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お母さんそれは紛れもなくただの輪っかです。

以前、依頼されてマルシェ会場で遊び場ブースを設置した時にこんな出会いがあった。

僕はいろんな遊びものをみんなに貸し出して、会場である芝生広場でみんなが各々遊んでいる。

そこにとある2歳ぐらいの子供連れがやってきて、色んな遊びものを親子で物色し、お母さんがおもむろに丸い輪っかの遊びものを手に取り僕にこう尋ねてきた。

「この輪っかはどうやって遊ぶものですか?」

(お母さんごめんなさい。おっしゃる通りそれはただの輪っかです。)

僕は心の中でそう思いながら、一呼吸おいて「お母さんは何も考えなくていいですよ」と伝えた。今思い返せばマジで塩対応だ。

そして僕はお母さんが連れていた2歳くらいの子供に輪っかを手渡してみる。子供がそれをポンっと投げてみる。僕が拾ってまた手渡してみる。

今度は車のハンドルのように操作して、気に入ったのか他の輪っかも取り出した。2つの輪っかを両手で持つと手が塞がってしまいもっと多くの輪っかを持てない!そんなことに気付いたのか、目を一瞬ギョロリとさせて辺りを見渡し、散りばめられた輪っかを見て、それから輪っかを地面に置いてみる。並べてみる。

並べた輪っかに入ってみる。座ってみる。立ってみる。そこから次の輪っかへ飛んでみる。

そんな子供を僕はお母さんと2人で少しの間、眺めていた。不安げな、探るような顔をしていたお母さんが楽しそうな子供を見て表情が和らいでいくのがわかった。

「遊び方に正解はありませんので、大人が必要以上に考えるよりまずは子供さんに渡してみるだけで案外遊んでみるもんですよ」

僕がそう言うとお母さんは「そうですね。親からするとそれで楽しいの?と思っちゃいますが、なんか楽しそうですね」とほほ笑んでいた。

僕たち大人が考える「正解っぽいもの」以上に遊びは自由だ。正解や不正解なんて本来は存在しない。こんなただの芝生広場でそんな説明書通りの遊び方に固執する必要もない。

好きなように思うままに「楽しいかも⁉」という方へ突っ走ればいいんだ。


あっ。

今度は隣にあるコーン目掛けて輪っかを投げ始めた。

すごい。今、この子は自分の力で「輪投げ」というものを発明した。大したもんだ。

さぁこの偉大な発明家は次はどんな遊びを発明するのか僕らはワクワクしながら見守る。

ポイッ。ぷいっ。

あっ。コイツ飽きやがった。

天才とは常に期待を裏切ってくる生き物である。



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