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【徒然】無くなったものについて嘆き過ぎない

先日私用で秋田に帰った。
今回は身内に関する私用だったのだが、今年の初めには仕事で秋田に来た。

その時は上司と一緒だったので駅前の居酒屋に飲みに行った。いわゆる秋田の名産を出してくれるところで、外観にもなまはげが飾ってあったり店員も秋田弁全開だったり、料理も酒も良く、観光客にも地元客にも好かれそうなお店だった。

そのお店が全焼したという話を聞いて僕は大層驚いた。幸いその火事で死傷者は出なかったらしいが、その店に行けなくなるのは随分寂しい気がした。

そして、今回その跡地の前を通ると既に建物は取り壊され更地になっていた。

ああ、あのお店にはもう行けないんだなぁと思ったが、その建物の取り壊された更地には看板があった。

その看板には閉店し、火事で迷惑を掛けた旨の謝罪と励ましをもらったことに対する感謝。そして、他にも秋田の郷土料理を食べれるお店があることを伝える地図が載っていた。

確かにそのお店は無くなってしまったけれど、次に向けて動いている足取りを感じることが出来た。

時に、何かが無くなると後ろ向きなタラレバが出てくる時がある。

あの時こうしていたら、もっとこうすれば…

それは今回の件のように物理的なお店かも知れないし、大切な誰かかも知れないし、大きな岐路での選択かも知れないし、必要なお金の場合かも知れない。

人間だもの、多少の嘆きや落ち込みまで否定することはないと思う。けれど、過度な落ち込みや嘆きが続き過ぎると、過去を否定したり、現在を受け入れられなくなったり、未来に悲観的な想いしか持てなくなったりする気もしている。

だから、ある程度のところまでちゃんと悲しんで寂しがって不安になったら、そいつを一旦切り上げたて次の一歩を踏み出したいなと思っている。

もちろんそんなに上手くいくことばかりではないけれど、少なくとも僕はそんな風にありたいと思っていたりするのである。

#日記 #エッセイ #徒然

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