今思えばASDのどの型にはまるのかはわかりませんが、結構特徴はあったと思います。

ただ学生の時はうまいこと自分が矢面に立たず、周りが結果的にどうにかしてたため、そこまで問題が表面化することはありませんでした。

だんだん表面化したのは大学時代

大学4年間ではアメリカンフットボール部に所属してました。
運動神経だけでなんとか体面をたもったというか、あまり詰められずにすんだという形でしょうか。でも、幹部やリーダーをしたりチーム内でなにか役割をもって信用を得られていたかと言えばそうではなかった。
アメフト部は小さな会社だなと今考えると思います。
上級生になれば会社でいうライン長のようなことをする人もでます。
私はこういうのも結局できる周りがやって、ただいるだけの人になっていた。

発信しない、人と話さない、ただいるだけ。当然毎日やめたくてしょうがなかった。結局時間が解決する形で4年間やめることなく所属はしていました。
でも同期の中ではよくわからん存在感だったし、プレーだけなんとかできていたいう形でした。

社会人
社会人は体をつかってどうのっていうのは基本ないですよね。
アメフト部時代の運動神経もない状態として強みがなく社会人生活をスタートしました。1年目は商品倉庫の受注、発注、支払い処理などを担当していました。
自分以外が年配者でここでもあまり当時者意識をもてずたんたんと仕事をしていました。2年目で移動になりその2ヶ月で鬱になりました。
うまく周りとはなせてないことや、未引き継ぎのまま業務を担当し問題が山積みになって参ってしまいました。※このときは正直予想できない別の休職者もでた影響があり、自分だけが原因ではなかった。

ただ鬱の地獄を人生で初めて知ることになりました。
ここは気が向いたら触れます。

3年目初めに復職してこのときは完全な躁状態でした。
ただ躁があることも知らず、なんでもできると本当に思っていました。
1年ちょっとでまた限界を迎えて休むことになりました。

今度は約1年間休職し部署をかえて復職しました。
そして現在にいたります。

復職して丸2年がたちました。
この2年間も大学の部活時代のように周りが結果的に仕事を淡々とこなして
自分は1人で振られた仕事だけしていました。

新人が入ってきてその指導は別の優秀な後輩の方に振られました。
あんまり気にしなければいいのかもしれませんが、バリバリ周りとコミュニケーションをとって新人指導もしてる一方ほとんどだまって自分の仕事だけしている自分の自尊心が削られてるような気持ちになったり、不必要なことを考えてまた久しぶりに鬱手前まできているといったところです。
実質その後輩の方がライン長の次くらいの立ち位置で
自分が管理される側の勢いでしょうか。 言い訳ばっかり。

ASDがなかったらもっと周りと上手くやりとりして、
苦しい思いしなくて済むのかなとか思います。
これからもっと立ち位置がしんどくなると思います。

でもまた休んだらまた同じ地獄が待っている。
首にならず給料もらえてるだけでもありがたいことを再認識して
なんとか日々をぬるぬるいきていきたいものです。


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