読書メモ~諸富祥彦(2001)『孤独であるためのレッスン』NHKブックス(前)

「孤独」についてまとまった書籍は,世の中にどれくらいあるだろうか。

高校倫理の教科書に登場するような大家たちは,孤独について述べているはずなのだが,決定版と言える書籍がないように思われる。

とりあえず,図書館で見つかったこの本に手を出した。

ーーーなるほど,私が10年間探し求めていた答えはここにあったか。


本を手に取って

大学教授というものは,自由業に見えてだいたい忙しい。自分にやりたいことの他に,山ほど仕事をしないといけない。少なくとも,私の指導教員がそうだった。

だから,大学教授と言えど,年に数冊も単著もつ著者は何者なのか。ネット通販に氾濫するような,低俗な書物の著者と同類かと疑った。

私は,昔から文芸書には縁が薄く,実用書や学術書ばかり読んでいる。本を手に取ると,まず冒頭部分を読み,次いで参考文献リストを探し,奥付を確認する。

あぁ,この本には参考文献リストがない。

その憂いは,本を読み進めるうちに消えていった。

第1章 孤独は悪か

テレ東系のドラマで『孤独のグルメ』がある。

主人公の五郎は人生が重たくなることはしない生き方をしている。家族や店は持たない。おいしいものを食べることに自分の世界を見出している。台湾版のwebドラマが「おいしいものがあれば孤独ではない」という意味の題をつけたのは「孤独は悪」という概念に立っていない。

著者は言う。

「孤独は,現代をタフに,しなやかに,かつクリエイティブに生きていくために不可欠の”積極的な能力”である。」

しかし,現代の人がどれだけ「孤独」になれているだろうか。

著者は指摘する。

「ほんとうに自分のためだけに使える時間を確保することが,あまりに難しくなってしまった時代であるといえるでしょう。」

2001年の指摘である。現在でも通用するであろう。学校という場で働き,日々雑多な業務に追われている中で,自分のやりたい仕事をやる時間が,完全に私的な時間・空間が,どれだけ少なくなっていることか。

第3章に,このような項目がある。

「1日の3分の2の時間を自分に使っていない人は奴隷である」

ところが,こうした孤独については,相変わらず世間の風は冷たい。

そしてそのことが,孤独な人が孤独という現象に対して「彼ら自身を追い詰め,自己否定的になってしまっている」と著者は述べている。

章の後半では,「孤独」な諸現象について説明される。

「中年の独身」については,結婚は”人生の一つの選択肢”と指摘し,「選択を最も大きく左右する最大の要素は,理想の相手に巡り合えるかどうか『運命次第』である」と説明する。

「ひとりじゃいられない症候群」については,「現代の若者たちの最大の問題は、ひとりでいることができず、思春期・青年期の心の成長に不可欠な自己との対話がじゅうぶんになされないこと」と指摘し,「絶えず、何かの刺激にさらされているから、自分自身を見つけることがない」とインターネットが発達した社会環境に警鐘を鳴らす。

「ひとりじゃいられない症候群」ではさらに恋愛についても論じ,「ほんとうの意味で自分を大切にできる恋愛をするためには、まず”ひとりじゃいられないいられない症候群”から脱却し,ひとりになること,孤独であることを引き受けなくてはなりません。ひとりになって、自分自身の心と深く対話できる人だけが、他者とも深く対話することができるということを身をもって知らなくてなりません」と指摘している。

「孤独」は,マイナスイメージとしてとらえるべきものではなく,子どもから大人へと成長するのに必要なもの,さらに多様化するライフスタイルを説明するのに必要なものとして論じられている。

インターネットと個人についての問題は,長谷川・小向(2019)が「Twitter上での類似性認知が他者への不寛容性に及ぼす効果」において,「コミュニケーションが円滑になる反面,そこでの同質性の追求が,他者に対する寛容性を下げることにつながる」と指摘している。現代の若者はTwitterで同質なつながりをしており,不寛容になっていると指摘しているのだ。

