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2021年8月11日(水)・塚本監督トークレポート@新文芸坐

2021年8月11日に池袋の新文芸坐にて市川崑監督版の『野火』(1959)と塚本監督版の『野火』(2014)の2本立て上映、最終回上映後、塚本監督の登壇によるトークがありました。MCは名物スタッフ花俟さんです。

2021年8月11日(水) 20:15の回上映後
会場:新文芸坐
MC:花俟良王さん(新文芸坐)

池袋の新文芸坐にて「東京裁判から75年 映画を通して戦争や日本の歴史について考えよう」特集の中で市川崑監督の『野火』と塚本監督の『野火』との2本立て上映が実現。最終回上映後に塚本監督のトークを実施しました。
 
MCをつとめていただいた花俟さんの「コンビニがあるので何か買って食べられますからね。いい時代になりました。強烈な二本立てだったと思います。でも実際はもっと凄惨な場所だったと思います。少しでも平和というか今のこの時代の豊かさというのを考えていただけたらと思います。」という前説に続いて拍手に迎えられた塚本監督が登壇。

この日塚本監督版の『野火』をはじめて鑑賞の方、市川監督版『野火』をはじめて鑑賞の方、どちらもはじめての方、7割ほど。会場のほとんどの方が2本続けての鑑賞でした。塚本監督は2本続けて鑑賞された方に向けてしみじみと「おつかれさまでございました。僕は続けて観たことはさすがにないです。市川崑監督版『野火』もすごく印象に残っているので、2つが並んでいるところが頭では浮かぶんですけど体験したことはないので。続けて観るって…ちょっと想像を絶します…」とねぎらいました。

(以下一部採録・再構成・敬称略)

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花俟:いつごろ市川崑監督版の『野火』を観られたんですか?

塚本:高校生の時に銀座にある並木座という日本映画を2本立てで観せてくださる名画座で。映画のことをよく教えてくれる友達ができて、通うようになり、観ることができました。

花俟:どんな印象を受けましたか?

塚本:そのときは日本映画というものをあまりたくさん観たことがなかったので、黒澤明監督から市川崑監督、今村昌平監督、ATGの寺山修司さんの作品など映画をいっぱい観て、文化が一気に自分に押し寄せてきてすごく刺激的でした。その中で市川崑監督の映画も好きな作品がたくさんあったのですが、『野火』はモノクロの映像ですごく強烈な印象がありました。当時僕も8ミリ少年だったので、もろに市川崑監督版の『野火』に影響を受けたような映画をつくってました。ただ実際僕が『野火』をつくるというとその影響とはまた別のものにはなったなという感じですね。

花俟:大岡昇平さんの原作を読んだのはいつですか?インタビューを読むと、原作を読んだときからもう映画化したい、映像が浮かんだと。

塚本:やっぱり高校生くらいのときです。映画化したいというのは子供なので脳裏をかすめたかもしれないですけど、いつかそんなことができたらいいな、と思っていました。ただ映像はたしかにくっきりと浮かんで、今その映像が年齢を経るごとに変わったかというとあんまり変わらなくて。そのときの強烈な(印象の)ままずーっと続いて、最終的に少しでもそれに近づくように、お金はまったくなかったんですけど、何とかお客様に失礼にならないレベルで映像化したいと何年か前についにやったという感じです。

花俟:どんな映像が浮かんだんですか?

塚本:(上映されたばかりのスクリーンを指し)こんな映像です。(会場笑い)実はもうちょっと大きな規模で考えていたところもあって、教会の場面なんです。今回は実際のフィリピンにあった教会にあわせて絵コンテを書きかえました。最初は教会の室内にクラシックで壮大な絵が飾ってあるようなイメージ、宗教画のような巨大な絵があるところで殺戮が行われるイメージがありました。こだわりがわりと結構最後の方まで残ってたんですけど、最後は自分の中で優先順位をつけてどうしてもやりたいところだけを残してつなげた映画です。

花俟:(原作とは)ラストがちがってますよね?

塚本:わりと帰ってからが長いんですね、原作は。病院のシーンもあるし、おうちのシーンもあって。僕としてはなるべく原作に忠実につくってるつもりだったものですから、原作後半の日本に帰ってからの長いシーンを僕なりに極端に短くするとここかな、という感じでした。

花俟:あの凝縮具合が超こわいんですけど…。今まであれだけ残酷なことを見せてきたのに、最後見せないじゃないですか。

塚本:自分の中では要所要所でここは見せるところ見せないところというのがあって。あそこ(ラストのある場面)は今まで完全に田村の主観できた映画なのにあそこだけ奥さんの主観になってしまう。田村が急に客観になるところで恐ろしさを出そうと思いました。

