第2話 朱雀しげると石崎恭子と村人A

 資料や備品が所狭しと積まれ、会議室なのに「倉庫」と呼ばれていた部屋は、置かれていた物がすべて撤去され、質の良さそうなソファと小さなガラスのテーブルに、大きな観葉植物の鉢植えが置かれている。どれも近所のホームセンターで急場しのぎに調達してきたものだろう。ここまで部屋を劇的に変える見栄のエネルギーはとてつもないと朱雀しげるは思う。
 勤めている会社が社員採用のためのパンフレットを作ることになり、朱雀しげるは「社員の声、きいてみました」というコーナーに掲載される社員の一人として選ばれた。人事部の担当は気合が入っているらしく、社長が懇意にしている出版社のライターがインタビュアーを担当することになり、今日はこの部屋でインタビューを受けることになっている。普通人事部の社員が同席しそうなものだが、「話し手の本音を引き出したいから」というライターの意向で他の社員の同席が許されず、部屋にはしげる一人しかいない。何となくソファに腰掛けるのは先方が来てからだろうと思いながら部屋の中をうろうろしていると、朝のニュース番組に出てくる女子アナウンサーのような恰好の女が現れた。整った顔立ちで服装のセンスも悪くないのだが、顔の方向性がどうにも女子アナではないので、しげるはどことなくちぐはぐな印象を受けた。
 「初めまして、こじかコーポレーションの石崎恭子と申します。本日はよろしくお願いします。」
 「JKC総務部の朱雀しげると申します。本日はよろしくお願いいたします。」
 「朱雀さんって芸名みたいですねー、宝塚的な。」
 ごくたまに似たようなことを言われるが、出会ってすぐに言われるのは初めてだったのでしげるは面食らったし、一気に石崎恭子への警戒心が高まった。
 「事前に人事部の加藤様からお聞きになっているかもしれませんが、改めて私から本日の流れを説明させていただきます。最初の1時間は、朱雀さんと私の関係性を作る時間です。パンフレットに掲載する内容にかかわらず、1時間フリートークをします。話題は本当に何でもいいです。原則オフレコですが、面白いと思ったものはパンフレットのほうに反映させるかもしれません、その際は必ず事前許可を取りますのでご安心ください。その後10分間休憩を取って本題のインタビューに移ります、こちらも1時間です。よろしくお願いします。」
 「お願いします。」
 石崎は鞄から小さなノートとボールペンを出し、手元に置いた。
 「では早速フリートークに入りますけど、朱雀さんからは急に話しにくいと思いますので、私から振りますね。ええと、まず私の第一印象ってどんな感じでしたか?」
 「…初対面で名前のことを言われたのでちょっとびっくりしました。今は『あなたってこうですよね』って決めつけるというか、そういう発言にみんな敏感になっている気がするので、ストレートに言う人もまだいるんだなと思って。」
 石崎はすらすらとノートに何か書きつけている。自分の発した言葉がどのように書かれるのだろうとしげるは思う。
 「そうですかー。私は仕事柄色々な方とお会いすることが多くて結構言っちゃうんですけど、あんまり嫌がられたことはないですね。もしかして表に出してないだけかもしれないですけど。この前も別の会社の方と打ち合わせがあったんですけど、力士のフルネームみたいな名前の方で、珍しいからつい言っちゃいましたよ。」
 「…それ、もしかして水戸乃梅昭男ですか。」
 その名前を出してからプライバシーという言葉が脳裏に浮かび、しげるはやや後悔した。そうなんですか、で通り過ぎることもできた会話の中で、なぜ自分は水戸乃梅を知っていると自ら明かしてしまったのだろう。
 「え、なんで分かるの、すごい。朱雀さん知り合いですか?」
 「あ、友人です。」
 「そうなんだー。すごい、世界狭いー。」
 「水戸乃梅はどういう反応でしたか。」
 「どうだったかな、明らかに不快という感じではなかったと思います。というかそう思いたいです。朱雀さんは、言われて正直どうでしたか?」
 「私は…意外とストレートに言われても不快ではない、かもしれないです。新鮮だからそう思うのかもしれません。」
 「それなら良かったです。確かに『あなたってこうですよね』というのを心外に思う人はいるかもしれません。でも、みんな心のどこかで自分を定義してもらいたい願望があるんじゃないかって私は思ってます。だから占いとか骨格診断なんかが流行るし、学芸会の劇だって全員に役名がついてるじゃないですか。村人A、村人B、村人Cみたいに。」
 石崎が急に分析めいたことを話すので、しげるは内心驚き、その後に驚いた自分を少し恥じた。見た目からして今時のふわふわした女だろうと、彼女を低く見ていた自分に気づいたからだ。分析めいたことを言えるから賢いとも限らないのに。
 そんなことを考えているうちにいつのまにか俯いていた顔を上げると、石崎がじっとこちらを見つめていた。しげるが口を開くのを待っているのだ。あ、この人カラコンしてるな、としげるは思った。
 「…今のお話で思い出したことがあります。小学生の時の学芸会で、クラスで劇をやりました。配役の中に『弥吉の家内』っていう役があって、ワンシーンしか出てこないし、台詞すらあったかどうか分かりません、そもそも弥吉が主人公の家の隣に住んでるだけのちょい役だし。でもちゃんと『弥吉の家内』という役が与えられている。それで、誰が何の役をやるかを学級会で決めるんですけど、『弥吉の家内』の番になった時、私の友人が真っ先に手を挙げました。その子以外に『弥吉の家内』をやりたがる子は誰もいなくて、結局彼女が『弥吉の家内』を演じたんです。私はその時、彼女のことをいいなって思いました。」
 「それは面白いですね。個人的な考えですが、朱雀さんは、みんなが興味を示さないような端役を積極的にやりたがる彼女に、純粋さのようなものを感じたのかもしれないですね。ちなみに朱雀さんはどんな役をされたんですか?」
 「私は何の役も与えられませんでした。配役はクラスの半分くらいの人数だったので。よく覚えてないですけど、裏方をやったんだと思います。」
 「では、もし今好きな役を演じられるなら、どんな役を演じたいですか?」
 「何だろう…主役、では絶対にないんですけど、村人Aでもなくて、でも美味しいポジションみたいな…『弥吉の家内』を演じたがっている彼女をいいなとは思いますけど、自分はそうなりたいわけではないんです。なんにも欲のないふりをして、私は村人Aで十分なんだっていうふりをして、心の底では一握りの、もしかしたら主役よりも難しいような、美味しい役にありつきたい、なりたいと思っています。でも本当にそうなりたいのか、世間とかいろいろな情報に流されてそうなりたいと思わされているのか、自分でももう分からない…。」
 石崎は頷きながらしきりに何かを書き続けている。私は何を話しているのだろう。早く仕事のインタビューに移ってほしい。そう思う一方で、もっと今思っていることを吐き出したい、誰かに聞いてほしいとしげるは感じていた。その相手は、自分をじかに取り巻く人間でなければ、石崎恭子でなくても誰でもよかった。


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