自己犠牲をやめられた #22
こんにちは!まどかです🎵
note再開しました。
私のnoteに興味を持ってくれてありがとう!
noteを再開するつもりはなかったけど、いつか本を出版したいという夢があり、それを実現するために小さなことに見えることでも、こつこつと継続した方がいいなと思って、いろいろ考えてnoteに戻ってきました。
フォロワーさんにどう思われるか不安だったけど、私の一度しかない人生だもん。やってみたいことやりたい。
今度は上手くいくかもしれない!
noteとの向き合い方も考え直したので、それも記事にするかもしれないし、しないかもしれません。
ここで約束しちゃうと守る義務が発生して後々ゆううつになっちゃいそうだから、、。noteを書いていて楽しいな!と思える内容を増やす!
これからは今までよりもっと気軽にnote書くことを大事にするね~。
今読んでくれてるあなたも、
気軽に読んでいってね~!
今日は、私がこれまで自分自身とたくさん向き合ったことで得た、気づきを書こうと思います!
自分のことも大切にしたい
私は小さい頃から色々なキャラを場や相手に応じて変えてきた。求められていると分かったら、無知のフリをして馬鹿っぽい言動もしたし、誰もやりたくない役割は埒が明かないので、場を収めるために引き受けてきた。
自己犠牲的なところは自覚していたけど、仕方ないことだと思っていた。
だって誰もやらない・言わない・気づかないなら、気づく私が黙って片づけたらいい話だと思っていたから。
だけどいつだったか、繊細さんに向けて本や情報に触れていくなかで、これって自分がやらなくても何とかなるのでは、と思った。自分が自分一人に何かを押し付けているとは感じていなかったけど、一回客観的に考えてみることにした。
例えば、10人いる集団で1人だけが頑張っている。
やりたくないことを全部そのひとがやると本人は渋々ながらも、やるとなったらきちんと責任を持って、取り組み、嫌な顔も見せない。
誰かが言うべきことを言いたくなくても言って、時には悪役を買い、周りに「ああいうの言うべきじゃない」とたしなめられて、理解してくれるひとがいなくても、好きでやってることだからと自分に言い聞かせる。
そんなことを来る日も来る日も続ける。
それでも周りは「何にも」気づかないで、楽をしている。
それは、社会の在り方として違うんじゃないかと思った。
自分相手であれ、一人に負担を押し付けるのは良くない
皆が社会の一員で、社会を構成している。
なのに、自分という「一人の個人」に責任や負担を押し付けて、上手く社会を回そうとしている。それっておかしいなと思った。
相手が自分なら社会の犠牲を押し付けられてもいいのか。
自分は誰かに苦痛を強いることは避けてきたのに。
自分が何かをパパっと片づけた方が効率が良いからという理由だったけど、実際嫌だと思うことは多かった。負担だとは思っていなかったけれど状況的に見て、負担になっていたのだろう。気づいていなかっただけで、である。
社会は大きな世界のことを指すのではない。
集団も一つの社会であり、学校も、職場も社会である。
そうした「社会」と呼ぶには大げさだと感じられる小さなものが大きな社会を構成するからだ。
そして、自分だけが苦しい思いをするならいいか、と思っていたけど、「いや、私も一人の市民だ!」と、はっとした。
これでは「大多数のために、ひとりを犠牲にする社会」を構成してしまっている!これは良くない!と思った。
そんな社会で上手く回ることを証明してしまったら、まずいのだ。
人手不足だけど仕事を頑張って、自分のキャパを超えて何とか仕事を回していても、上司から見たら案外上手くいってるな、と思われて求人の募集を出してくれない職場と同じだ。
次第に人手不足と言う問題を忘れて、さらにそのひとに多くの仕事量を求めるようになるだろう。
人手不足という問題をひとりで解決しようとしないことも大事なのだ。
できない仕事を積み上げて、こんな状況だから求人かけてくれ!という態度も時には必要だ。
キャパを超えていることに気づかないで、もしくは気づいていても、嫌な顔をせずに常に引き受ける、それが常に正しい選択というわけではない。
しかし一方で、その行為が無駄だったというわけでもない。
他人や場のために空気を読み過ぎたこと、
本当はそこまで求められていなかったであろうことに、
求められている以上に頑張ったこと、
その姿を必ず誰かが見ている。
そのひとに気づきを与えたかもしれない。
そしてその自己犠牲をした経験も、本人のためになる日がやってくる。
その頃の自分は、未熟でガムシャラだったなと今は思うけど、それでも自分は他人の苦痛を願わない人間で良かったと思う。
今もきっと1年後とか未来の私が今の私を振り返ったら、
未熟でガムシャラだと思う気がする。
がむしゃらに生きたっていいじゃないか🎵
自分を大切にする一歩:自己犠牲をやめる
請け負いたくないことは請け負わないこと、
断るときには断る権利が自分にもあることを
意識している。
あと、いいな、と思った言葉を紹介します。
他人にNOを出すとき、自分にYESを出している
という言葉を知って、なるほど~!と思いました。
断る権利を意識するようになったら、断るときに「ごめん」と謝らなくてはいけないような雰囲気を感じて、なんで断るだけで謝らないといけないの?と感じるようになりました。
頼み事をされるのは好きじゃない。
都合のいい扱いをされてきたから。
相手にとっての「都合のいいひと名簿」に私が選出されることへの不快感を感じられるようになったのは、私にとっては進歩です。
まとめ・読んでくれたあなたへ
自分も大切にされるべき社会の一員だと考えることで、自己犠牲をやめる決意が生まれました。
できるひとがやればいいって訳でもないよね。
できるということと好きかどうか、やりたいことか、というのは別の話だからね。
きっとこのnoteを開いてくれた方のなかに、自己犠牲をやめたいと感じている方がいると思います。
あなたのおかげで救われたひとたちがたくさんいると信じてください!
ここまで読んでくれたあなたに、何か勇気や気づきを与えられているといいな。
最後まで読んでくれてありがとう!
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