では,この10年間で(私が「自分の創造的な人生の持ち時間」はこれからの10年間ではないかと感じているから)「深い人生」は必要になってくると思われる。

それは,人間が人間である「感情がある」「論理的思考力」を持つためには,それぞれの人が何かの専門家であったほうがよい,そのために物事を「深く」追求する営みが必要になると考えるからだ。

では,「深く生きる」営みが必要になる人間は,人間関係の上でも「孤独」であるべきなのか。著者は第2章でこの答えを出している。

第2章 孤独であるための八つの条件

著者は,深い人生を歩むために必要な「肯定的な孤独」となるために以下の条件を挙げる。

①分かり合えない人とは,分かり合えないままでいいと認める勇気を持つ。

②人間関係についての「ゆがんだ思い込みやこだわり」に気づく。

③自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。

④「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。

⑤「たった一つ人生という作品」をどうつくるのか,絶えず構想しながら生きよ。

⑥ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き,他人を認めよ。

⑦「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている。」そう思える人を見つけよ。

⑧自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中にはぐくめ。

それぞれについて,私の内省も述べていこう。

①分かり合えない人とは,分かり合えないままでいいと認める勇気を持つ。

私は他者を突き放す作業をだいぶやってきたつもりであるものの,それでも「この人は自分のことを分かってくれるだろう」というエゴがあった。要するに,一方的な思い込みをしてしまうのだ。

②人間関係についての「ゆがんだ思い込みやこだわり」に気づく。

「ゆがんだ思い込みやこだわり」は自分自身相当持っている。認知行動療法による改善が必要だと思う。ゲシュタルトの詩は本当に心に響く。

③自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。

二十歳のころに「己を信じよ,己の道を歩め」という言葉を座右の銘にしていたのにも関わらず,すっかり薄れてしまった。「忙しい」で自分自身を片づけて,自分が何をしたいのか忘れてしまっていたのだ。自身が「憑りつかれるほどハマってしまう」ことは何か。そして「ハマる」ものに出会えた時に,自分から入っていけるように,心はオープンになっているだろうか。

④「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。

きわめて哲学的である。著者がハイデッガーを引用しながら語る部分である。これは,高校倫理でも多いに語られる部分である。人間は「死」を前にした時に,真の自己に目覚めるのだ。

最近話題になった「100日後に死ぬワニ」だが,ワニは死を想定していない。一方で読者は死を想定してマンガを読んでいる。他者の「死」に直面する読者が,人間関係の上では「孤独」ではないが自身のあり方を確実に持っているという意味で「孤独」なワニの生き方を見つめているという点で,大きな意義を持ったマンガであったのだろう。

⑤「たった一つ人生という作品」をどうつくるのか,絶えず構想しながら生きよ。

④とともに,私がいままさに,自分のあり方を見つめ,こうして本を読み思索を行うことは,「死」を見据えて「よき人生」を歩むためである。

⑥ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き,他人を認めよ。

他人とのかかわりは,私が極めて苦手としてる部分である。雑談ひとつとっても苦手なのだ。ソーシャルスキル・トレーニングの力を借りねばならない。自分は何を求めてしまっているのか,そして相手は何を求めているのか,それをどのように調整すべきなのか。これから学ばねばならない。

別稿で,他人に対して興味がない人間になってしまっている,と述べたが,これが大変問題となる部分であり,自身ではこれはそうそう変わらないだろうと思っている。となれば,ソーシャルスキルを向上させるよりほかないのだろう。

⑦「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている。」そう思える人を見つけよ。

ここは,私が渇望しているところである。ただこれは相手に依存することではない。自分が思える人を見つける,ということである。これについては,自己肯定感を向上させる本でも述べられている部分でもある。

⑧自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中にはぐくめ。

これが難しい。朝になると自分を否定したくなるのだ。自己を客観視し,自己を癒すには,どのようにすればよいのか。著者は後半でこれを述べている。

(後編につづく)

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