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2021年8月14日(土)・塚本監督オンライントークレポート@シネマスコーレ

7年目の『野火』この日の塚本監督オンライン行脚3か所目は名古屋のシネマスコーレさんです。名物副支配人・坪井さんの流れるような進行でオンライントークを行いました。毎年大事に『野火』を上映いただいてます。

2021年8月14日(土) 13:15の回上映後
会場:シネマスコーレ
MC:坪井副支配人

毎年欠かさず『野火』を上映してくださるシネマスコーレさんです。昨年に続き坪井さんのMCでオンライントークを行いました。スクリーンに登場した塚本監督は難しい状況の中お集まりくださったお客様に感謝を述べ「早7年目、6周年たっぷりたったという感じで7回も『野火』を上映くださる映画館がいらっしゃってくださることにまず感謝しております。奇跡じゃないかということに今気づいておる状態でございます。またお客様も毎年毎年やっぱり来てくださるというのはこの映画が必要だというふうに思ってくださってることだと思います。ますます自分としては不安な世の中になってきちゃってるので何とかこれからもこの『野火』の上映を観ていただけるようになるとありがたいと思っております。」と述べました。この日もはじめてご鑑賞の方が多くいらっしゃいました。
 
(一部採録・再構成・敬称略)
 
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坪井:本当にはじめての『野火』を体験されたというお客様も多いと思います。オリジンな質問になっちゃうかもしれないですが、まず『野火』そのものとの出会いというのはどこだったんですか?原作でよろしいですか?
 
塚本:原作と市川崑監督の『野火』の両方が高校生のときにはじめてです。原作は高校生のときに戦争ものというものをとくに集めて読んでいたわけではなくて、日本の文学をたくさん読んでた中で『野火』がことさらに印象に強く残っていました。文学として素晴らしいと思ったのがまず最初です。一方邦画の2本立てを見せる名画座で並木座という映画館が銀座にありまして、そこでいっぱい素晴らしい日本映画を観ている中に、市川崑監督の『野火』がありました。これもやっぱり強い映画で強い印象がありました。
 
坪井:塚本さんが高校生のときって映画自体には触れていたんですか?撮影されたりとか。
 
塚本:中学校の時に父親がカメラ好きだったので、父親自身のために買った8ミリカメラを横目で見てて。あれがあれば映画ができるのかと。(指をくわえて)こういう感じで見てて。中学校2年のころから習作をつくって、3年生で10分くらいの映画をつくったのが最初です。
 
坪井:はじめて塚本さんが『野火』に出会ったときには映画を制作するということもはじめていたという時期ではあったわけですね。
 
塚本:そうですね。8ミリ映画をつくっていたので、もしかしたら心の奥ではいつか映画化したいなって思ってたのかもしれませんけど。ちょっと大それたことなんで、そこまでの思いに至ったかどうかは当時はわからないです。ただ市川崑監督版の方の『野火』のモノクロのあの強い映像に諸に影響を受けたような8ミリ映画を当時はつくってました。
 
坪井:いよいよ塚本さん映画監督になられるわけじゃないですか。それが多分もう高校生、大学生になってきますよね。
 
塚本:そのときもずっと8ミリはつくってるんですけど、いわゆる劇場映画というのは29歳のとき『鉄男』っていう映画からですね。
 
坪井:だんだん『鉄男』以降、塚本さんは映画を撮っていく中で、どのタイミングで今度この『野火』をご自身でつくりたいというふうに思ったんでしょう。
 
塚本:実はほかの僕の映画とだいぶ違う趣の映画ではありながら、『鉄男』をつくったころからいつかぜひやりたいと。一回映画をつくっていたものだから具体的につくるための算段をし始めて、30代の半ばくらいのときにはプロットを書いたり、いろいろプレゼンテーションも始まるんですけど、難しくて。40代の半ばはもう本当につくろうと思って準備を始めて実際にフィリピンに行かれた戦争体験者の方とフィリピンで遺骨収集をしたり、インタビューをしたりして、(制作を)始めようとしたんですけどお金が相変わらずなかったのでまた先送りになるなんてことを繰り返してたんですね。もうフィリピンに行ったときは最終的につくり始めるまだ8年も前だったんですけどそのときすでにフィリピンの戦争体験者の方は85歳だったんで、話を聞いとかなきゃと思って。でも実際できたのは50代のとき。もうその方々が90歳を過ぎてからやっとできたという感じになります。
 
坪井:撮影自体は2013年の夏でよかったですか?
 
塚本:2013年の集まったのは3月くらいからでモノを作り始めて。後半の半年でつくりました。最初の方はフィリピンに2週間ほど行って、どうしてもフィリピンじゃなきゃいけないものを一生懸命撮って。あとは日本に帰ってからフィリピンにつながるようにいろんなシーンを撮って組み合わせていったという感じですね。
 
坪井:塚本さんご自身が『野火』をつくるにあたって一番大変だったことはなんですか?
 
