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2021年8月22日(日)・塚本監督オンライントークレポート@シアターセブン

7年目の『野火』この日の塚本監督オンライントークは大阪のシアターセブンさんです。毎年『野火』を編成くださる小坂さんの進行によりトークを行いました。

2021年8月22日(土) 11:00の回上映後
会場:シアターセブン
MC:編成担当・小坂さん

毎年恒例行事のように『野火』を上映いただいてる大阪・十三のシアターセブンさんです。MC小坂さんの呼び込みで塚本監督が大きな拍手に迎えられスクリーンに登場。はじめてご鑑賞の方は全体の半分くらいでした。

ご挨拶に続きまずは小坂さんより「この『野火』というもともと大岡昇平さんの原作がある、こうしたものを原作に出会われたきっかけ、出会われてから映画化まですごい年月がたってるかと思うんですけど、まずはその出会いみたいなところと最初の印象みたいなところをお話いただけますでしょうか?」と問われ塚本監督は「高校生のときに本を読むのが好きだったんです。日本の文学が好きで読んでいる中で、ことさらこの『野火』がすごく目の前に映像がくっきり浮かぶくらいの印象がありました。そのときは8ミリ映画をつくってたんですけど、いつかは映画になったらなとおぼろに考えはじめたんだと思うんです。30代で『鉄男』って映画で劇場デビューしてからはつくろうとしはじめるんですけどなかなか難しくて。40代では本格的につくろうと思ってかなり実質的な準備はじめるんですけど難しくて先延ばしになりました。最終的に自分が50代になったときに戦争体験者の方が少なくなるにつれて戦争に近づいていってるんじゃないかっていう危機感がすごく強まって、まったく金銭的にはうまくいってないころだったんですけど今作んなきゃって思って無理やりつくりました。」と製作までの経緯を述べました。

小坂さんが「実際にフィリピンに行かれた元日本兵の方に取材されたと伺ってますが」と続けると塚本監督は「本当は原作だけで映像がくっきり浮かんでそれでもう映画つくれるという気持ちになったんですけど、つくろうつくろうとずっと思ってる間よく考えたらまだフィリピンに兵士として行かれた方はご存命なわけですから、聞かないっていうのはちょっとちがうよなと思って。なるべくやっぱり聞くべきだと思ってフィリピンの実際の戦争に行かれた方にインタビューをしました。そのときそんなにお話してくださる人が少ないとは実は思ってなかったんです。どんなことが行われたかって理屈ではわかってても感覚としてリアルにはわかってなかったんでしょうね。みなさん話してくださるものかと思ってたんですけどそういうわけじゃなかったんです。寺嶋さんという方が戦場っていうものを今の人に伝えていくっていう使命感のおありの方だったんで進んでお話くださいました。そのことが相当その映画の中に実感として入ることになりました。」と語りました。

また小坂さんより「本作は監督が田村一等兵役で主演されていらっしゃいますけれども、塚本監督の主演として演じられたことによって監督がこの映画で表現しようとされていた世界感が田村一等兵の世界観、主観的な映像と重なって、本当に一日本兵から見た世界というのが描かれてるちょっと変わった戦争映画という印象を受けました。」とのコメントを受け塚本監督は「ずーっと構想してたときは大きな映画を考えていたので、僕が尊敬できる著名な俳優さんに出ていただいて多くのお客さまの共感を得られるだろうとそればかり考えていたんです。最終的につくろうとしたときには自撮りでやろうかってくらい全くお金がなかった。なかば残念な結果としての自分だったのですが、『野火』をつくるってモチベーションのかたまり、なんでもやるっていうかたまりだったので、俳優もそのうちのひとつだったんです。自分はとにかく『野火』をつくるという炎のようなかたまりとなってつくったという感じでございます。」と述べました。

