PIUS communicationと声について:よい協力関係を築くために

'The more clearly and "PIUS-ly" you communicate your requests and plans, the easier it will be for your loved one to cooperate.'
  —— Meyers & Wolfe (2004)

Meyers, R.J. & Wolfe, B.L. (2004) Get your loved one sober: alternatives to nagging, pleading, and threatening. Minnesota: Hazelden Publishing (邦訳:『CRAFT 依存症者家族のための対応ハンドブック』松本俊彦監訳、金剛出版、2013年) (原書の一部はGoogle booksで閲覧可能) のなかで、"PIUS"というコミュニケーションスタイルが解説されている。邦題にあるように、もとはアルコール依存症等の依存症者の援助者のトレーニングのためのものである。他方、同書の監訳者である松本俊彦の単著 (『自分を傷つけずにはいられない』講談社、2015年) では、自傷行為をせずにはいられない人が、周囲の援助者からの理解を得るためのコミュニケーションスキルとしてPIUSが紹介されている。PIUS styleにしたがってコミュニケーションをとることにより、他者との協力関係が得られやすくなるという主張は、少なくともある程度まではより一般的な場面にも応用可能と思われるので、ここに簡単にまとめておきたい。

PIUSステートメントは、
 (1) Positive
 (2) begin with "I"
 (3) show Understanding
 (4) demonstrate a willingness to Share responsibility for the situation
の四つによって特徴づけられる。すなわち、
 (1) 相手の問題の指摘からではなく、相手の良いところから話を始める。
 ネガティヴな言葉ではなくポジティヴな言葉で語る。
 (2) 「あなた」という対決的、批判的、指示的な含みのある二人称を主語
 にするのではなく、「わたし」という一人称を主語にして自身の気持ちを
 伝える
 (3) 相手の置かれた立場に理解を示す
 (4) 問題の状況に関して自身が責任の一端を背負いたい態度を見せる
のようにまとめることができる。

例えば、(1)のpositive statementsに相当するものとしては、アルコール依存症者に対して「あなたは夜になるといつだってぐでんぐでんに酔っ払ってる」と非難する代わりに「あなたが飲んでいない時、私はあなたととても楽しく過ごせる」と言うとか、「あなたが私に嘘をつくのは我慢ならない」の代わりに「あなたを信じたいのだけど、その話はちょっと奇妙な感じがする」とか、「この自己中、最低だ、わざとパーティーに来なかったんだろう」の代わりに「もしかして今日がパーティーの日だって十分知らせられていなかったかもしれないけど、あなたがそこにいたらなってほんとうに思った」とか、「わたしが話していてもあなたは全然人の話を聞かない」の代わりに「いま話し合っていることのいくつかは気分の良い話じゃないかもしれないけれど、話し合いがうまくいくように協力してくれたら嬉しい」などがあると。(2)の"I" statementsとしては、「連絡もなしに夕飯を外で食べてくるとか、ほんとに自分勝手だよね」の代わりに「私は連絡なしに夕食をスキップされると傷つく」や、「このだらしないやつ」の代わりに「私にとっては、きれいに片付いた家で過ごせることがとても大切なので、自分のものは片付けてもらってもいいですか」など。(3)のunderstanding statementsとして紹介されているのは、「私たちの家計が今すごく心配なんだけど、今日どこかに仕事の応募を出してくれたら助かる」と切り出す前に「今の就活市場で職探しをすることがあなたにとってどんなに大変かって思う、けれど…」などと言うこと。(4)で言われているshare the responsibilityとは、「こんなに口論になってしまったのは私にも悪いところがあったと思う、もっと理解をもつように私も頑張るから、あなたもこのことについて私が言っている側面も見ようとしてみてくれないか」や、「私もときどき過剰反応になってしまうって反省してる。すれ違っているところをなくすために一緒にやっていきましょう」といった態度を示すことである。

以上に例示したものはMeyers & Wolfeの前掲書で挙げられていたものの翻訳編集(怠慢の誹りは免れませんが、訳書をまだ拝見していないことを告白します)であるが、他方の例として、自傷をやめられずにいる当事者が援助者からの支援を受けやすくできるようにとして、松本俊彦の前掲書では下のようなものが示されている(役割語は不要な気もするが、ママとします)。

「いつも私を精神的に支えてくれて、あなたにはすごく感謝しているの(Positive)。それなのに、私ときたら、自傷が全然とまらなくって、あなたがイライラする気持ちはよく理解できるわ(Understanding)。でも、私は、あなたにだけは理解してほしいって思っているのよ、私だって決して好きで切っているわけじゃないし、何とかしたいと思って努力しているってことを("I" message)。もちろん、私の伝え方にも悪いところがあるのはわかっているわ(Share)。あなたがもう少し私の気持ちをわかってくれるようになるために、私はどうしたらよいかしら?」(松本前掲書、177頁)

こちらは援助を求める側がPIUS的なアプローチを周囲に行う場合の一例となろうか。Meyers & Wolfeの前掲書のchapter 9では、HaroldとDeeAnneという二人のコミュニケーションを題材としてPIUSを例示している(当該部分はGoogle Booksで閲覧可能)ので、参考にされたい。普段のコミュニケーションでいつもPIUSの四要素全てを詰め込もうとすると不自然で仰々しい感じになってしまうかもしれないが、衝突の起きたまたは起こりそうなときにこの概念を意識して一拍置くことで、よりよい協力的なコミュニケーションスタイルをとることができる可能性はあるのかなと思う。

PIUS communicationはもっぱら言語的な次元の話であったので、ここで別の観点でコミュニケーションを捉えてみることも無益ではないだろう。精神科医のサリヴァン (Sullivan, H.S.) は、「精神医学的面接とはすぐれて音声的(ヴォーカル)なコミュニケーションの場である」と述べ、「『もっぱら言語的(ヴァーバル)なコミュニケーションの場だ」と述べていないのに注目してほしい」と語っている(H.S.サリヴァン『精神医学的面接』中井久夫ほか訳、みすず書房、1986年、22頁)。サリヴァンは、患者の声に二種類の音調(訓練trainingの声と希みdesireの声)があることを指摘した。中井久夫は前者を「音域の狭い、平板な声」すなわち「防衛の声」「緊張の声」、後者を「音域の幅のひろい、ふくらみのある声」であろうと推測している(中井久夫『精神科治療の覚書』日本評論社、1982年、139頁)。治療者と患者という関係に限らず、面接者が相手の声を聞き分け、相手自身も自分の音調を聞き分けて自分を知ること、そして面接者も面接者自身の声を聞き分けることは望ましいのではないかと考える。支援者の行う「話し合い」においても、お互いが「訓練の声」で話し合ってはいないか、ということを意識してみるとよいかもしれない。特に急性期の患者について言われていたことであるが、語る言葉として適当なのは、一文が短く、漢語が少なく、低いが平板でない音調のもの、ということがあるいはここでも言えるだろうか。中井久夫は患者の家族について「家族の声が次第に『訓練の声』でなくなってゆくかどうかは、家族面接がみのりあるものとなってゆくかどうかの大きな目安だと思う」と述べている(同書、141頁)。

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