花俟:あと「火」ですよね。あの炎がめらめら燃えているのはちゃんと意味があって、人間の業のようなものがめらめら燃えていると。

塚本:市川崑監督版の“野火”というのは映画を観る限りでは本来人間が営むべき生活の火、その火を目指して憧れて田村が倒れるみたいな感じだったと思うんですけど、自分の映画ではその“野火”っていうのは生活の火でもあるし、文字通り“戦火”、フィールドの上で火がどんぱちしてるっていう両面があるような意味合いで描いていました。描いていたっていうのは後づけってわけじゃないんですけど途中でそう決めたんです。最初原作を読んだときはあまり“野火”の意味はわかんなかったんですね。あれだけ大好きであれだけ何度も読んでるのに。なんで“野火”なのかなと思っていたんですけど、そのわからなさが自分でも面白くて。わかるまでの旅をするっていうような感じ。旅をしてる間にさっきのような感じかなと自分なりに僕は思って。映画では僕が演じてる田村が炎を見てるんですけど、過去の自分の体験の炎を見てるっていうのが映画の中の田村ですが、あれを見ている僕というのは近未来に起こっちゃう炎を見てるような気持ちであのシーンをつくりました。
 
花俟:そこで興味深いのが(『野火』の)次の映画『斬、』。力作の時代劇がございます。その冒頭がやはりめらめら燃える火。刀鍛冶の火。そしてそこから生まれてくるのが人を殺すための刀である。それは意図されているんですか?

塚本:これは結構意図しています。火を通して『野火』から時間が逆行して、あの時代(幕末)に行っていて。『2001年宇宙の旅』の最初のシーンでお猿さんが骨で道具を発見して放り投げると宇宙船に変わっちゃうのですが、あのイメージがあって。一等最初に一本の刀というシンプルな武器を炎でつくりだすわけですけど、この1本の刀が『斬、』が終わって『野火』に行くと、同じ鉄でもマシンガンだったり戦車だったり数々の兵器に変化してるっていう感じを自分の中で勝手に想像していました。あのとき『斬、』で1本の刀がどう使われるか、使われ方によって歴史は変わるということで、残念なことに第二次世界大戦で使われた数々の武器に変わる結果になりましたっていう感じを自分の中では描いたつもりだったんです。

花俟: そもそものお話で恐縮ですが、とても重要なことなので改めて伺います。なぜ『野火』をつくろうと思ったんでしょうか?

塚本:『野火』自体は高校生のときに最初に読んでから映像が浮かんで。そのあと『鉄男』という映画をつくったのが20代の終わりだったので、30代40代では具体的につくろうと思って準備をはじめたのですが、そのときは戦争が自分の実感として急に迫ってる感じはなかったので、潤沢な予算でいつかつくりたいと思って時が過ぎて行ってました。自分が40歳のときに戦争体験者の方が85歳になられていたんで、もう今つくろうと思ってフィリピンの戦争に行かれた方にインタビューをするのですが、その時は撮れませんでした。50歳を過ぎたとき、具体的に言うと3.11ということがあったあとに、自分は電気が東北の方からきてるってことさえも知らないでのうのうと暮らしてたんですけど、天災ではあるけど、人災的なこと、その因果関係を調べていくとなんかこう知らなかった大人の世界の不条理な感じが水面下から浮上してきたような感じがして、戦争というのがもし起こったときの戦争を決める人たちと、決められて戦争に行く人たちの構図みたいなものが見えてきました。あとは政権が復活してきたときの憲法の改定案というのを見たとき危機感をすごく感じて、もう先延ばしにできないと思って(公開の)2年くらい前にばたばたとつくりはじめて、戦後70年の年に公開したんです。

花俟:強行採決があったじゃないですか。あそこより前でしたっけ?

塚本:わらわらってつくってはいたんですけど世の中としてはまだそんなに動いてもなく、その動いてない感じが映画をつくってもなんかすかーっという感じに終わっちゃうんじゃないかっていう危機感もありました。でもちょうど映画ができてヴェネチア映画祭に行って次の年に公開するわけですが、それが戦後70年の年でした。その年にやっぱりおかしいよって人がいっぱい増えて、国会の前にも強硬採決に対して不満やら文句やら心配になる人がいっぱいいた年と『野火』の公開が重なったんですね。それで『野火』への関心が高まって多くの方が観てくださることになりました。

花俟:もちろんこれは政治的な映画ではないと思うんですけれども、ただ私たちの運命を左右するのは政治だと思っています。人間の怖い所、とくに日本人の怖いところは慣れてしまうということ。さらに怖いのはそれを利用する人がいるということ。私個人の意見として思います。この映画が抑止力になればいいなと常々思っていて、この気持ちわかっていただけますか?

塚本:はいー。(深く頷く)やっぱり慣れたりとか、戦争って昔本当にあったの、とかぽわーとしちゃうのって自分が一番そうで、子供の時から新聞を読まないで父親に怒られたりしてたものですから。戦争って知識としてもあまりないし、勉強もあまりできませんでしたし。『野火』をつくると決めてからも、インタビューをしたりつくってたときでさえわかんないことがいっぱいあったんです。上映しながら多くの方々が感想がすぐ出ないかわりにお身内の体験なんかをいっぱい話してくださるうちに、このことは本当に間違いなくあったということがはっきりするにつれ、実感がこみ上げてきました。いっつも緊張していっつも怒ってるのも疲れるのでなかなか難しいんですけど、終戦記念日のあたりだけはやっぱり昔そういう体験をされた方々にちょっと思いを馳せる時間がないといけないんだろうなというふうにして毎年やってるんです。

