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春巻きと腹巻の類似性

こんな記事を読んでくれたあなたにだけ教えよう。私は今ふざけている。

上の問いに答えるならば、答えは一瞬で出る。
何かが何かを巻いているという構造にある。
というのは誰もが考えればわかることであろう。
これで終わりではあまりにもつまらないため今回は次の問いに答えることにする。

巻くとはなんなのか

巻くという行為について考えたい。布や海苔などの巻くものを想像してほしい。ここで巻かれるものが直方体の形を成していたとする。つまり角ばっているということだ。これを布なりなんなり巻けるもので何度でも巻いていく。すると何十回、何百回も巻いているうちに必ず角は丸みをおびていき、巻いたものの切断面を見ると楕円の形を形成することとなる。

よくよく考えると生命は角(かく)をもたない。ここで言いたいのは生命すべて丸みを帯びているということではなく、端的に言うならばさいころの形をした生命体が存在しないということだ。直方体、立方体、ひいてはまっすぐな線というのは人間によって生み出される。

楕円、円の形というのはこの世界の理であるということが言えよう。地球も球体であることだし。もう少し脱線したい。

なぜ人間は角(かく)を生み出したのか?

なぜ人間は角を生み出したのだろう。古きに遡れば三角形は紀元前の時代から存在していたという。かの哲学者プラトンはイデアのみが知のめざすべき時空を超えた・非物体的な・永遠の実在・真実在であり、このイデア抜きにしては確実な知というのはありえない(ウィキペディアより)としたイデア論を提唱した。つまり人間はこのイデア界で三角形の形をすでに知っていたとされるのである。

 私は人間が空間認知という先天的な能力を宿しているからだと考える。加えて言うならば人間は「ない」を「ある」に変えることのできる、つまり無秩序から秩序を形成することのできる生物である。したがって空間認知によってまっすぐな線を描くことができそして自ずと角の概念も表出してきたのではなかろうかと考える。(まっすぐな線を2つ交わらせると角ができることから)
このまっすぐな線は、石器をつくれたことから、人間が空間を認知することで線の概念が自ずと生まれたことにより現出したと考えられる。

話が逸れたので本題に戻ると巻くという行為は巻かれるものを補強するために巻くことが大半である。考えてみれば当たり前のことだが円の形が力を受け流しやすい性質を持つことから、巻くという行為と補強するという行為は実に表裏一体なのではないかとも考えた。

すなわち具をまとめるために春は巻かれるのであり、寒さから身を守るために腹は巻かれるのである。

ふと思いついて見切り発車で書いてみたが、脱線したことも含んでそれほど悪くはなかったようにも思えた今日この頃である。









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