善意とか宗教とか精神とか、いろいろ

ピンポンの幻聴が聞こえた時期があった。何時でも幻のピンポンが鳴る。午前3時にピンポンで飛び起きる。ピンポンが聞こえたところで実際ドアを開けて確認することは無かったので本当は幻聴では無かったかもしれないけれど、現実にせよ幻にせよ少し怖い体験ではあった。当時私は会社を休職しており、頻繁に訪ねてくる上司を、というかその訪問の突然さを恐れていた。事前連絡なしに突然上司はやってくる。夜来ることもあれば朝の8時に突然来ることもある。上司にしてみれば親切心での訪問だったとは思うのだけれど、当時の私にしてみればベッドに一日中寝たきりで寝返りもしんどい鬱の絶頂期だったので、その訪問は負担、というより恐怖の対象だった。いつ来るか分からないので常に自分の部屋で構えてしまう。休めるわけがない。そんなわけで上司の訪問を思わせるピンポンが異常に怖くなってしまい訪ねてくれる友人達には鍵を開けておくので勝手に入ってくれと毎回頼んでいた。ちなみに今もピンポンは苦手だ。

どうして突然ピンポンの幻聴を思い出したのかというと、私がたった今調子が悪いからだ。幻と現実の境目がいまいち分からない。「目の前を黄色い小さな象がゆっくりと横切っていますよ」と言われればああそうですかと受け入れる。何が起きても不思議じゃない。不調の大きな原因はおそらく低気圧。私は気象予報士免許を持つ友人に「お天気お姉さん」と呼ばれるほど天気予知能力が高い。天気予報より細かい範囲で「あ、この後雨が降る」とか「雷が鳴る」とかが分かる。体が気圧の変化をものすごく敏感に読み取るので、室内にいようがなんだろうが空模様が分かる。一種の特技にしている。しかし空と通じ合いすぎて気圧が下がると頭痛と鬱が始まるのでこの特技はタダで得ているわけではない。

そして私は調子が悪くなると文章を書く。元気な時は書かなくても元気なので、書いても書かなくても良い。元気じゃない時は体の中のものを外に出さないとどんどん具合が悪くなるので、書いている。毒抜きに近いものがある。自分のために書いている。でも誰かが読むと思って書いた方が楽しいし真剣に書くから、こうして公開しながら一応、文章のていのものを書いている。調子が悪いときの方が量を書くので私のnoteはもしかすると全体的に様子がおかしいかもしれないけれど、私本体は常に様子がおかしいわけではない。読んでくれてありがとうございます。

話があちこち行ったけれど、そう、上司のピンポン。上司は私が休職してすぐに、突然うちに来た。当時私は寝返りもしんどいくらいなので当然人と話せる状態ではなく、ご飯も食べず、お風呂も入れず、カーテンも開けられず、天井を見ていた。毎日何時間も見ていたので今でも社宅の天井の構造を思い出せる。そんな中、突然上司がやってきた。私は元来の性質が居留守常習犯なこともあって1度目のピンポンは無視したのだけれど、2度、3度と鳴り続くピンポンに、「この人私が出るまで鳴らし続けるな」と思いとりあえずベッドからまろび出て四足歩行で玄関まで行き扉を開けた。すると何度か昼休憩に話したことのある上司がいた。ご飯は食べているか、とか調子はどうだ、みたいなことを聞かれて正直に答えると、「じゃあ明日また来るから。キッチンちょっと貸してくれる?」と言われた。普通に今は無理だと言えばいいものを、「いや申し訳ないので…」とか「自分で何か買ってくるのでほんとに大丈夫ですよ…」とか逃げの断り文句しか言えず、結局押しきられてしまった。

さてその押しきられた時刻はおおよそ19時。明日の夜、上司がうちに来る。部屋は1DK。どう足掻いても上司に私の部屋が見られてしまう。普段は私は自分の家を解放して友人たちに勝手に入ってOKとする程度には適当だ。というかあまり自分の家という概念が無いので来客に抵抗は無い。しかしその時ばかりは勝手に入ってOKなんて言えたものでは無かった。その時の私の部屋の荒れ様は、目を見張るものだった。まずキッチンは洗い物で溢れ返っている。そして部屋は、床が見えない。ただ物が散らかっていて床が見えないのならまだ救いようはあるが、救いはない。壁に投げつけて割れたビン・食器諸々、口の開いた大量のゴミ袋、首吊り自殺を図りそのままになっているベッドフレームにくくりつけられたビリビリのロングスカート、ベッド横にこれでもかと並ぶペットボトル、あちこちに転がる栄養ドリンクの残骸、溢れ返った灰皿…おまけに部屋の中でコバエが家族を作ったらしい。らしいというか、目の前をコバエが交尾しながら飛んでいくのを見た。ついでに壁中に破った紙に何かを殴り書きしたものが貼られている。給与明細まで貼られている。助けてくれ。ここは地獄だ。

