自分を表現して生きる③

最終回です。

ここまでお読み下さりありがとうございます!

でもそうすると、
どれが本当の自分なのかわかんなくなったり、
どれが本心なのか分かんないっていうことになるわけですよ。

私は今は結構、
自分の感情とか仕事かとか、かなり向き合ってるっていう感じがあるから、自分の状態がよく見えている。

だから、嫌われたらどうしようとかも思わないです。嫌われたら嫌われたでもしょうがないかなっていう感じもあるし、

私はライブ配信をしていたり、リアルなブログを書いたり(最近ブログは毎回じゃないけど)
例えば SNS で表現として言葉を書いたりとかしますけど、

やっぱり最初の頃とかは
アップするにしても、なんか変に思われたらどうしよう。とかすごい調子乗ってると思われたらどうしよう。とか何か変なやつとか、
昔と全然変わっちゃったじゃん。とか思われたらどうしよう、どうしよう、ってすごい思ってる時期もあったんですよ。

でもそれは、
ほとんどなくなっちゃったんだけどね(笑)

あのねやっぱり人って人の目が気になっていて、
なんか嫌われたくないとか変な風に思われたくないとか、
あと誤解されたくない、誤解されたかな。いっていうのが本当にあって。。。

本当の自分でありたくても、
SNS とかそういうものを使ったりすると
ママ友や友達が見ていたりする。

関わりがあんまりなくっても、
ちょっと私を知ってる人とかも見れたりするから。

なんかその感じがね。

だからライブ配信を始めるってなった時に、
もう無理だなぁと思っても、
かっこつけてるな。とか思われるな。
みたいなのがあったんだけど、

やるならもう無理だと完全に降参したんだけどね。

だから楽にはなってるんですけど、
でもやっぱりフェイスブック見たいなとか使う時になんかその意見は間違ってますよ。
って言われたらどうしよう?とか
だから避難されないために、それ間違ってますよとか言われないために

私は正しいことを発信しなければいけない

とか正しいものを表現しなければいけないってずっと思ってたんです。

だけど希望とか正しいことを表現しようって皆思いがちなんですよ。

大抵の方は。

だから人間関係の中で、
このやりとりの中でこういう質問に対して、
あれがそれが正しかったってことね。
とか不正解とかないんだけど、
この場で言うのは
これが正解かなとかあるじゃないですか?

職場で上司との会話の中だと、
これが正解っぽいなとか、
ママ友だったらママ友の会話の中でこれが多分ベターとか正解って言われる答えだな。って言われるような模範的な答えをいう。

正しさっていうのを皆持っていて、
やっぱり間違っちゃいけないって思ってるから正しさっていうものを求めてるし
なんか当たり障りのない答えを選ぶ。
みたいな日本人独特の感じ。

けど、
もしかしたら楽しさっていうものを自分の主軸にしていたら、
自分がどう思ってるか?とかどう感じているか?っていうことではなくて、
自分がどう思ってるかとかより表現を選択しているってことになるから

なんかね、
上っ面の関係性みたいになっちゃって結局
模範解答しかみんな選ばないような会話の仕方してたりしたらつまんないからね!

正しさっていうものを求めてしまっていたっていう話ですけど、
やっぱり SNS とか発信してたり、ライブ配信とかでしゃべってることを、
私が
正しさっていうものを主軸に話していたりするとめちゃめちゃつまんないと思うんですよ。

ただ
例えばらしさっていうのは、
正しさとか母親としての正しさとか、 
その正しさって言われるものって概念なんですよ。

どういうことかって言うと、
女とは何々とかあるじゃん?
女とはこうあるべきとか、
愛情深さを持っているべき。みたいな。

だから概念ってのは結局呪いね。

こうでなければならない、とかこうするべき、
みたいななんかこう縛る呪縛とか呪いみたいなもん。

だけど結局、
正しさを大切にしていると自分で自分を縛るっていうことになっちゃうから…

ライブ配信で言ってることは、 
私の人生の中で入るお金の問題とか人間関係、夫婦関係とかいろいろ、うまくいかないことが本当にたくさんあってその中で経験してきたもので
こうやってやると上手くいくよ。っていうのを知らしているだけだから。