加えて「撮影中に大変だったところ」について塚本監督は極小人数で敢行した「最初のフィリピン」の撮影を挙げ、「最初自撮りにしようと思ったくらいですので。結局自撮りにならないで済んだのは経験スタッフがひとりだけ来てくれたんです。そのひとりがカメラを持って自撮りじゃなくなったっていう。そのひとりと壊れた美術を全部直さなきゃいけないボランティアスタッフとフィリピンに精通してる人、合計4人がフィリピンに日本人として行きました。あと現地のスタッフ、ドライバーの人とコーディネーターの人合計6人がフィリピンを車で走り回りながら次々に撮って行ったという感じです。出演するときもあるのでみんな痩せてるんで機材を運ぶだけでも疲れましたし、暑い場所ですし、虫もいますし、かまれちゃったりしますし、そこで何回も何回も納得いくまで撮影続けるっていうのはですね。自分で走って自分でカメラ見てああダメだともう一回走るというのは今思い出しても辛かったですね。」と振り返りました。

お客様からの質問タイムでは石川忠さんの音楽について「本作で印象的だったのが野戦の場面での音楽が明るいこと。音楽の使い方で注文されたことはありますか?」とのご質問。
「最初は音楽なしの映画にしようと思っていた。」という塚本監督は「(音楽が)ない方がドキュメンタリーっぽい突発的な暴力とかも余計効果がでるかもしれないと考えてたんです。ただ映画を編集すると映画の方が語りかけてきて。ここに音楽つけてくれーって感じでここはもうここからここまで、ここは必要ここはいらないって明瞭に映画の方が語ってくるものですから、「やはり入れることになりました。石川さんお願いします」と。ただもともと音楽をつけないっていうくらいの気持ちでやってたんでいかにもかかりそうなところにいかにもな音楽をかける必要はもうないっていう前提ではじまってるので、必要なところにはどういう音楽がいるのかっていうことなんですけど。ひとつひとつのシーンで狙いが変わってきますが、戦場の一番恐ろしい殺戮のシーンでも音楽がほしいってなったときはとくにどういう音楽をつけてくれって石川さんに言わなかったんです。昔はもっと綿密に音色まで伝えたりしたんですけど。石川さんのイメージではもともとこの大地はもうちょっといいことに使われてもいいはず。大自然なんだから。なのに何でこんなふうにいろんな若い人の血を振りまかれてこういうかたちで使われなきゃいけないんだっていうその思い。悲しみとか怒りとかじゃなくてそういう不条理な思いを音楽にしたってことです。明るい曲にしたつもりはないと思うんですけど、ただおどろおどろしいとか禍々しいっていう意味じゃなくて、なんでみんなこんなに若い人がこんなことになっちゃうんだろうっていうひとつの気持ちを込めてつくったということをおっしゃってました。」と明かしました。

続いて「フィリピンのロケ地の選び方とか現地のエキストラの方の選び方、演出の仕方だったりとかそういったエピソードを教えてください。」というご質問。塚本監督は「コーディネーターさんをまともに頼むと大変なことになちゃうんでどうしようと思ってたときに日本でフィリピンのことをよく知ってらっしゃる方と連絡がつくようになったんです。実際はフィリピンのレイテ島ってところの物語なんですけど、レイテ島に(コーディネーターさんの)知り合いがおらずもうちょっと南のミンダナオ島ってところで撮影しました。ただあとで聞くとミンダナオ島って結構いまだに危ない場所で。相当危ないのでとたくさん注意を受けて撮影することになりました。現地の人は撮影する場所にまず行ってその場所にいた人に集まっていただいて、申し訳ないんですけどこちらで映画にふさわしい雰囲気を持ってらっしゃる方を選ばしていただいて、演じていただきました。結構重い演技をしている最初に田村一等兵と犬小屋の前で出くわしちゃうフィリピンの人はドライバーの人で、教会で撃っちゃうフィリピンの人は(現地の)コーディネーターの人です。お二人とも誰でもいいやって選んだんじゃなくて結構ベストキャスト。妥協しないで灯台下暗し的に目の前にいらしたみたいな感じ。演出に関してはプロの方もそうでない方も自分はもう分け隔てせずになるべく丁寧に一生懸命やりたいことを伝えていくという。その都度その都度ひたすら一生懸命やるだけって感じでした。」とエピソードを述べました。

最後にカメラに目線をいただいて写真撮影をしトークは終了しました。

シアターセブンさん、ご来場のお客様、ありがとうございました!

シアターセブン
https://www.theater-seven.com/

7年目の『野火』上映記録
8/21(土)~8/27(金)
8/22(日) 上映後、塚本監督オンライントーク
 
 

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