塚本:この映画は自分のフィルモグラフィーの中で一番巨大な映画になるはずだったんですけど、当時1、2を競うほど貧乏な状態だったので、そのギャップを埋めるものは何かと一生懸命頓智で考えて。自分が出るというのも全く考えてなかった映画なんですけど、最初は今のYouTuberの方のように自撮りの『野火』を撮ろうと思ったところから始まってます。それがだんだんちゃんとしたかたちになって、何とかかたちになったのが今の『野火』です。
 
坪井:塚本さんご自身が出る案ではなかったというところが始まりだったんですね。

塚本:そうですね。僕のほかの自主映画の方は僕が出るのが一番いいって自分で自信をもって出てるんですけど、『野火』に関しては本当に自分の尊敬できる俳優さんに出ていただいて、スタッフも大勢フィリピンに連れていくっていう大がかりな映画を(想定していました)。いつかはそういう自分になってるんじゃないかって信じて映画づくりをしてたんですけど、一向にならなかったんです。もうでも今つくんなきゃと、時期がきたというふうに思ったので、相変わらずの自主映画で無理やりつくったという感じではありました。

坪井:撮影けっこう過酷だったと思うんですよね。一番すっとこう浮かぶ撮影中の大変だったことってありますか?

塚本:僕個人が大変だったのが最初のフィリピン。極小人数で行ってるので。最初自撮りでいこうと思ったくらいですから。でももうちょっとちゃんとしようってことで、カメラも助監督もみんな兼ねてるもうひとりと、壊れたいろんなものを全部直すひとりと、あとフィリンピンのことに精通している方がひとり。あとフィリピン側の運転手の方とコーディネーターの方がいらっしゃって合計で6人です。6人が車の中に乗って、あらゆるフィリピンで撮れるものを撮りました。主には自分がフィリピンの風景の中を歩いてるところ、あとフィリピンの人が写ってるところですね。あまりに少ない人数で、そしてスタッフもキャストを兼ねているので、暑い中機材を山の中に運んで撮影して、何回も走ってっていうのが本当に過酷で。虫も当然いますし、ゲートルの中に入ってかまれて脚も膨らんじゃったりとか。思い出すと、今はもうできないなって感じですね。思いだけが突っ走ったって感じですかね。

坪井:日本に帰ってこられて、映画にこう携わってまだ間もないスタッフさんで結構つくられてるっていう感じもあるんですけど。

塚本:いつも僕の映画は最初はボランティアさんで始まって、みなさん著しく成長して次のときにはプロとして迎えるのですが、(『野火』は)最初は僕以外全員ボランティアさん。ただ彼らは非常に熱心にやってくれたんで、僕自身はストレスなしだったんです。ただいつものベテランスタッフの人ひとりがどんな状況でも手伝いたいといって入ってくれたときに自撮りじゃなくなってやっと普通のカメラになったっていう感じです。

坪井:いよいよ『野火』は完成しまして、2015年の公開でスコーレでも上映させていただきました。1年ごとに塚本さんと『野火』だったりお客様と『野火』の関係性ってどんどん変わっていってると思うんですけど、まず最初に完成した時に『野火』っていうのはどんな感じだったんですか?

塚本:あんなに長い期間かけてつくった映画でありながら何ができたのかよくわからない感じでした。パッと見てみんなが手を叩いて喜ぶっていう映画ではないので、その反応を見るにつけ不安には駆られましたので、全国行脚と言って全国の劇場さんに行ったというのは時代の心配さもあったんですけど作品の心配さもあって。みなさんの顔見てこの映画が何だったのかというのを確かめたくて行ったんです。みんな青い顔してるんで最初失敗かなと思って、いかんと思ってたんですけど。何か月かたってだんだん感想が出てきて、観に来るお客さんがだんだん熱を帯びてきて。わりと最初は大岡昇平さんのファンの年齢の高い方々が多かったのが、だんだん息子さんを連れたお母さんとか若い方々がだんだん増えてきて、ある種の熱狂を持って語ってくれだしたのでだんだん軌道に乗ってきたという。そのおかげで今もこうして続けていけてるというところはあります。

坪井:戦争映画っていうカテゴリーは日本映画の中でやっぱりたくさんつくられてはいるんですけど、なかなか若い方々が観に行く戦争映画って僕もあんまり経験はなかったんですよね。『野火』はちょっとやっぱり違っていて例えば学生さんとか若い方で『野火』を観て戦争を知るって方多かったと思うんですよね。そのあたりどうですか?

