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星の巡礼

せっかくはじめたし、なんとなくもうひとつ書いてみよう。

なぜかものすごく縁のあった、この言葉に纏わる話を。

こんばんは。
のびたまごです。

巡礼という言葉のこと。

今年は、『巡礼』という言葉にとても縁のあった1年でした。
わたし自身、言葉自体は前から知っていたものの、その言葉を実際のものとして捉えたのは今年が初めてなんだと思います。

パウロ・コエーリョさんの「星の巡礼」を読み、サンチャゴ・コンポステーラに行きたくなった5月。
そもそも、この本を読んだのは「アルケミスト」を読んだからで、「アルケミスト」を読んだのは…あれは、2018年の後半だったのかな?

ひとつめの記事にもでてきた、あーす・じぷしーのなほちゃん・まほちゃんと、「アルケミスト」の訳をされた山川絋矢さん・亜希子さんの4人が開催された「アルケミスト・トーク」というイベントに参加したからでした。ちなみに、奈良会場です。

本自体はそのだいぶ前から持っていたんですが(何をきっかけに読もうと思ったのかは忘れてしまった)、どうも読み始めても読み進められないということを何回も何回も繰り返していたんです。今思えば、単にタイミングじゃなかった、というだけのことでしたが。

それが、「アルケミスト・トーク」に参加してからもう一度読んでみると、なんのことはなく、ずんずん読み進めることが出来て。当時、わたしは仕事をしてなかったので、確かその日の夜から読み進めて、次の日の夕方までに読み終えていたような気がします。

最後の方、サンチャゴが風と対話するシーンを読んでいる時にものすごい眠気がきて、そのまま眠ってしまい、本の中の世界と現実がごちゃ混ぜになり、汗をびっしょりかいて起きて、『この本…ほんとにすごい本なんだ』と思いました。
イベントに一緒に参加したいとこに、感動のあまり超!長文のLINEを送り付けたほど!

そこから、わたしの『前兆』を求める旅が始まりました。
それまでも、ずっとしてきてたことがわかって、なお一層、人生に前兆、ひらめき、ヒント、ワクワクを求めるようになりました。求めるようになった、というのは少し違うのかな?

自分の中を細かく観察して、どういう反応をしたときが、わたしにとって大切なサインを受け取った時なのか、ということに、より一層目を凝らしはじめた、という感じが正しいかもしれません。

ちなみに『星の巡礼』はその前、2017年の9月くらいに買って手元に持っていたのですが(一体なんでこんなに買う時期と読む時期が違うのにちゃんと買ってるんでしょうかw)、そこからの色々な流れがあって、結局読み始めたのは今年の5月。

そして、『わたしはここに強く魅かれる』と思った場所が、サンチャゴ・コンポステーラでした。

そして、今日。
サンチャゴ・コンポステーラには行けてないのですが、占星術師のyujiさんが書かれた『POWER BOOK 星の巡礼 カミーユ編』を手元に取寄せ、手に取ったまま1度も話さず一気に最後まで読みました(ちなみにブログの方もバックナンバー全部読みました!)。

『巡礼』とは何か。

わたしはずっと「自分は何のために生まれてきたのか」を考えて生きてきました。それって、もしかしたら、「魂の巡礼」みたいなことかもしれない。

コンポステーラを目指す人達は、そこに行けば自分が生まれ変わると信じているそうです。新しい自分になれると。

目的地(コンポステーラ)へ向かって、ひたすら歩くこと、そして目的地へ辿り着くこと、新しい自分にたることをまとめて『巡礼』というならば、それは生きるということと同じなのかなと思いました。

この世の全てはフラクタルです。それは、エメラルドタブレットの最も有名な文章にも、「下にあるすべてのものは、上にあるものに似ており、上にあるすべてのものは、下にあるものに似ている。」と書かれています。

つまり、わたしは人生において、1つの到達点に達したような気がする、ということが言いたいのです。
例えるなら、巡礼者のみなさんが、コンポステーラに到達したのと同じような意味で。また別に例えるなら、登山家が目指していた山の山頂に到達したのと同じようなことかもしれない。

その次へ。

ですが、その次があるのです。人生にも、旅にも、山にも。
そして、次がどうなるかで、全てがわかる。
逆に、次に進んでみないと、今の変化は実感できない。
yujiさんもブログにそのようなことを書いておられました。わたしもそう思います。

変容が目的であったにも関わらず、変容したかどうかは目的を達成した時点ではわからない。
これは、生きているとよく遭遇するパラドックスです。と、わたしは思っています。ただ、プロセスとしての『巡礼』は終わった、ということなんですよね。

終わったけど、終わっていない。
わかると思ったけど、わからない。
ゴールだと思ったけど、次の始まりだった。

そして今日も、私たちは生きている。

そういうことなのかな、と思いました。

「魂の巡礼」は続く。でも、続く道の中に、常に終わりと始まりがある。終わりと始まりをつなぐ、道がある。

まとまってるようで、まとまってない気がしますが、これで今日は終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(*_ _)m



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