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あるをみる、あるをつくる【#ホニャララLIVE 048】

こんにちは、のびたまごです。

昨日のホニャララLIVE、諸事情で全部見れてないのですが、後半1時間?ほどは見れたので、現時点で感じていることを中心にまとめてみることにしました。
見直してから書いた方がいいのかもしれないけど、そうすると今感じていることがなくなってしまう、もしくは進化/深化?してしまうので、そうなると、それ自体はブラッシュアップされるしいいかもしれない(質のいいものをかけるかも知れない)んですが、今ここにあるものたちはなくなってしまう気がするんですよね。

で、それがまさに昨日のホニャララの核だったような気がしているので、あえてそこを貫いてみようという次第です。

この先の言葉たちを読み進めてくださる方には、前半を見ていないことで解釈が違ってしまうことがあるかもしれないこと、でもそれでもあえて書いてますってことを、先にお伝えしておきます。

幸せって何?

ブータンには、「幸せ」という言葉(概念?)が存在しないという話。

この概念自体はわたし自身も以前から知識としては知っていまして、でも特に掘り下げたりはしてなくて、という感じでほんとに「単に知ってる」というだけの状態でした。
強いていえば、ナポレオンの辞書に「不可能の文字はない」と同じ感じかな?くらいに思ってました。

でも、昨日の田中さんのお話を聞いていて、「【幸せという概念がない】という仕組みがある/仕組みが完成されている」んだなと思いました。しかも国家レベルで。ほんとにすごい。

だから、逆に国民の幸福度が最も高い国なんだということが自然と腑に落ちました。
「幸せは自分の手で作るもの」ということを、体感として知っていて、実践している人達なんだなぁ、と。だから、「幸せって何?」という疑問に繋がるんですよね。

自分の状態を心地よく保つことが当たり前であるに方達にとっては、そもそも「幸せじゃない」という状態自体が存在しないのかもしれないんです。すごい。


幸せは誰がつくるもの?

つまり、本当に、まずそもそもの前提が違うんだと思いました。

わたしも含めて、日本人(とくくってしまっていいかわかりませんが)は、あえて嫌な言い方をすると、「幸せって誰かに提供してもらうもの」と思ってることが圧倒的に多いのかなって思って。

幸せという名の生殺与奪権を、誰かに明け渡してしまっている。そして、それが満たされないことに対して不平不満を言っている、みたいな。
これって、物質的な豊かさの弊害だと思うんですよね。「与えてもらうのが当たり前」になっている。

「もらえたら幸せ」
「もらえなかったら不幸せ」

ほんとにそうかな?
それは真実?
何も言わずに待ってるだけで?

それって、本当に欲しい自分の幸せがわかってないとそもそも無理だっていう話でもありますし。
※このnoteはどこへ向かっているんだろう:(´◦ω◦`):


あるをみる、あるをつくる

幸せって、自分で作るものだし、そもそも「あるをみる」「あるに気づく」ことだ、と今のわたしは思ってます。

概念化されて平均化された幸せというものが何かということを自分に問いかけるよりも、「これが自分にとっての心地良さだ」「これををわたしは感じていたい」「こういうことをしていきたい」という自分にとっての喜びとか、心地よさとか、そういうものを見つけていく。そういう目で自分を観察していく。

すると、必ず「ある」んです。
自分の中に、既にそれが。
それが、「あるをみる」ってこと。

それができたら、「あるをつくる」ことができるようになる。自分だけでできないことは、人に助けてもらえるようになる。


自立するということ

人に助けてっていえるのは、自分の「ある」がわかると、同時に「ない」もわかるからだと思います。

で、それが自立かなって最近は思ってます。

なぜなら、「ない」を埋めて全部「ある」にしたかったわたしが、過去にいたからです。いや、今もまだいるかもしれない(いや、いますね💧)。
まだまだ、欠点を埋めて丸になろうとしてる自分がいます。
それが自立できる方法だと思っていたんですが、実はそれって完全に孤立の方向に向かっていて(つまり逆)、世界が自分だけの範囲に留まってしまってた、ということにようやく最近になって気付きました。

有り難いことに、最近は、周りにいてくれる人達がものすごく助けてくださるから(自覚する前に助け舟がやってきてくれます😭✨)、ついつい、「ない」を頑張ってしまっている自分に早く気付けるようになって、早く軌道修正ができるようになってきたから、少しずつ楽になってます。

なくていいよ、あなたにはあるよ。

そうやって、いつも助けてもらってる。
本当にありがとうございます😌✨

自分の中にある豊かさの源泉に触れるってすごく大切だし、それを分かちあってお互いに尊重し合えたり、大切にし合えることってものすごく満ちているなぁと思います。


自分とは有り難いもの

これが今日のまとめです!
最初にこう書いてました。

それ自体はブラッシュアップされるしいいかもしれない(質のいいものをかけるかも知れない)んですが、今ここにあるものたちはなくなってしまう気がするんですよね。

で、それがまさに昨日のホニャララの核だったような気がしているので、あえてそこを貫いてみようという次第です。

今、ここに手付かずの状態であるものが、いかに有り難いものであるか。
また、得難いものであるか。


そのもの自体の価値。
それって、存在意義でもあるし、自己肯定感でもあるも思う。

ないことが豊かである、ということ。
そこに手をかけることで、さまざまな循環が生まれること。

そういうことに敏感になって、ひとつひとつ、また自分のことを知って、大切な人たちのことも知って、もっともっとお互いを尊重し合える世界を、わたしは体験していきたい。

昨日のホニャララを観て、わたしはそう思いました。



また少し、時間をおいて全部通して観させていただこうと思っております!
yujiさん、井出さん、田中さん、豊かな時間をありがとうございました🌸✨


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