別に話してるだけだから、
その都度その都度、
その人にとってね!
私は納得いきませんでしたとかね、
もしかしたらあるかもしれないけど。

でもそれは私の場合、そう感じるんですねっていうことで終了するんです(笑)

何を言われてもいいし、
どう思われても怖くないから
ライブ配信ができているんですけどね。


例えば
海は青いものじゃなくって水色だって思ってる人とかからすると青だと間違ってるじゃんと思うかもしれないですし。

でも私が見た海は青だったからって感じじゃないですか?(笑)

その人が、「見ている海は水色」っていうのが怖いとしてあったり
いつも見てる海が水色だったら、やっぱり違う側面で見ていたりするとやっぱり違うじゃんとかね!

そんなのどうでもいいんですよ。

私の言ってることが正しいとか言ってるわけじゃなくて、

全部鵜呑みにするとかじゃなくて、 
例えば、私のライブ配信なら
へ〜世の中をこう見るんだ〜とか、
楽になるんだとかへーとかって感じで見て欲しいし聞いて欲しいんですよ。

だから、


いろんな視点を入れてみる。

そうするとこうなんだ自分の生活の中にちょっとスパイス的に取り入れようかな!みたいなことができてきます。

そうするといつもより楽に過ごせるな、とかいつもより感情のコントロールができるな、みたいな感じになると思う。

楽になると思います。

私は鬱だった時ね、
借金が凄かったとか仕事がうまくいかなかった時に、「私みたいな人がいてくれたらすごい救われたな」って思ったんですよね。

なんだ!
そんな考え方して良かったんだ

概念ぶち壊して良かったんだ。とか
正しさっていうものを選ばなくて良かったんだ!っていう風に本当に教えてあげたいなって

もっともっとなんかね、
みんなやっぱり

なんだ人の目を気にして生きてたりするしやっぱり正しさっていうものを主軸に来ているから苦しいんですよ。

みんなやっぱり正しさっていうものを
大事に概念として持ってる気がするけど、
正しいところに自分を当てはめていくとか正しさだけで自分を測るのってやっぱりすごく苦しいので。

なんか母親っていうのは、
こうやってやるのが正解だよね。とか正しいよねっていうのも、
別に誰にも教わってないけどそれが正しさと思ったり。

私は#育児ノイローゼ だったし、
#産後  うつとかにもあったし、子供を愛せなかったんで。。。最初の頃ね。
生物としては可愛いっていう認識があるんですよ。何のことか理解出来るか分からないんだけど、自分で選んだっていう感覚もあるんですよ。
痛かったから、もちろんあの出産の時に痛かったし生まれてからもお世話をしたし、
産後うつとはいえ、お世話してたしミルクもあげてたしオムツも替えてたんだけどね。

どうしても、可愛く思えなくて、、

それは私の精神状態がおかしかったとも言えるんですけど、

可愛く思えないっていうのは
母親失格なんだなとか、母親としての資質が欠如しているんだなと思って。。。涙

誰にも言えなかったんですよ。

もちろん旦那にも言えなかったし、
自分の母親にも言えなかったし、病院の先生とかにももちろん言えなくて。

私異常者だと思ったので、
自分のことお腹痛めて産んだ子が可愛く思えないとか愛してないとか意味が分かんなくて
、、、

私的にも愛したいのに、
しかもこんなちっちゃい生まれたてのちっちゃい子を見ても可愛いって思えない、
この自分の心何だろう?

