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縁起り


幼馴染との再会

前にも発信したとおり
長年勤めた会社を辞めた。

当時は被害者意識満載の
理由は「パワハラ」と題して奮起していたけど
今となれば
あの退職劇も必要不可欠な出来事だったと思える。

そのおかげで
日々の生活の中で
当り前のように存在していた人たちが
一気に視界から消え
それがいつしか当たり前のようになるのは分かってはいるけど
なかなか傷は癒えない。

退職劇は家族にとっても
ワタシのその決断は
余程のことだっただろうと察したのか
やたらと優しい(笑)
申し訳ないくらい優しい(笑)
だから
人生の休暇というご褒美という感覚の待遇。

そこでそのご褒美期間は好きなように過ごしていた。

まだ
当り前のように存在していた日常が
身体から抜け切れず
その感覚がツラくて
今まで仕事で時間を見つけず
連絡すら怠っていた友人に連絡したりして
ぎこちない時間から逃亡していた。

久しぶりに会った友人。
幼馴染とも言えるくらいの付き合い。
離れていてもいつでも変わらない。
・・・はずの友人との再会。

それなりに久々の時間の中で
退職劇の傷を忘れるくらいに過ごした感覚で
これから先、どうして生きて行こうかというワタシに
幼馴染は自分の仕事を手伝って欲しいと言う。
あなただったら一緒に出来る!
この時を待ってた!!⇒そんなドストライクを言うか?!

ん?
気心知れた幼馴染と仕事が出来る?
こんなうまい話、あっていいものなのか?

でもワタシが仕事を辞めたことで
すっかりその気になってる幼馴染を見てると
便乗してしまってる自分がそこにはいた。

幼馴染の世界観に

幼馴染と言っても
そんなに頻繁に会えていたわけでもない。
ただ
昔からの友人という括りに過ぎないのかも知れない。

とはいえども
仕事をこれから探すワタシにとって
幼馴染の今の姿は
理想に近いものでもあった。

エステティシャンからの施術中心の事業を
10年以上やっていて
それなりにマインドも整えてきたらしく
スピリチュアル的なこともマスターしていまして・・・
それがまた知らない世界だけに
好奇心旺盛なワタシにとっては興味津々で
ハマるのは時間の問題。

その様子をしっかりキャッチして
その世界観をグイグイとワタシの中に叩き込む。
スパルタ的に。

その流れから
もう自分のためだけに生きましょうという
傷ついた戦士状態のワタシにはとっても誘惑される
その世界観に引き込まれて行くのは早くて(笑)
気づいたら彼女の言いなりになっている自分。

だけど大きくなる違和感。
一緒に仕事を・・・と言っていたのに
方向性が見えなくなっていくのをガン見する暇もなく
ペースを乱されっぱなしの日々。

そこには沢山の要素が絡み合い
自分のためだけに生きましょうという誘惑が
幼馴染に利用されるために生きましょうというものに
すり替えられたような気分になってしまってるのを
何故かチラチラしたまま
どうすることも出来ずにいた。
ここ最近まで。

いろんなものが存在するのは否定しない。けど。

彼女は「気功」で人のエネルギーを動かすことが
自分の使命だと自負していた。
その使命を全うするために
ワタシが精神をマスターすることによって
一緒に人を幸せに導けると理想を描いていた。

もちろん
そのコンセプトは共感出来たし
それが出来たら素敵だなって。
幼馴染の二人が行ってますって何だかとっても
良い感じでしょ?
(そもそもそれもどうかと。)

その気功たるもので
ワタシをしっかり整えようと試みる中で
毎回
「いつもいつも邪気がすごいよね。」
と施術の後に彼女自身が
具合が悪くなるということも定番。
スピの仕組みやら思考の仕組みやら
あまり分からないワタシに対して
「私との会話って超有料級だからね。」
・・・ん?何それ。

