余命
備忘録。
8/4
妹が子供を連れて帰ったその日の夜から、反動かわからないけど疲労とノドの痛みがある。念のために熱を測ると36度台。普段の平熱が低いのでこれだけでちょっと警戒心を持つ。念のため早めに寝る。
8/5
熱下がる。両親ががんセンターへ。車を出す予定だったけど大事をとって不参加。母の妹が代理として車を出してくれた。昼頃に起きてシャワーを浴びる。
14時過ぎ
見知らぬ電話番号から電話がかかってくる。普段は出ないけど番号を検索したところ、がんセンターからだった。電話に出ると担当してくれた先生だった。診察を終えて帰った後に、個別に僕に連絡をくれたとのこと。体の衰えから抗がん剤の投与が困難になったのは承知しており、それに付随して永くないというコトも覚悟はしていた。
よって、これから言われるコトも覚悟していた。
先生はとても丁寧に、そして遠回りに、慎重に言葉を選んでそれを伝えようとしてくれていた。それがわかったので「余命のコトですか?」と先に尋ねた。「はい」と答えた後も、先生は言葉を慎重に慎重に選んでくれた。
そして「目安として、余命数ヶ月」と言われた。
詳細にわかるコトではないけれど、1年というコトはないらしい。そしてイレギュラーが起きた場合もその限りではないというコトも伝えてくれた。その数ヶ月が1ヶ月なのか、6ヶ月なのかはわからない。それでも余命は決まってしまった。先生は本当に穏やかに、丁寧に説明をしてくれたし、こちらを慮ってくれた。伝えるコトへの抵抗も相当にあったと思う。いいづらいコトを伝えてくれたコト、今までの治療に感謝をして電話を切った。
心の準備はしていたし、両親や妹のコトを考えれば僕が一番矢面に立たなければいけないコトも承知している。だからこそ心はできるだけフラットに、と考えている。けれどこうして文章として吐き出している時点で僕も動揺はしている。覚悟を決めたコトとそれを実際に受け止めるコトは別問題だ。覚悟100で待ち構えていて120のものが飛んできたら、余りの20はダメージを受ける。
今回のその20のダメージというのは、「余命を知っているのは家族で僕だけ」というコトだ。先生曰く、両親の精神状態から余命宣告はやめにしたらしい。それでも息子さんだけには…というコトで電話がきたわけだ。遠くに住んでいる妹には伝えてもいいか、という質問に関しても「おまかせします」というコトだった。妹に話すにしても、ちょっと慎重に考えなければならない。じわじわと動揺してきているのを感じ、noteに備忘録として記録。
14時40分
どうにも抱え切れず、事情をよく話していた地元の飲み友達のおっさん、数年前にお父さんを同じくがんで亡くした友達に連絡をする。友達からはすぐにLINEの返信がきて、色々と励ましてくれた。ありがたい。
…というコトがあった直前の、13時30頃。氏神様にお百度参りを始めたところだった。毎年年始にはお参りに行っているから、「こんな時だけ調子よく来るな」とは、どうか神様、思わないでほしい。
余命数ヶ月の「数ヶ月」が1日でも伸びるコトを願っている。
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