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人間傷付いてナンボ

3曲目 かつて天才だった俺たちへ/Creepy Nuts

「凡人」に寄り添うHIPHOP

私がCreepy Nutsを好きな理由は、平凡な自分にチューニングが合う曲が多いからだ。しかもそれを、世界一のDJと日本一のラッパーという決して凡人とは言い難いコンビが生み出している。もちろん彼らにも下積み時代と呼ばれる時期があったわけだが。平凡な自分に何かは分からないが満足していない、モヤモヤする、そんな気持ちをビートとトラックに乗せてぶっ刺し、前向きにさせる。HIPHOPは硬派なイメージがあるが(Creepy Nutsもまあそうだが)、嘘偽りのない感情をそのままぶつけてくるという意味では、私は「寄り添う」音楽であると感じる。

傷付いてナンボ

少し言い過ぎかもしれないが、私は人生ではっきりと後悔した瞬間が無い。正確には、「自分の人生に対して」だろうか。もちろんミスして怒られたり、試験で低い成績だった時は、あの時こうしておけばという気持ちになる。ただ大きく、自分の人生として振り返った時に後悔は無い。
そもそも後悔とは、何か明確な正解があり、それに辿り着かなかった時に沸き起こる感情であると私は考える。では、人生に正解はあるのか?もしあるのだとしたら、人生はパターン化され、全員がそれに各々の人生を当てはめながら成功だの失敗だの不毛と呼ばざるを得ない議論をすることになるだろう。生意気ながら私は自分の意思で人生を歩んでいる自信があるので、生きている以上は「正解(あまり好きな言い方ではないが)」である。
この曲には、このような歌詞がある。

「かつて天才だった俺たちへ 神童だった貴方へ 似たような形に整えられて見る影も無い」
「風まかせ どっちみちいばらのway 俺らは大器晩成 時が来たらかませ」

本来人生は人口と同じ数だけ種類があるはずなのに、周りの環境や自分の弱さ故に似たような形に整えられてしまう。周りの目は気になる、楽な方がいい、こういう感情を抱くのは正直仕方ない。でも、人生はそう簡単に逃げられるほど甘くはない。だったら流れに身を任せてあるがままに生きよう。そんなメッセージがこの歌詞には込められている。

何も分からないという幸せ

これは社会人になってからよく思うことなのだが、仕事でどうすればいいか分からないことが多すぎて逆に楽しい。悩んでもがいている自分の方が、何でもできる自分よりも好きかもしれない。もし私が新卒の今の時点で仕事を全て理解していたとしたら、すぐ昇給して豊かな暮らしをしていたかもしれないが、恐らくつまらないと思う。

「いまだかつてないほど入り組んだway 悩めるだけ悩め 時が来たらかませ」

今は本当に予想が効かない時代になったと感じる。そんな時代で、悩むことをポジティブに捉え、いつか大きい夢を描きながらがむしゃらに生き抜けたらカッコイイ。

かつて「天才」だった俺たちへ

おこがましい話だが、昔は自分のことを「天才」だと思っていたし、何にでもなれると思っていた。しかし現実はそう甘くなく、まだ何者にもなれていない。そんな自分にソワソワしたり、不安になることは何回もあった。
でも、何者にもなれていないということは、裏を返せば「何者にもなれる」ということだ。別に生き急ぐ必要もない。じっくりじっくり、時に回り道をしながら、自分自身を熟させていけばいい。最後にこちらの歌詞を載せておきたい。
「俺はキャンパス かなり薄汚れた だけどワンチャンス まだ余白はあるさ ちゃっかり目立ったり劣ったり この隔たりよ永遠に」
「かつて天才だった俺たちへ 神童だった貴方へ 何にだってなれたanother way まだ諦めちゃいない」

おわりに

これで3曲目になるが、書きたいことが多すぎていつもまとまりが無い。読み手からしたらしんどいだろうなと思いつつ、別に文章読まなくても曲聴いてもらえたらいいやということにしている。Creepy Nutsの面白いところは、アルバムや曲に彼らの人生がハッキリと映し出されていることだ。だから我々ファンはそれを聴けば彼らがどういったことを考えて生きているのか知ることができる。そしてそれに共感した時、曲を何回も聴き、時にはライブに足を運び、エネルギーをもらう。もしもCreepy Nutsの音楽にチューニングが合ったならば、是非色々曲を聴いてほしい。

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