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ポイントカード

生きにくくしているのは自分自身かも?

表題と小見出しの繋がりが分かりにくいですよね。
私が生きていく中で勝手に苦しみもがいた経験から誰かの生きるヒントになればと思い書きだします。
嫌いな言動で「○○したのに」「○○してあげた」があります。
自発的に誰かの為にすること誰しもあると思います。
その行動原理が「したのに・してあげた」という気持ち。
根っこになんらかの見返りを求めているように私は受け取ってしまいます。
受け取った方としてはいい気持ちはしません。
日々心掛けているはずの嫌悪する言動を実はしていたのではないだろうか?と気が付い瞬間があり自己嫌悪と頭の切り替えを時間をかけて行いました。

キヅキの瞬間

私事なので皆様が該当するとは限りませんのであしからず。
私は毎朝のルーティーンがあります。
ラジオ体操・犬と散歩・珈琲を入れる・洗濯物を干す・掃除機をかけモップで水拭き・観葉植物の世話・ゴミの回収日にはゴミ出し。
全て自主的に行っている事です。
しかし、あるキッカケで自分の思考回路に負の思いがある事に気づきました。
家庭内でうまく事が進まない時に「毎朝これだけのことしてるのに」という最も自分が嫌う思いがある事に気づきました。
ここでタイトルのポイントカードにつながります。
日々の自分の行動を自己診断・自己評価して数値化していたんだと思います。
自分のポイントはこれくらいあるだろう。家族のポイントはどれくらいあるのかな?みたな感じで数値化できないものを可視化したつもりで勝手に憤っていたのです。
つまりは自発的な行動がいつのまにか「してあげている」という恩着せがましい行動になっていたのです。
気がついた時には自分自身が嫌になりました。
合わせて気が付いたのは自分への過大評価・相手への過小評価です。
身勝手極まりないポイントカード制の実施ということです。

人生にポイントカードは存在しない。

ポイントカードが存在しない事に気づき認めた時から頭の変革につとめました。
言動に見返りを求めない。
自分を卑下することはないが過大に評価しない。
願い事が断られた時に嫌な言動の天秤がはたらくのが嫌なので人を頼らない。期待しない。
常に頭に置いている少し楽に生きる考え方
「すべての言動は自分の為」
誰かに何かすることも自分がしたいから実施していると思えれば見返りの有無や好意的に受け入れられなくても問題なし。自発的に自分の為にしたことなのですから。

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