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SUGB 因果巡 (9)


 夏の木漏れ日の中を因果巡とディアナ・ペールライトはゆっくりと歩いた。涼しい風が吹いている。囁くような木々のざわめきに時折鳥の声が混じった。初夏のセントラル・パークには生命の息吹が満ちている。
 人口の増加と都市の拡張は不可分の関係にある。それはどの次元でも変わらない事実である。建築技術を発展させ、自然を開発し、自分達の居住地を拡充させる。それは逃れることのできない宿命と言っても過言ではない。大事なのはバランスだった。どこまで自分達の居住地を広げるのか、どこまで自然を残すのか。その選択が、宿命の行く末を決定する。全てはバランスによって成り立っている。
 バランス。因果巡が暮らすニューアークシティもかつては都市開発計画と緑地化計画が絡み合い、無限の争いを続けるような街であった。しかしここ数年の間で争いは沈静化し、少しずつバランスが整いつつある。その証拠にセントラル・パークはシティに暮らす住民たちの手によって守られていた。行政が定期的に行う補修以外に、住民たちが自主的に保全活動を行うことで都市の中に自然が残る。コントロール(管理)ではなくメンテナンス(維持)の精神。 しかし地元の人々にこのことを聞けば、みんな揃ってウォッチオーバー(見守っているだけ)と照れたように笑うだけだった。
 巡が押す自転車のハンドルにぶら下がった買い物袋(エコバッグ)が、風を受けながら気持ちよさそうに揺れている。夕飯の買い物を終えた2人が家に帰らずセントラル・パークを訪れたのは、ディアナのパートナーであり巡のもう1人の母であるシュリ・マキシマと合流するためだ。合流、といってもそんな約束をしていたわけでも、シュリからセントラル・パークにいると連絡がきたわけでもない。ただ、シュリが真っ直ぐアパートに帰っているはずがない、というのが巡とディアナの共通認識であり、どちらかが言い出すわけでもなく2人はセントラル・パークへとやってきたというだけだった。

 陽の光の中に微かに黄緑色が混じる。
 セントラル・パーク・オールドエリア。その球場跡地。
 通称「忘れられた球場」
 その忘れられた球場を見渡せるベンチに短髪の女性が一人で座っていた。黒のタンクトップにライトブルーのデニム、というシンプルな服装は無駄な筋肉のないしなやかな身体によく似合っていた。艶やかなサングラス越しに陽の光を眺める姿はトップモデルのようでもあったが、それも一瞬のことで、女性はまるで子どものようにホットドッグにかぶりついた。しかしケチャップもマスタードも口の端から噴き出すようなバッド・ドッグ(無様な食べ方)はしない。グッド・ドッグ(美しいホットドッグの食べ方)を知っているこの女性こそシュリ・マキシマ。因果巡の母親だった。
 シュリの姿を見つけた巡は短い口笛を吹いた。それは巡が幼い頃、手話も知らない頃に考えた母を呼ぶサインだった。サインを聞きつけたシュリが首を動かして巡を見た。サングラスを外して嬉しそうな顔をする。そしてすぐさま、巡の後ろに立つディアナを見つけるとその笑顔は苦笑へと変わった。
 巡は自転車を止めるとシュリの隣に腰かけた。
「見つかっちゃったな」とシュリが笑う。
「私、朝、今日の晩御飯はご馳走ですって言いましたよね」
 立ったままのディアナが顔をしかめながらシュリに向かって言った。
「メッセージでも送りましたよね」
「ちゃんと覚えてるよ」
 惚けるような顔でシュリが答えた。
「それは楽しみだなあって返信もしたし。本当に楽しみだし」
「でも、ホットドッグを食べてるのね」
 今度は呆れた声でディアナが言った。
「食べたくなっちゃったんだよ。それに、2人の分もちゃんとあるぞ!」
 そう言ってシュリはバトンズ(セントラルシティ老舗のホットドッグ専門店)の袋から2人分のホットドッグを取り出して見せた。バトンズのホットドッグはソーセージにケチャップとマスタードだけのストロングスタイルだ。巡はシュリの手からホットドッグを受け取ると、先ほどのシュリのようにかぶりついた。食べ方はもちろんグッド・ドッグだった。マナーとは親から子へと必ず受け継がれるものなのだ。
「しかもだな」
 自慢げにシュリが胸を張る。
「ちゃんとコーヒーもある」
 バトンズの紙袋の隣にあったスターバックスの紙袋をシュリは巡とディアナに向かって掲げた。巡は楽しそうに笑いながら拍手をして、ディアナは苦笑交じりに肩をすくめた。それからディアナは巡の隣に座り、シュリに向かって手を差し出した。
「そうこなくっちゃな」
 シュリが手渡したホットドッグを少しずつ齧りながら「ああ、美味しい」とディアナは笑った。

 日が暮れていく。母2人と子が1人、並んでホットドッグを食べている。3人の影がゆっくりと伸びていき、重なり合った。この次元には、この星には、無数の言語がある。その1つを使って表すのなら、この時間は「幸福」であった。「幸福」が今ここにあった。

 セントラル・パーク・オールドエリア。
 忘れられた球場。
 18年前の真夜中に3人は出会った。
 もしあの日、ここへやってきたのがシュリ・マキシマでなかったとしたら。ディアナ・ペールライトでなかったとしたら。そしてこの次元に落ちてきた子どもが因果巡でなかったとしたら。
 全てはバランスで成り立っていた。
 そして、夕飯の時間は少しだけ遅くなった。

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