花俟:塚本晋也監督は各映画館にメールをくれるんですよ。春ぐらいになると。監督自らがメールを私たちに送ってくれて「今年も難しいかもしれないんですけど、1日でもいい、1回でもいいから『野火』の上映をしてくれませんか?」って。こんな監督いませんよ。

塚本:本当ですか?若松(孝二)監督はやりそうですね。若松監督はメールなんて細かいことじゃなくて電話で。(若松監督の声色で)「若松です」って。

花俟:そういう監督もなかなかいなくなったけど、これはインディーでずっと活躍してこられた、もちろんメジャーでも撮られてますけども、本当に苦労なさってやってる監督ならではの視点かなと思っていつも「ありがたい」というか。実際今日こんなご時勢にかかわらず来ていただいて本当にありがたいんですけれども。社会派映画特集、終戦の日をはさんで毎年何とかやっていきたいと思っているんですけれども、昔ここにあった旧文芸坐時代はそれこそドル箱みたいな特集だったんですけどもだんだんだんだんお客さんが来なくなってしまいました。もちろんこうやって監督が来ていただけるとこうやってたくさんのお客様に来ていただけるんですけれども。そしてコロナ禍になってご年配の方々の出足も鈍りまして。やっぱり上映存続の危機っていうのは現場では感じてるんですよね。

塚本:それは年配の方が今コロナでいらっしゃるのが難しい以外に、戦争特集自体もなんとなくお客さん自体の出足が(鈍っているんですか?)

花俟:先ほど私が抑止力になればいいと申し上げたんですけれども、コロナで年配の方の出控えが起こってもう2年ですよ。そうするともう足しげく映画館に通っていたシニアの方々も家で観る習慣というのができちゃった。ここで起死回生で終戦記念特集また今年も来てくださいって言ったらまた緊急事態宣言が出ちゃって…。『野火』という映画にとってコロナ禍という新たな側面が加わったと思うんですよ。コロナ禍を通して戦争とか気にしなかった人が政治を気にすることになる。という人もいるんじゃないかなと思っていて、そういうところで『野火』は今後どういうポジションになっていくのかなっていうのが気になるんですけれども。

塚本:僕もコロナには翻弄されっぱなしで、実はあまりまだ自分の考えとか立ち位置がまとまっていないところもあるんです。最初のうちはコロナのことと、それと関係なくなんかちょっと世界的にぎすぎすしてきてることと、日本の国自体はコロナがあるなしと関わらず新しい政権が復活したときの憲法改定案というのが1回かわってしまったらもうごんごん変えてくるというのがあるので、もう実は手遅れだなっていう事態にまできているように、日本が戦争できる国になるっていうのはあともう3年くらいでなっちゃいそうで、ちょっともうかなり崖っぷちって感じてるんです。ただなんやかんや言っても結局選挙ってものがあってそういうことする人たちを選ぶのは実は自分たちの手にゆだねられているので、そこのところがいかに大事かっていうところが伝わっていくのはなかなか難しくて。その日がくるとなんかめんどくさいということで、ぼやーっとしてる方が権力持ってる方々はありがたいのかなと思ってしまいます。

花俟:次世代を担う若者たち。今のお話がある程度の年齢の方々にはすっと届くと思うんですけど、若い方って難しいですよね

塚本:それがですね、最初上映始まったときには大岡昇平さんファンの割と年配の方がいらしたんですけど、上映続けているうちにだんだん年齢が下がっていって子供を連れたお母さんとかが、子供が一番体感的に心配なんで、子供連れてきてこんななんないように気をつけなさいよというような感じで、あと若い方々がだいぶ来てくれたんです。若い方全般が届かないということではないんだろうなと思うんですけど。やっぱりこんな小さな映画でもありますし、なかなかどぎついらしいよということでなかなか足を運ばないこともあります。何とか見てもらって考えるきっかけにしてもらえたらなと思っています。だから戦争のことっていうとなんか重いなとか、勉強みたいな感じだなとか、あとちょっと懐古的な居心地悪い感じになるんだろうなと思うんですが、僕はどっちかというとこの『野火』がおばけやしきのように映画館でおっかない体験をして、帰るときになんか感想を持ってもらえたらいいかなと、入り口になったらいいかなと思っています。

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最後に記念撮影をしてトークは終了しました。

新文芸坐さん、ご来場のお客様、ありがとうございました!

新文芸坐
https://www.shin-bungeiza.com/

7年目の『野火』上映概要
『野火』(59・市川崑監督)との2本立て上映
8/11(水),8/16(月)
『野火』(14)12:35/16:25/20:15※ (※8/11のみ)
『野火』(59) 10:30/14:20/18:10
8/11(水) 最終回上映後、塚本監督トーク
 
「東京裁判から75年 映画を通して戦争や日本の歴史について考えよう」特集
『野火』(2014)
『野火』(1959)
『日本のいちばん長い日』
『軍旗はためく下に』
『あゝ同期の桜』
『日本暗殺秘録』
『東京裁判』

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