「お父さん」と何十年かぶりに呼んだ

余命いくばくもない父が体調を著しく崩して入院した。

痛みはないものの、とにかくだるいのだそうだ。妹が帰郷した際に心の堤防が決壊したようで、ひっそり泣いているらしい。そんなわけで病院にかかるコトとなり、病院も受け入れてくれた。

その手続きをする際、両親と離れた場所にいた僕は看護師さんから個別に呼び出された。診察が終わった後の診察室に再度通されると、「思ったより病状が芳しくない」と。

まだ仮の段階だが、このまま進行すると「9月末くらい」という事実を聞かされた。先に伝えられた「余命数ヶ月」が随分と縮んでしまったが、もうこれでもかというくらい腹は括っている。

この入院が、もしかしたら親父とまともな会話をするラストチャンスかもしれない。快方に向かえば良いのだけど、それも薬次第。あとはもう気力だと思う。病院は本当に手をつくしてくれたし、こんな状況下でも受け入れてくれたコトにも感謝している。

本当に気持ちの問題だと思う。いや、本当は気持ちの問題とかじゃないのかもしれない。しれないけれど、そういう未知の人間の気力みたいなものを、もう少し信じたいのだ。

以前、難病に冒され余命あとわずかと宣言されたドラゴンボールファンの子供が、野沢雅子さんからの応援メッセージを受けて、新作映画が上映されるまでの間を生き抜いたという話を見た。こういう話を聞くと、俗な言葉だけど奇跡だって信じたくなる。

コロナの関係で家族でも病室にまで入れない。つまり、妹がもう一度親父と会うためには退院するしかないのだ。

望みは薄いのかもしれないけれど、僕や母と会話しててもちっとも泣かない親父が、妹のコトになると滂沱するのだ。実際、妹が入院の直前に電話をかけてきた時も泣いていた。2人の関係は2人にしかわからないし、息子の僕と違って娘にはまた特別な感情があるのだろう。だから、何度も伝えた。気力とか気持ちの問題になってくると。どのくらい伝わったかはわからないけれど、何度も伝えた。

待合室で看護師さんとやりとりをした後、病室へ促される直前に、親父は母と僕と握手をした。

「お父さん、気持ちを強く持ってな」

そう握手しながら方に手を回すと、「まあもう3回目だしな」とそっけないそぶりで病室へ向かっていった。信じたい反面、もう会えないかもしれないという気持ちから、十数年ぶりに「お父さん」と呼んだ。

ちょっと恥ずかしかった。

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