弁解させてもらうと、私は普段はちゃんと片付けます。部屋も綺麗だし掃除もちゃんとします。お風呂は上がってお風呂掃除する所までがお風呂です。大丈夫です。鬱じゃなきゃコバエの交尾とか見ない。

でも残念ながらその時はコバエの大家族と住んでいたし部屋は地獄だったけれど、これを泣きながら片付けたあの時間は一生忘れないと思う。健康な状態でも片付けるのが大変な部屋を、寝返りも打てない体の状態で片付けたのだから。ゴミ袋の口を一袋閉めては泣きながら一時間ベッドに横になり、ペットボトルを袋に集めては泣きながら一時間ベッドに横になり…という有り様だったので片付けは徹夜となった。徹夜どころか次の日上司がやって来る直前まで片付けていた。コバエは、めんつゆホイホイを仕掛けたら大体死んだ。なんか、一緒に住んでたのに可哀想だった。なんとか上司が来たときには整理はできたけど、それでもキッチンには50本近くの栄養ドリンクのビンが並んでいたし部屋には10袋以上のゴミ袋が積まれていた。ありがた迷惑と言うと人の善意を踏みにじっている気になるが、そもそも「善意」や「親切」は相手の気持ちや状態をおもんばかって行うものでは無かろうか。私はこの上司に対して、感謝しなければ、という気持ちと共になんとも言えない違和感を抱いていた。

その後も上司は毎日、または2日に1回くらいうちに来てご飯を作ってくれたり世間話をしてくれた。私にしてみれば人と会うだけで、なんなら今日は人と会うんだと思うだけで負担だったのでひたすらしんどかったのだが、ありがたいことだと念じていた。今なら、念じてないで正直な気持ちを書き殴れよと思う。一般的な尺度で言えば、鬱で休職した若手社員に上司がご飯を作りに通っている光景は善意の塊であり美しいことなのだろう。けれど、当時私は餓死しても何でもいいからとにかく一人の時間が必要だった。とにかく横にならせてほしかった。ていうか一般的な尺度って何だよ。鬱病は落ち込みとかそういう問題では無い。もちろん精神の病気だが脳の病気でもあり身体症状もある。全ては完全に症状なのでご飯食べなと言われて食べれるものでもないし、ポジティブにと言われてポジティブになれるものでもない。そのあたりを上手く伝える事が出来れば良かったのだが、頭も回らないのでありがとうございますとしか言えない。

また数日後、朝上司が家に迎えに来て歩いて30分程の場所にある内科病院に連れていかれた。上司は精神疾患というものを気持ちの問題と捉え、また私という人間に鬱病という診断を下した病院の判断も疑っていた。私は倒れる直前までそこそこ元気に働いていたし上司に会うと一応笑顔でいたので誤解されても無理はないと思う。上司は鬱で食欲が無いということが理解できず、また実際痩せていく私を見て何か体に問題があるのではないかと考え、内科を受診させよう、という思考になったようだった。私は受信することで鬱病を信じてもらえるならそれで良かったので検査を受けた。結果は、貧血以外問題なしのいたって健康体だった。

しかしこれで鬱を信じてもらえたかというと、そうもいかなかった。上司は自身が以前「鬱っぽくなった」経験のある人だった。自身の経験から、鬱病は気持ちの問題であり、服薬せずとも精神が強くなれば治せる、よく食べて体が強くなれば治せる、という考えで会う度にそのように励まされた。鬱を信じてもらえなかったというよりは、鬱に対する認識が上司と私では異なっていたのだ。「前向きに考えてよく食べれば大丈夫だよ!鬱になんて負けない!」励ましの言葉は最早私にとって凶器となっていた。相手に悪気が無いだけに相手の考えを全く無視することも出来ない。理解しようとする。そういう考え方もあるのかあ、ふむふむ、でも私は全く違う考えを持っている。でも今は説明ができない。頼むから日を空けてくれ。
精神疾患と精神論・根性論は全く別の次元の話であり、そういう論を向けてくる人がいて負担になるのならたとえ相手が善意で動いていようと上司だろうと一旦離れた方がいい、と今は思う。