気功の施術にはしっかり諭吉を支払っていたとはいえ
施術の後は具合悪いって
何だかこっちが申し訳なくなる状態だし
会話してたら有料級だからね・・・だし。
挙句の果てには
あまりにも自分がレクチャーしていることを
理解しないワタシに対して
「毎日、何かしら変化を感じて報告して欲しい」と
寄り添っているようで強制なトホホな要求。
報告すればすぐに電話が鳴り
「もしかして言ってること分からない?」
「理解する能力がないのね・・・」
・・・ダメ出し(◎_◎;)
その繰り返し。

気功で邪気払い⇒諭吉さんサヨナラ⇒有料級会話
⇒有料級会話の復習⇒レポート⇒ダメ出し修正

その繰り返しを3ヶ月ほど。
そんなことをしばらく続けていたら

「病んだ」(爆)

でも、みんなそれは
ワタシのためだと言う彼女をどこまで信じていいのか
彷徨うばかり。
でも幼馴染。
自分のことは他の誰よりも知ってる感満載。
(でも、学生時代とほんの少しのママ時代だけ)
友人は疎かにしてはいけないという
何故かそんな感覚に縛られていた気がする。

だから違和感をどうしても正視出来なかった。
弱い部分。
「それって逃げてるってことだよね。」
いつもその言葉に脅されていた。
逃げるのはズルい人。ダメな人。

客観的な視点

その違和感で壊れていく様子を見逃さない目が
ワタシを守ってくれていた。

まずは
その幼馴染からあまりにも理解が浅いから
他でも学んでちょうだいと強制して入会した
「インナーチャイルド養成講座」の仲間たち。
この講座もきっかけは幼馴染の会話から
レクチャーされてはいたものの
理解が出来ないとダメ出しされてたので
大金叩いてでも学習したほうがいいとゴリ押しされたもの。
(言いなりになってるのにも気づかず)
でも
そこでこの状況は「おかしい」ということの客観的な視点を
もらえることになる。
「どうして従わなければならないの?」と。
友達が、ましてや幼馴染が
「邪気がすごいなんて言わないよ。」と。

そしてもうひとり。
「娘」だ。
ワタシの報告に苦言を毎日のように電話をかけてくる
その依存さに不気味さを感じたらしい。
そして電話での母親のワタシの様子が
あまりにも恐怖に襲われてることに違和感があったらしく
「おかしくね?」と。

それでもその時は何も見えなかった。
ワタシのために幼馴染は時間を割いて向き合ってくれてる
そう信じていた。
信じていたかっただけかも知れない。きっと。

でも
どうしても電話が怖いとか
分かりたくても分かりたくないみたいな矛盾が
ワタシのなかに存在していることが
この客観的な視点からガン見することになる。

逃げる。でもそれは本心。

実は幼馴染の言うがままに勧められ
インナーチャイルド講座の他にも
思考を学びながら過ごしていくうちに
ワタシも様々なことに気付いていく。

でも
ある日突然降りてきた。

ワタシは望んでいない。
もう彼女とは未来が見えない。
だからもう離れよう。

それは勇気ある決断でもあった。
40年以上も友達、幼馴染というカタチを守ってきたけど
それを斬るわけだ。
それでもそれが必要となった自分がここにいることを
しっかり見る。
そしてそれに従う。

いつもいつも
「もう逃げたいんでしょ?ふふ・・・」って
言われていたけど
「もう逃げます。ハイ。」
逃げるのはズルいし、ひどいかも知れないけど
それはきっと
ワタシがそうしたいと思ったから
悪者になってもそれに従うことが
一番だと思ったまで。

共通の友人ももしかしたらもう失うかもという
そんなことも頭をよぎったけど
それってそんなに重要?
とすら思えてきた。

何かステージが上がった感覚。

だからワタシの視界から消えていくのかもと
勝手な解釈なのかも知れないけど
ここでワタシは幼馴染と縁起りをすることにした。

そのおかげに
今がある。
だからある意味
感謝してる。

縁起りって最初は憎しみから生まれる行為だけれど
実はそうではない。
成長のためのひとつの儀式に過ぎない。

そんなことを思う。

いろいろと嫌な思いはしたけどね。
でもこれも自分で作り上げたシナリオなんだな。
納得。





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