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中学生の時の夢、1つ叶ったかも

I would like to be a person who create the show of Disney

中学生の時、将来の夢について英語のスピーチをする授業があった。これはその時の最初の1文。

その時の自分は時に具体的な職業なんて思い浮かべてなかった。そもそもどんな職業があるのかも知らなかったし、コレといってやりたいこともなかった。

自分は何をやりたいんだろう。興味のあることはなんだろう。自分の仕事を通してどんな価値を提供したいんだろう。届いた先の人にどんな感情になって欲しいんだろう。中学生なりにいろんなことを考えた気がする。

実を言うと、心の中でやりたいことはあった。
「ディズニーのショーを創る人になりたい」
これが当時の私の夢だった。ただこんなの夢のまた夢の話。自分にできるわけがない。クラスのみんなに、先生にこんな無謀なこと考えてるなんて思われてるの恥ずかしい。そんな気持ちから何度も何度も書くのをためらった。


どうしてこの夢が生まれたのか。
理由は簡単。
ある衝撃的なショーを見たから。


小さい頃からディズニーにはよく行っていた。母親が言うには生まれて初めの遠出はディズニーランドだったらしい。姉が何回かディズニーシーで踊ってた。そのダンスショーを毎年見に行くのが夏休み最後の恒例行事。
小学生の時はそこまでハマっていたわけでもなかった。家族と一緒じゃないと行けないし、絶叫系の乗り物は大の苦手だった。元から身長が大きかったせいで、小学生でも絶叫系の身長基準は楽々クリアしてしまう。周りはみんな絶叫好き。逃げる余地がなかった。スプラッシュマウンテンに強制的に乗らされて前のバーを全力で掴みながら、目なんて開けられずに、ずっと縮こまってた。最後の落ちる瞬間も下を向いていたせいで、バーに前歯を全力でぶつけたこともある。ビックサンダーマウンテンなんて号泣しながら乗ってた。ホラーも大嫌いなのに、ホーンテッドマンションに乗ってる最中隣にいた友達のお母さんに全力で脅かされて、またまた号泣と共に一生乗らないと覚悟を決めた。だから当時の私は、ディズニーは楽しいよりも怖い乗り物ばっかりあるところというイメージだった。最悪。

特に良い思い出もなかったディズニー。自分から行きたいと言うことはほとんどなかった。でも私が中1になったある日、衝撃的なCMをみた。

Once Upon a Time

私と同じ年代の人は覚えている人が多いと思う。シンデレラ城にプロジェクションマッピングで映像が映し出されて、音楽や花火と共に夜のパークを彩るあのショー。人生で初めて、アトラクションではなくショーを目的にディズニーに行きたいと思った。

始まる前から見に行きたかったこのショー。部活も始まって忙しかった日々の中、なんとか休みを作って、始まって1ヶ月後くらいにやっと見に行くことができた。もう10年も前。でもあのショーを初めて見た時のこと今でもはっきりと覚えている。

ざわざわしていたパークが音楽と共に一斉に静まり返る。
映像とレーザーがシンデレラ城を彩る。
知ってるキャラクターと共にストーリーが進み、
音楽や映像に合わせて花火が打ち上がる。
1シーンごとに周りから感嘆の声が聞こえる。
最大級の盛り上がりと共に、エンディングを迎え、
全てが終わった後に自然と鳴り響く大きな拍手。

当時の自分からしたら衝撃的なショーだった。
「感動した」
とはまさにこのことだと思った。

この時私に夢ができた。将来のことなんて今まで特に何も思い描いてなかった私にやりたいことができた。
「私が届けたい感情はこれだ」
はっきり思った。

「人を感動させる」
これが1番難しい感情だと思った。人を笑わせること、泣かせることは、結構誰にでもできる。怒らせることも、寂しくさせることもできる。でも、「感動させる」何をしたら相手をこの感情に連れていけるのだろうか。

そこから疑問が止まらなかった。あのショーに対してもディズニーの戦略に対しても。どうやってあのお城の形に映像を当てはめているの?誰がストーリーと構図を考えてるの?そもそもなんで音楽と同じタイミングで花火が上がるの?どうして何度もまた来たいって思わせる場所を創れるの?なんで帰りたくないって思わせられるの?お客さんの感動体験はどうやって創るの?あんなに混んでいて、チケット代も飲食代も高い、あらゆる場面で待ち時間は長いし、帰りは歩けないくらいに疲れる。なのに満足度が高いのはなぜなのか。もれなく全員がハピネスを受け取って感動体験を持って帰る。中学生ながらに、キャラクターやアトラクションよりもこっちが気になって仕方がなかった。

そこから半端ないくらいに調べた。ウォルトディズニーの理念はもちろん、なんでディズニーランドを創ったのか、歴史もパークの秘密も裏に隠されたストーリーも。自分が感動したあのショーは誰が創っているのか、どうやったらそこで働けるのか。日本語のサイトでは出てこない情報。英語を習い始めた中学生が、必死に英文のサイトを見漁った。

結果的に分かったことは、自分が人生初レベルで持った夢を叶えるのは難しいということ。やっぱりテーマパークの、アニメーションの神様ディズニー。ショーを創っているのは超一流の人。あらゆる場面で結果を出し、世界に認められた人。デザインセンスなんて皆無で、美術で2か3の成績レベルだったけど先生と仲良かったからなんとか4を取ってた自分とはかけ離れた天才たちが創っているのだと。それに気づいてからこの夢を追うことは諦めていた。もう何年間も。


たまたま自分が持ってたこの夢を思い出す機会があった。
BackpackFESTA2023を創ってた時。
のあはなんで舞台チームにしたの?なんで音響選んだの?ある人に聞かれた。その時自分は、元から誰かの感情を動かしたい、自分が届けたもので誰かの人生を豊かにしたい、一生記憶に残り続ける瞬間を演出したい想いがある、そんなことを言った気がする。それと同時に不意に自分の口から、中学生の時こんな夢を持ってたんだよねって話してた。自分でも忘れてたくらい、でもはっきりと思い出した。そしたらその人は、その夢の1個目をBPFで叶えればいいじゃん。って言ってくれた。自分が人の感情を動かすものを創り上げる最初の経験。確かにって思った。とっくに諦めて忘れかけてた夢。またこうやって思い出す日が来るなんて思ってもいなかった。

実際にBPFを全員で創り上げて、どれだけの人の感情を動かせたのか、感動させることができたのか、目に見えてはわからない。
でも、私が誘った知り合いが、「予定あるから途中で帰るつもりだったけど面白かったから最後までいちゃった」って言ってくれた時、私が誘った友達が、「あのイベントきっかけで、この夏初めての海外旅行シンガポール行くことにした」って言ってくれた時、また違う友達が「BPF後の交流会で会った子と今度ヒッチハイクしに行くことになった」って言ってくれた時、なんだか中学生の時の夢が1つ叶った気がした。
違う角度からあの時の夢を追うの、なんかいいかも。

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