「母の日」に何もしたことのない私が思う「母の日」
「母の日」が苦手な私に、娘2人が一本ずつ選んだ花を
プレゼントしてくれた。
(お金は夫。夫も一本選んでくれていた。)
母になってもうすぐ9年。
SNS上に溢れる「母の日」投稿に、
私はなんだかジブンゴトに思えない。
「母」であることに違いはないんだけど。
「母の日」に、母に何もしたことがない。
なぜ急にこんなことを考えだしたのかは分からない。
ゴールデンウィークどこにも出かけることなく引きこもっていたから、
頭にも時間にも考える余裕があったんだろうか。
結婚するまでの26年間、
私は「母の日」に母にプレゼントや何か言葉をかけた記憶がない。
お小遣い制ではなく、欲しいものがあったら母に言って、
許可が下りればお金をもらってたので、
お金を貯めてサプラーイズ!なんてこともなかった。
ならば、家事の手伝いや肩たたき券なんてことも出来たんだろうけど、
私に創造力がなかったのか母が求めていないことが分かっていたのか。
何にせよ、「母の日」に何かをするという習慣がなかった。
そんな私にも転機がきた。
結婚だ。
結婚して一度か二度、
母と義母にプレゼントを贈ったっけな。
これが長続きしなかったのは、長女が産まれたら
母&義母ともに
「子どもにお金を」という考えだったからだ。
そういえば、大学生の頃、一人暮らしをしていて長期休みにしか会えないからと、「父の日」にじんべえを贈ったら母から電話で、
じんべえのダメ出しと、お金を残せと言われたこともあった。
それ以来、「父の日」にも何もしていない。
「母」と「娘」の間で。
どこからどう見ても、どう考えても、
私は「母」であり「娘」だ。
そんなこと、普段は意識することもないけど、
「母の日」になるとそれが目の前で突き付けられてる気がするのかもしれない。
「母」である私と「娘」である私。
「母」として娘から何かしてもらえることに嬉しさと感謝。
「娘」として母に何もできていないという戸惑い。
毎日のように電話をしてくる母と、
「母の日」も電話越しに話したが、相も変わらず「母の日」など気にもしてなさそうだった。
私はまだ、「母の日」に娘からしてもらえることに心躍らせていたい。
私も母の娘だ。
「私なんぞにお金を使うのなら、自分のため、自分の子どものために使いなさい」
そんなことを言う日が来るかもしれない。
そんなことを思いながら、
母からの母なりの愛情と、
私の母としての愛情を嚙みしめた。
来年の苦手な母の日は、どんな日になるんだろう。
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