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プレステをすんなり買ってもらえたのは母の愛情か!?

お題に沿って昔話なんぞを一つ。

初代プレステが発売されたのは当時高校2年生の頃だったと思います。

ファミコン、ディスクシステム、PCエンジン、スパーファミコンと通って来ましたが、その頃はバンドに燃えていて、いかにかわいい子と出会うかに命をかけてました。

よって最後に慣れ親しんだ据え置き機ソフトはFF6だったと記憶してます。

そこからブランクもあり、プレステも発売当初は食いつかなかったんですよ。

周りで何人かちらほら持ってて、たまにバイオハザードの攻略を耳にするぐらいでした。

ついぞ購買欲が沸点を超えたのは、FF7の発売でした。

ゲーム自体そんなに熱を上げる事はもうないなと思ってたのに、前評判や周りの熱の高まりにあてられたのか、ふとほしくなったんですよね。

恐らく高校三年になってたと思います。

■久しぶりにおねだりしてみたら

うちの両親は古風と言うか、割と厳格な性格なので、テレビゲーム機を買ってもらうなんてのは一大イベントでした。

何日も、それこそ何か月もおねだりしつづけて、不機嫌になりながらやっと買ってもらうみたいな。

ゲームが誰かの仇なのかな?それぐらい思ってました。

そんな幼少期を過ごしたものなので、プレステも買ってもらうとなるとハードルが高い。


高校生ならバイトでもして自分のお金で買えばいいんですが、なんせ熱が一瞬で高まったもので、今すぐにプレステとFF7が欲しい!となってしまったんですよ。

ダメもとで「プレステとFF7が欲しいんだけど」って母親に言いました。

意外な事に、二つ返事で「いいよ」ってかえってきたんです。

これは、当時の自分からしたら超意外。

勉強しろとかテストでいい点とったらとか、そんな話になると思ってましたから。

おねだりしてみるもんですね。

■今でも定期的に聞くフィールドのBGM

その場で数万円もらい、もよりのセブンイレブンに向かいました。

知らない人も多いかもしれませんが、当時はコンビニとタイアップしてて、レジの脇にソフトやらプレステ本体の商品カードが置いてあったんですよ。

プリペイドカードを買う時に似てる感じです。

家に帰って接続します。

ファミコンの時とは違って、赤、白、黄色の端子を接続するだけいい!っていうのも驚きでした。

だいたいファミコンとかって埃っぽいテレビの裏側にまわって、コネコネしながら端子を接続してたんですけど、その作業が不要になったことに感銘を受けましたよ。

時代はここまで来たか・・。なんて一人で関心してました。

起動すると、例の無機質な起動音がお座敷に響きます。

うちの実家はお座敷のテレビにゲームをつなげて遊んでたんですよ。

背後にはガラスケースに入った日本人形、床の間にはどこぞの誰かが書いた水墨画の掛け軸。

目の前にはソニーの技術の粋を集めたプレステと、なんともエキセントリックな空間に仕上がりました。

バンドやってたのも関係あるんですかね、それまでの据え置き機と決定的に違うなと思ったのは、音楽でした。

とにかく音がいい、音楽自体も「こだわってつくったんだろーなー」っていう完成度の高い物だったのを覚えてます。

FF7て全編通して暗いんですよ。ゲームの世界観自体が。

フィールドの音楽もそれにマッチしてて、決してポップじゃないんです。

でもそこが好きでした。

映画で言ったらラブコメはあまり好きじゃないし、スプラッターまで行くと観るのにエネルギーを使う。

セブン」とか「羊たちの沈黙」みたいな、ほどよく頭を使う静かな映画で、少し恐怖が混じってるものが好きでした。

それとFF7のフィールドの音楽って同じベクトルなのかなと。

基本的にテレビゲームはぶっ通しでするんですが、疲れて休憩するときも、わざわざ一度ダンジョンからフィールドまで出て、音楽を流しながらダラッとしてましたね。

今でもたまにYoutubeでかけちゃいます。

■旅立つ息子への贈り物だったのかな?

話は少し戻りますが、なぜ母親はあんなにすんなりプレステ代をくれたのか。

過去のゲーム機たちをおねだりした時は、毎度小言の嵐だったのになぜ今回だけ違うのか?

色々仮説を立てて考えてました。

仮説その①
母親も独自のネットワークでプレステがすごい、面白いと認識した。

仮説その②
周りの家庭もみんな持ってる物と誤解をしてた。

仮説その③
高校を卒業して上京するであろう息子への贈り物。

まあ大体この内のどれかかなと。

仮説①に関しては、友達のママさんたちの間で話題になっていたのかもしれません。

しかし、ファミコンに始まり今までのゲーム機たちの時は同じ状況は起きなかったとも考えられます。

となると、キリよくプレステだけ話題になったとは考えづらいのでこれは却下します。

次いで仮説②、これも①と似ていますが、少なくとも母親の周りの家庭ではみんな持ってたとなると合点は行きます。

元々世間体や、他と違う事をすることに抵抗のある両親でしたから、みんな持ってるならウチにもあっていいと言う発想に至ったのかもしれません。

けど、自分が知る範囲では母親の友達の家庭では絶対にプレステは持ってなかったです。

仮説②も違いそうです。

最後の仮説③。

おそらくこれが正解ではないでしょうか。

確かFF7が世に出た頃って、季節的に寒い時期だったと思うんですよ。

となると、恐らく卒業後の進路も決まってた11月とか?その辺?

後でググってみますが、確か卒業後に上京して専門学校に行く事が決まってたんではないかなと。

一緒に住んでる時間もあとわずか、母親なりにわがままを聞いてあげようと思ったのかもしれませんね。

思えばこの後しばらくちょっとしたわがままはすんなり通る事が多かったです。

一緒に買い物に出かけた際も、少し興味深そうに見てるものは「買ってやろうか?」と言われる事が多かったですね。

■プレステが今までのゲーム機と違った理由

上京時ももちろんプレステは持っていきました。

6畳の1Kの部屋に、姉からもらったテレビとワンセットで鎮座してました。

学校やバイトが無いときは、いつも何かしらのゲームを遊んでました。

FF8の発売もこの部屋で迎えましたし、毎日気が狂ったようにやりこんでました。

更に年月を経て、いつの間にかこの時のプレステは誰かに貸したまま手元に戻ってきていませんが、今回ここで書いた事があったおかげで、ファミコンやスーファミとはまた違った思い出がありますね。

特になんとなく母親の感情みたいなものもくっついてるので、当時遊んだゲームに関しては今でも思い出すことが多いです。

自分にとってプレステは母親との思い出でもあり、上京したての青春を思いだせるものでもあるわけです。

今が退屈というわけではないですが、あの頃も楽しかったなー。

この記事を書いててアンニュイな気持ちになったノーリーでした。

ではでは!

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