母親として失格感がすごくその時にあったんです。

しかもママとか出産経験したことある人とかはもう生まれたての子を見て、
可愛いね〜ってみんなそうやって私に話しかけてくるんだけど

その度に、私すごいざわざわして、、、

私全然可愛いと思えないんだけどなっていうふうに、そのたびに追い込まれてて、
また更にそう言われるたびにやっぱりまた言えなくなるわけですよ。

私、子供を可愛く思えないんですって言えないじゃないですか。

そうやってみんなかわいいよね。とか
ちっちゃくても今が幸せだよね。とか言ってくるそういうママの先輩達とかね。

そういう経験してる方々に対して、
本当に一人でなんかどうすればいいのか?

本当に泣き叫ぶ子供と毎日毎日一緒にいて、
だからそれは辛いっていう表現も出せなかったんだけど、家にて何でお前は何も家の事やってないんだ!ってすごい責められて、
こんだけ大変だから。とかこんだけ辛いからできないんだよ。って言えないんですよ、言えなかったですよ

その時は、
何回も何回もそういうことが繰り返し繰り返し起こるわけで、
旦那も何でそんなに家の事が出来ないんだよ!
そんな生まれたての子がいたとしても、
寝たきりっていうか、粉ミルクあげて、オムツ変えて
ねかしてれば寝てる。

何がそんなに大変なんだよ!ってすごい何度も何度ももめてね。

ようやくそれは子供が息子が1歳も超えててだから、
1年とか1年半ぐらい私の旦那にも何も言えなくて、
その時にも泣きながら、
嗚咽しながら号泣しながらなんかホントはこんなに苦しかった。
とか本当はこんなにつらかった。

とか愛したいのに愛せないんだよ。

っていうことは初めて言ってね。

多分、本当の意味では理解できなかったと思うんだけど、
でも初めて私がそうやって表現したことによって、

何で今まで言わなかったんだよ!って言ってくれて
言って良かったんだ。って思ったの。

私が母親としての欠陥があるんだ。ってずっと思ってたから、それを認めるのもしてなかったから、
いえなかったってのあるんですけど。

それを言うのも怖かったしね。

やっぱり全員に理解されることはたぶん無理だし、ライブ配信って結局台本なしでずっと喋ってるわけだから、
私もダメな部分とかこうだから嫌われたらどうしよう。とか思ってたら全然できないわけです。

それを言ったら嫌われちゃうかも、とかそれで言ったら悲しませるかも。ってやっぱりあるんだけど、

でも大丈夫だったり、意外と言ってもそうなんだ無理なんだ、っていうふうに受け入れてくれたりするから。

そうすれば、徐々には理解してくれると思うからその辺を怖がらずにその無理なものは無理って言うこととかね。
できないものはできないっていうこととか、
自分のためでもあるし、相手に幻想を抱かせないためだから。

このようにして行けるって言うのはアーティスト的な自分だけの表現っていう側面でもあるけど、
自分の思いとかね、そういうものがどうなってるかとか無理だっていうものに自分を合わせて本当の思いを殺していないか?とかそういう色んな側面的にその自分を表現して行ける。

まずね、自分だけ表現できるってあってシックな部分とかクリエイティブの部分ももちろん持ってますけど、みんなだけどそこに至るまでにやっぱり自分の感情とか抱えてるものとかをいかに表現できているかっていうことが大事。

感情、抱えてるもの
そういうものを自分で見て、それを出す。
表現するっていうことを徹底的認識していく。

まず自分がその誰かに伝えるって事しなくていいから

自分の気持ちが今どうなってるかっていうのを言葉に出すとか紙に書くとかっていうことで表現してほしいなって思います。

形而上学、宇宙の法則、錬金術、カバラなどの見えない領域をコントロールして現実世界に望むものを顕現させる魔術師であり、錬金術師 無限の愛と富が循環する世界を創る『愛の革命家』、生きているだけで富が湧き出るレディ養成などを行う4歳男の子と0歳双子の女の子をもつ三児の母