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推し活。「好き」なんて適当でいいんじゃない?って話。

昨日、テレビでやっていたらしく(見てないんですが)小学生の推し活が流行ってるみたいです。まぁ、高学年くらいになれば自分の好きなモノってハッキリしてきますよね。それにいちいち名前をつける必要ないと思うのですが。

今はどこもかしこも誰も彼もが推し活推し活で、アニメや漫画やゲームに熱中してオタクと呼ばれ蔑まれていた時代も今は昔って感じです。

かくいう私も学生時代は漫画アニメゲームに熱中し、十代後半から二十代前半までは色んなロックバンドのライブに毎週のように通い、映画も週一回映画館に行った上で、毎週五枚はTSUTAYAで映画をレンタルしていました。
その中でもアメコミヒーローものにハマり、関連グッズなどをアメコミ専門ショップみたいなところまで行って買ってたり、そりゃあすごいお金出ていきましたとも。

オタクというか、生来凝り性なんですね。なんであれ、突っ走っちゃう。

さて、今はと言いますと、まぁ月に二、三回は田舎にドライブをして、最近ハマった民工芸品をちょっと買ってみたり、なんとなくお気に入りのソシャゲをやって、なんとなく気になってた漫画を読んでと、前に比べたら『好き』に対してかなり緩くなりました。
歳を取ったからってわけじゃないです。まだ二十代ですし。まぁ、それも少しくらいあるんでしょうけど。

でも意図的にそうしている節もあります。

一つは好き疲れ。
長持ちしないんです。熱量が多いと。
漫画アニメゲームは人並み以下でしか嗜まなくなりました。流行りのアニメなんかCMでやってるのを見ると、今やパンピーと呼ばれた人たちの方がよっぽど熱心だなと思います。

ロックバンドのライブはすっかり行かなくなりました。コロナ禍ってのもありましたが、そういうステイホームの中で熱が冷めてしまい、今や新譜も買っていません。あの頃の音楽をなんとなくストリーミングで聞いてるだけです。映画も似たような理由ですっかり見てないです。その頃に始めたソシャゲもすっかり手付かずです。

その理由に「好き」でいるために「しなければならないこと」がたくさんあったからだと思います。

好きな漫画が出たらSNSで感想を呟かなくちゃいけない。イベントには参加しなくちゃいけない。新譜が出たら買わなきゃいけない。アーティストのブログが更新されたら読まなくちゃいけない。
本来は好きだから自然にしていることが、熱が入りすぎると「しなくちゃいけない」に変わっていきます。

その理由が周囲に「好き」をアピールしなくちゃいけないということ。こうなるともう大変です。好き疲れは一気に加速します。

例えばSNSでなんらかのコミュニティに属したりすると、やっぱり「好き」をアピールしがちです。自分はこのキャラクターやメンバーが好きなんです!って名刺がわりみたいなモノですしね。でも言葉じゃだけじゃ足りないから、グッズを購入してアピールしますし、企業側もそれ用のグッズ展開をします。挙句、Xで話題にも上っていたランダム商法です。好きをアピールするためにどんどんお金を使わせます。

心の底からそのキャラクターが好きでそういうことに何の疑問も抱かない!って熱心な方もいるでしょうが、一方で実は…って方も一定数いるんじゃないでしょうか。

これからするのはちょっとでも迷ったら一旦「好き」を休憩してみませんか?って話です。

アイドルモノにハマってんのに推し活しないという選択

推し活というところで言うと、今現在私はアイドルマスターシャイニーカラーズ(以下、シャニマス)にハマっています。
美少女モノ文化で言えばそれなりの歴史とブランド力のあるコンテンツの一つです。

美少女モノでアイドルモノなんだから推し活の最もたる所です。
じゃあ推しがいるのかというと…いない。っていうかみんな好き。だからグッズとかも何買えばいいか分かんない。なら買わなくてもいい。
アイドルモノなので楽曲も豊富ですが、ゲーム内で自分が「おっ、いい曲だな」と思わなければ買ったりもしません。全部いい曲なんですけどね。そっから更にお気に入りをさらに絞ります。
ゲーム自体もなんとなくやっているくらいなモノで、グレードフェスと呼ばれるゲーム内で育てたアイドルを競わせる半対人戦(リアルタイムじゃないのでこんな表現になりますが)も、適当なところで留まっていればいいって感じです。割とこのゲームの一番のメインコンテンツなんですけどね。
また、定期的に声優さんが歌って踊るライブも行われますが、こちらも参加しません。もとより自分にとってのライブって100人入るかっていうあの小さなハコに閉じ込められた熱気が全てっていうロック青年でしたし、正直なところ「中の人」という情報は自分にとって作品を楽しむにあたって余計な情報っていう一面があるからです。

こんな感じで、作品に対して「自分が本当に楽しみたいこと」だけを絞って楽しんでいます。同じシャニマスファンからすれば「愛が足りない」って感じでしょうが、私には私なりの愛があるからいいのです。

そしてもう一つ、シャニマスを始めた同時期に、SNSから身を引きました。こっちもシャニマスやるからって訳じゃなく、コロナ禍に飛び込んでくる情報疲れって理由がメインでした。おかげで必要な情報も届かなかったりしましたが、それはネットニュースとかで得て、一方で「好き」をアピールする周囲すら無くなって作品に対して自分にとっての適切な距離を見極めることも出来たのです。
今はまた再開してなんとなく呟いてますがアピールする周囲はいませんし(フォロワー0)、この適切な距離感も確固たるものに出来たので多分大丈夫です。

そしてこの適切な距離が長続きする理由にも繋がっています。まぁ、コンテンツそのものの魅力も大きいですけど、少なくとも数年、間を置くことなく続いているソシャゲはこれが初めてです。

「好き」には人それぞれありますが、何から何までそのコンテンツに力を入れないと気が済まないくらい好き!って人は本来ごく少数だと思います。大半の人はある程度の力を抜いたほうがストレスなく、長く続けられます。
ただ「好き」っていうのはポジティブな感情だし、どこかでストレスになってしまっているのを感じにくいです。
なので「好きだから推している」に少しでも「見栄じみたものが混ざっているな」と感じたら、一旦止まって「好き」を見つめ直したらいいんだと思います。

自分の中の「好き」という感情は誰かの物差しでは測れないものなのです。
だからもっと「適当」に「好き」って言いましょうよ。







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