障がい者の立場
こんにちは、女子ロービジョンフットサル選手のノアです。視覚障害をもちながらフットサルをプレーしています。
女子ロービジョンフットサルの仲間をつくるため、記事投稿を続けています。
ちょっと疑問がありまして、、、
障がい者=弱者
みたいなイメージありませんか?
少なくとも、当事者の私はそう感じます。
それは、必ず助けが必要だからです。
でも、助けが必要な人が弱者なら、人はみんな弱者になると思うんです。なのに、目に見えて助けが必要なことやできないことがはっきりしている人だけが弱者になっている気がします。
この世に誰の助けも借りずに生きていける人なんているんでしょうか。
障害がなくても、苦手なことや避けていることは誰にでもあると思います。障がい者は、その苦手なことが、たまたま生きていく上で必要不可欠なことだったわけです。
そこが大きな差なのかもしれませんが、大元は人間です。もし仮に視覚情報を重視しない社会だったら、私は障がい者ではなくなります。
まぁそんなことはありえないし、もちろんこの世の中全ての人がなんの障壁もなく生きていける社会をつくるのは不可能です。
障がい者といわれる人たちは、みんなが自分の部屋を生活しやすくアレンジするのと同じように、ある程度自分で生活しやすい環境を整える必要があると思います。
ただ、障がい者にとって、自分の居場所をみつけるのは簡単なことではありません。
私はバルセロナの健常者フットサルチームでやっと居場所を見つけました。
簡単なことではないけれど、自分の居場所をつくったり見つけたりできるのは、自分しかいません。
「インクルーシブな社会」とよくききますが、これを実現するためにはマイノリティの当事者がアクションを起こす必要があると思います。そのためには、まずは障害当事者が自身の障害を自分の個性と受け入れる必要があります。受け入れられないままだと、自分は何もできない、みんなに助けてもらわなきゃいけない、などネガティブになって、どんどん窮屈になっていってしまいます。
自分の障害を受け入れた上で、「できること」に目を向ければ、適切な配慮を頼めたり、自分の可能性が広がったりしていきます。
そして健常者の方々には、どうか頼まれた配慮や援助を拒まないでいただきたいです。これは私の切実なお願いです。ズルや楽をしたくて頼んでいるのではなく、健常者と同じように生活するために必要な配慮を断られてしまっては、どう頑張っても生活するのが辛いままです。
障害やインクルーシブ社会などというと難しく感じますが、そんなに複雑なことを言いたいわけではなくて、
障害当事者は、
自分の障害を受け入れる
自分のできることに目を向ける
必要な配慮を自分で頼む
健常者は、
頼まれた配慮には可能な限り応える
ということが大事なんじゃないかなぁ、ということです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?