まあそんなこんなでしばらく上司の訪問は続いたんだけれども、ある日ピンポンに出てドアを開けると玄関先で「私実は○○○○を信じててね…」と言われた。大手の宗教団体だ。上司いわく、○○○○の教えによると、私のような不幸な人間は今後必ずとても幸せになることが決まっているから安心しろとのことだった。そして不幸な人間を助けることが、○○○○において正しく清い行動なのだという。正しい行いをしていると魂のランクも上がるらしい。正直、喉元まで「もう来ないでください」が出かけていた。それは上司が宗教団体の信者だから差別したのではなく、純粋に私が今不幸かどうかを他人のあなたが勝手な尺度で決めないでください、という気持ちと、人が苦しんでいる状況をあなたの信仰に使わないでください、という気持ちからだった。私は考え方の違いや違和感、負担を感じながらも上司の善意を純粋な親切心からの善意として感謝してもいたし、ある程度信用もして相談話をしたりもしていた。ついでに上司がここまでしてくれてるから早く治さなきゃ、と焦ってもいた。それなのに上司が私に関わろうとする理由が宗教だったこと、今更それを伝えられたことに腹が立った。少しは本人の善意だったかもしれないけれど、宗教が無ければ私に関わらなかったんじゃないかな。先に「私は宗教上の理由で不幸な人を見捨てられないので助けます」とでも言ってくれたら、あんなに頑張って上司と向き合うことも無かったんだけれど。だってその善行は上司のためのものであって私のためじゃない。それが最初から分かっていたなら、泣きながら片付けたりしなかったし内科も行かなかったし、相談もしなかったんだけどな。虚しかった。宗教は確かに人を救うだろう。でも宗教は人を傷付けることもできる。でも宗教を信仰する人にとって宗教は正義なので、まさかその正義が人を傷付けるとは思っていない。宗教の為の善意という信者のエゴ故にその人の元を離れると「宗教やってることを言ったら離れられちゃった」みたいな認識をされてしまう。私はどの宗教に対しても「そういう考え方」としか思わないし何を信仰していようとそれが理由で離れたりはしないけれど、宗教が人を傷付ける側面や大勢の人間が同じ価値観で生きていくことへの違和感、勧誘することのエゴについてはそのうち改めて文章にしたい。

それでともかく上司から宗教宣言をされたわけだけれど、私は色々な感情が押し寄せながらも絶対に「宗教の話をしたら離れられた」と思われたくなかったので、結局上司との関係を切らなかった。宗教差別で離れるような人間と思われることはプライドが許さなかった。関係を切るなら上司に「宗教差別云々ではなく、自分の正義が相手にとっても正義かは分からないし善意だってそうだ、あなたのしていることは自己満足的だ」という話をした上で切りたかった。しかしもうなんだか訳のわからない病状になっていたので残念ながら明確な言葉で話し合いをすることが出来ず、最終的には上司の家で宗教解説ビデオを見せられたり突然お祈りセットを渡されお祈りしたりしていた。本当にわけがわからない。たぶんあのまま行ったら知らないうちに入信していたと思う。世の中の宗教にはまっていく人達はこんな感じで弱ったところに流し流されなんとなく正しそうな救いを求めて入信していくのではあるまいか。

ところが私は直後突然スーパーハイパー元気(躁状態)になって生活と人格が破綻したため、結局入信する前に入院した。入院は1ヶ月ちょっとで退院できたが入信すると抜けるのが大変そうなので、いいタイミングでおかしくなったものだなと思う。退院後は上司には会わず、これまでのお礼だけ会社に置いてさっさと退職した。その後も何度か連絡をくれていたが、結局宗教とエゴの話をすることもなく私の方から連絡先を拒否にしてしまった。上司は気持ちの素直な人なので、私から拒否されたことで落ち込んだかもしれない。それでも、もう関わらないという選択を私は取った。もう関わる必要の無い人と意見をぶつけて話し合う気にはなれなかった。好きにやればいいと思う。

一緒に手芸のテレビ見たりするの、楽しかったけどね。お料理美味しかったし、口頭で聞いたレシピ後で作ってみたりもしたんだけどね。

とりとめもない話をしていたら朝になってしまった。そろそろ、雨降るんじゃないかな。

私は正義感も使命感も倫理観もゼロだけど善意と親切と愛はあるので、今後は相手の都合をおもんばかって凶器じゃない優しさを渡せるように自分でも気を付けようー、と思いました。

余談ですが…コバエを大量殺戮する際は、市販のコバエホイホイよりもめんつゆホイホイが強いです。なるべく白い容器、例えばお豆腐とかの容器の底が隠れるくらいめんつゆを入れ、水でちょっとだけ薄めます。それから食器用洗剤を2、3滴たらします。それを置いておくとかかります。寝る時はキッチンの明かりだけつけてホイホイを置いておくと効果的です。彼らは白い容器に反射した光に寄ってきて引っ掛かるので。ちなみにめんつゆの他にみりんホイ、ジュースホイ、ぶどうゼリーホイなど色々作りましたがめんつゆホイが圧勝でした。でも一族根絶やしにすると可哀想になってくるので発生させないのがベストではありますね…

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