無邪気さを見て思う。
無邪気を目の当たりにして
ここのところ週末は趣味の競馬が忙しい(笑)
とは言っても
お金を作りたくて行っているわけではない。あくまでも(笑)
あの空間に
いろんな人たちが一気に集まって
それぞれに楽しんでいる姿の中に
自分の身を寄せたい欲求なのかもと
いつも思っている。
年齢問わず沢山の人が競馬場には溢れている。
休日にお安く子供たちを遊べる場所があるのも
ひとつの要因。
子連れのパパ、ママ、ジジ、ババまでもが
当り前のように存在している光景。
入場料さえ払えば後は時間制限なく
レースが終わるまでは十分に時間が潰せる。
そういえば過去に
競馬好きなワタシの父の
競馬場に行きたいという欲求のネタとして
息子たちを利用して(笑)
競馬場へ何度も足を運んだらしい。
(ちなみに息子たちはおばあちゃんの家に遊びに行っている設定)
そんな空間があるなんて
競馬を恨んでいたワタシにとっては
耳も貸さずにいたけれど
息子たちは母も知らない世界で
無邪気に遊んだ記憶があるわけで・・・
今となれば
連れて行ったのは自分ではなかったけど
いい経験として残っているのであれば
それは父に感謝するべくことだと思っている。
実際に競馬場にいる子供たちを見て
とっても楽しそうにしている子たちばかり。
JRAの心意気というか戦略というか。
ワタシの息子の時代から当たり前のように
キッズ広場たるものが存在しているといった事実は
ある意味あっぱれ。
子供も大人も無邪気を噴出させてる。
子供は遊具と広場で思いっきりはしゃいで
大人は競馬で一喜一憂して・・・
開放感を重ねてバカデカい声を出しても
みんな出してるから気にならないみたいな。
そんな空間が居心地よかったりする。
何故か
みんなが思いのままの姿になってるようで。
無邪気を出せない大人たち。
いい大人なんだから・・・
波風立てないように
人に笑われないように
まるで感情がない機械のような人間が
今は「いい人」となってしまってる。
もちろんワタシもそうだった。
去年辞めた会社では
中間管理職だったこともあって
とかくそういう意識は強かったように思う。
現実がうまく回ることだけが
自分を守る術と信じて疑わなかったやつ。
だから
感情のままに思うままに
姿を見せることを極力我慢していたようにも思う。
それが
本来人として、感情を持つ生き物として
無邪気というありのままの姿を
自ら殺してしまう行為ということに
気付けないまま
ただ、自分を傷つけているだけの自慰行為。
無邪気を出すことが
いつしか恥ずかしいこととなってしまったのは
いつからだったんだろう。
たまーに思いのままに
自由に無邪気さを表に出せる人に遭遇した時に
表面的には
「こいつ、ヤバくね?」
って感じている奥で
本当はとっても羨ましいという感情が湧いていたのを
いつも見て見ない振りをしていた気がする。
「本当はワタシもそうしたい。そうありたい。」
無邪気って怖いもの知らずという一面が垣間見れる。
それがきっと羨ましかったのか。
だから
飲み会や宴会などで酔った勢いでもバカみたいなことが出来る
そんな姿が自分には出来ないと思った時点で
無邪気を出すことを自分でストップしていたわけで。
言いたいことも言えず
我慢するばかりの諦めは
自分を取り巻くすべてが悪いという言い訳を
ずっとしてきたことに
今更ながら気づく。
子供たちの姿は。
文頭の写真は
競馬場のキッズコーナーではしゃぐ子供たち。
あまりにも楽しそうで
好き放題に跳ねているトランポリンでの子供たち。
思わず立ち止まって見入ってしまった(^▽^;)
不覚にも
「あ、あれ、ワタシもやりたい。飛びたい。」と
本気で思いながらスマホにおさめた(笑)
ワタシにもあんな時があったのに
どうしてその気持ちを忘れてしまったのだろう。
なんてことを思う。
でも忘れてしまったのではない。
自分で勝手にダメなものとして禁止してしまっただけの
子供のような感情。
だけどどうしてダメなのか
ダメというカテゴリに入れてしまったのか。
それを追求してみるとかなり深いものがある。
きっと恥ずかしいと思われることが
孤独に繋がってしまうという恐怖からなんだと思う。
でもキーワードは
「思われる」という推測。
勝手にそう自分が思っているだけだったということであって
誰にもダメだと言われていない・・・はず。
あ?
言われたかも。
「そんなことしないで。恥ずかしいから。」みたいな
経験も残っているからも当然あるけど
そこで
「へ?恥ずかしいって何?」くらいの力量が自分の中にあれば
「思われる」なんていう推測は根付かなかったかもなぁー。
「あ、恥ずかしいのね。じゃあ辞めるね。」
ってどんどん大切な感情や自分をしまい込んでしまってる。
あなたはその姿でその姿のままで全く全然OKです!!
そんな言葉が全然聞こえなかったのは
世間体とか内申点とか目に見えるような評価が翻弄してしまったのね。
空に届けと言わんばかりの
目の前のトランポリンに上下している子供たちを見て
どうか
自分のことは大好きなままで
その無邪気な自分を思いっきり楽しんで生きて行ってね。
と思っています。
今は子供たちは本当に大切な宝物。
その子供たちを産んで育ててくれてる両親たちも宝物。
大切にしたいと思う。
・・・なんて思っているそばで
レースの盛り上がりで
オヤジたちが叫んでいるのを聞いている(笑)
これもある意味、無邪気。
よしよし、それでヨシ(^▽^)/
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