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《イリュージョン》は自分で創る 2024/07/04

このnoteは、不思議な感じで書きあげましたので、上から順番に読んでいただいてもいいですし、番号がふってあるまとまりの順番に読んでもらってもいいです。
ちなみに、書いたのは番号がふってあるまとまりの順です。

③は、全体を繋げるつもりで②の次に書きましたが、結局上手く繋げることはできなくて、結果、まとまりごとに書いた順に番号を降って、そのままを書いて公開するという、謎の表現の形を選ぶことになりました。

なので、そのまま読んでもらって不思議な浮遊感にたゆたっていただくもよし、順番通りに読んでいただいて「へーこれが順番通りなんだ」などここの感想を感じていただくのもいいなと思ってます。


何かが起こるのを待っていても、その何かは起こらない。
または、起こっていても、自分がその「何か」について解像度が低かったり、現実逃避ゆえの「何か」を求めている場合(その現実逃避の意味がその時の自分にとってどういう意味なのかを理解する必要があり、今ここで書いているのはその「何か」を求めているのが自我の場合=つまり願いのカモフラージュ着ぐるみである場合のはなし)


・・・と(①の部分のこと)書きかけて、乗り換えになったので一旦記事を保存して電車を降りた。

今思えば、その瞬間から、少し空間が歪んだいた感じがあった。ヒョウシキを見ているのに、全然読めないというか、自分が見たいものが世界に存在しないのだ。


ちなみに、このタイトルのnoteを書いていたら、ちゃんと逆カモフラージュ・・・つまり(?)お試しイリュージョンがちゃあんと起こった。もう全然分からないので(わたしの目にはそう見えているので)自己判断に任せるのは間違えていると判断し、駅のホームにいた方に教えてもらうことにした。ものすごくわかりやすく教えていただけた上に、わたしが居るのは目指していたその場所で(そりゃそこに向かってきたんだからそうなんだけど)、見つけられないと思っていた〇番線のホームは単に向かい側のホームで、そのホームへの道も見つからないと思っていたのに、その方が教えてくださった通りに進んだらその道はそのままそこにあった。ただ、わたしの体感としては、一瞬にして世界が作り替えられたような気がしたのだ。絶対にそのホームはその〇番線ではなかったし、だからこそ見つからなかったのだから。

本当の本当に、わたしはもう自分1人で何とかする・・・・・・・・・・世界線・・・には存在していないのだと思った。思考はまだ気を抜くと近々までそっちに居たので慣れ親しんでいるから、そっちに浸かっている時があるらしくて、だから今日さっきの出来事みたいに時空のはざまというか出口の無い迷路みたいな現実を創り出してしまうのだと思った。

あのまま、あの方に教えを請わなかったら、あの空間の中に閉じ込められていたのかもしれないと思うと(たぶんそれは無いのだがそのパラレル自体はわたしがそれを選んでも選ばなくてもそこに存在している/いたと思うので)、日本語としては少しおかしい気もするがそのまま言葉にしてみると、本当に『正しく自己認識することを意図する必要がある』、という感じだなと思った。


はー、不思議だった。
今朝からのこの不思議なちぐはぐの連続(ちぐはぐというか交差というか交差点というか通過点というか分岐点というか)が、同時多発的に重なって連続して起こっていて、なかなかのアトラクションみだった。
そんなことが起こっていた時間は星的にどういう時間だったかというと、nDhをt太陽がドンピシャで通過して行っていた時間だったのでした。

ちなみに、昨日の夜は方向音痴が発動していて、「あ、そのパターンね」と思っていたのでそこからの流れかと思うとなかなかしみじみと面白さを感じる(味わい深い)。方向音痴は人間の感覚のものであり、そのとき行く方向は本来行くべき方向だったりする、と、今のわたしは自分の仕組みと起こっている現象の関係性について、理解してきている。


はー、やっと最後まで書き終わりそうだ。まとまっているのは甚だ怪しいが、これはこれで《イリュージョン》を自分で創っているのであって、タイトルのそのまんまで面白いと思う。し、タイトルをつけて書き始めたときはまさかこんな結末を迎えるとは露ほども思っていなかった。
事実は小説よりも奇なりというかなんというか、本当に『正しく自己認識することを意図する必要がある』ということを、改めて感じているわたしなのでした。

おしまい。



2024/07/04 (158/366)


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