塚本:それがあるのでやっぱりやってよかったなと。つくったあとに一番やってよかったなというのはそこのところがひとつ大きいですね。本当に若いそれこそ中学生の方が作文を書いて見せてくれたんですけど、それが本当につくってよかったなというような感想でした。まったく戦争のことに興味も関心もなかった人が戦争のことを調べるようになったり。あるときには高校生の方が『野火』を観たあとで、実地で自衛隊に一度入隊してみて一回体験してまた戻ってきて、「自衛隊を体験していろんなことがわかりました」とある年にお礼を言いに来てくれました。

坪井:どうして若い方まで届いたと思いますか?僕は映画館にいてやっぱりひとつそれは驚きだったんですね。毎年8月になると何本か(戦争をテーマにした)新作が生まれてくるんですけど、なかなか実写の作品てミニシアターで公開できなくて、どちらかというとドキュメンタリーで戦争を伝えるってことを僕らも毎年やってきた中で塚本さんの『野火』ってもちろん実写映画なわけじゃないですか。そうなるとやっぱり年配の方って言ったら変ですけど戦争ということに関心がある方っていうのを知っていたので、そこで大きくなる作品だと思ってたら違ってたんですよね。もちろんその関心のある方も必ず見ていただいてて、本当に毎年そうなんですけど、今日もそうなんですけど、若い方が一度劇場で体験しておきたいって思う、それはちょっとすごいなって思うんですよね。

塚本:僕自身が実は戦争が終わってたった15年ぽっちしかたってないで生まれた割には高度成長期で大人たちも戦争から離れよう離れようと思って働いてた時代なんで戦争の面影がまったくなかったんですね。だから今の若い人たちが戦争のことを言われてぴんとこなかったりとか、もっと言うとアメリカと戦ったことさえもあまりよくわかんないとか、その感じにすごく近い人間で。社会なんて僕成績2じゃないですかね。そのような感じのぼーっとしている自分なのでこういう方々の気持ちが非常によくわかるというか、選挙になかなかめんどくさいから行かないっていうのもわかるというか。そういう人たちにはなんかやっぱり戦争のことをあまりこう勉強ぽく、あるいは過去のちょっと怖いこととか暗いことみたいなことで言うよりは、極論映画っておばけやしきに行って、なんかもうジェットコースターに乗るような体験ができるみたいよみたいな興味の入り口に入っていただいて、出口のところで何かしらのことを想っていただければいいかなっていうような、感じはあるにはあったんですけどね。

坪井:今塚本監督がおっしゃられたように多分その入口が広かったっていうのはかなりあるんじゃないかなと思いますね。とにかく一度観てみなよっていうところじゃないとなかなか若い人って動きにくいと思うんですね。映画を観るときにもやっぱり抵抗がある方いらっしゃいますから。映画ファンではない方で来ていただける確率の方が高いっていうのはやっぱりその広さはあったのかなと思いまして。今回7年目の『野火』ということで7年目の『野火』っていうのは塚本さんにとってはどのような存在だったんでしょう。

塚本:戦後70年の年に最初に上映した時にはちょっとまずいっていう時代の空気とかを感じて上映してなんとか間に合った、すべりこんだって気持ちがあったんです。でも戦後70年のときにはある盛り上がりを見せて、日本が戦争に近づいてっいっちゃってるんじゃないのみたいなことで、国会のまわりにも人が多く集まったりするんですけど、70年て数字的にきりがいいからそうなったんですけど、71、72ってなったらその盛り上がりが消えちゃってるんです。では心配はおさまったかっていうともっと不安な方に向かってるわけです。その1回のお祭りで終わっちゃっていいはずではないっていうのは強く思っていたので、なんとか毎年毎年やっていただくことが大事で。今はちょっと日本が戦争できる国になるのはそのレールをまげることはできないくらいのとこまできちゃってるので、あと多分3年くらいの目安じゃないかなと思うんです。憲法とかがこうかわって。最初のうちはゆるやかに自衛隊という名前をなんとか入れながらそれが国防軍ていう名前に変わるのもそう長い時間の問題じゃなく、ある種の決まったレールの上を走ってるくらいなので。ただそのときにもう1回よく考えてもらう材料の破片のひとつにしてもらいたいっていう気持ちがどうしても強くあります。

坪井:コロナもあってここ2年くらい『野火』の意味がまたかわってきてるとは思うので、10年目の『野火』ってなったときにはまた本当にどうなってるかっていうことにはなりますよね。

塚本:この『野火』がちょうどできたころにフィリピン(の戦争)に行かれた方はほぼご存命の方々を見つけるのがちょっと難しくなっちゃったのですが、今は戦争体験者、兵隊には行ってないけど大きな被害を受けた方とかはまだご存命だからその方がいらっしゃるうちはまだ抵抗感あると思うんです。そういう方々がいらっしゃらなくなってくると、頭で考える風になっていっちゃうんで、そうするとちょっと今の世の中の状況だったらやらなきゃしょうがないじゃんみたいな意見の方が強くなるので、そのときがちょっといよいよ大変かなって思っています。

坪井:『野火』は引き続き夏には絶対上映したいと思います。

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シネマスコーレさん、坪井さん、ご来場のお客様、ありがとうございました!

シネマスコーレ
名古屋の映画館シネマスコーレ (cinemaskhole.co.jp)

7年目の『野火』上映記録
8/14(土) 1日限定

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