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生まれてこの方音楽推しですっ!!〜音楽を推すとは〜 その1


この記事を読む前に

前回の記事「はじめまして」では全て「です、ます」調にしていたのですが、今回の記事は原稿を「だ、である」調に統一しているので原稿の部分は「だ、である」調になります、ご了承ください。


はじめに

これを読む方でこの題名に驚かれた方も少なくないだろう。なぜなら、一般的に何かを推す対象は人、モノなど、目にみえる形のものとされることが多いからだ。私にも好きなアーティストがいて、アーティストのルックスあるいは言動が可愛いとかかっこいいと思うこともある。

しかし、果たして目に見えるものだけが推しなのだろうか。

私は目には見えない音楽を推すということもありなのではないかと思う。「推し」文化に埋もれて気付いていないけど実は音楽の方が自分にとって「推し」だという人もいるかもしれない。いや、むしろそのような人はかなりいるのではないか。

これを読んでくれている方には、これを読みつつ今一度自分と音楽との関わりについて振り返ってみてほしい。

この記事を書くきっかけ

私は4歳からピアノを習い始め、中学以降オーケストラで活動しつつ、高校からはそれまでとは違ったジャンルである邦楽も聞くようになったが、私の生活において音楽は切っても切り離せない存在であり続けている。

そんな中、私は、大学の授業で思いがけず「推し」とは何かを考えるきっかけを得た。私は最近こそ声優アイドルなどを推すようになったが、やはり人生の大部分において「音楽」が好きであることが多かったし、アイドルとして活動している人たち自身を推しつつも、彼女たちが歌っている曲の方が実は好きなのではないかと思っている。

実際私がよく聞く曲は特定の作曲家によって手がけられていることが多く、作曲家が同じなだけあってそれらの曲の中には何か共通点があるだろうと思った。やはり音楽には2次元、3次元のキャラクターたちと同じくらい「推し」の対象となるものであり、私はその虜になっているのではないかと思っている。

そこで、実際に音楽を推すことは一般的な推し活と比べてみてどうであるかを改めて考察してみようと思う。


音楽を推す、と一括りに言ってきたが、音楽を推すという文言は実は少し曖昧である。私が場合分けを行うとしたら、「音楽という文化活動そのもの」を推すことと、「特定の楽曲」を推すことに二分するだろう。どちらも説明するのは簡単ではないが、まずは一般的な「推し」と比較しやすい後者の方について考察してみたい。

音楽とはそもそも何か

まず、音楽について語る上でそもそも音楽とはどういうものであるかという前提を記すべきなのでここに記しておく。音は物理的に言えば空気中を伝わる(実際には空気じゃなくても伝わるが)波の一種で、目には見えない。
その代わり音を専門に受容する器官が耳である。私が物理に明るくないというのと、今回の話題においては音の物理的性質は少しズレた内容となるので、ここから先は音の物性については深く掘り下げないことにするが、この、目には見えず耳で聞くものであるということに音楽の特殊性があるように思う。

ところで、目には見えない音楽はどのように世間に知られるようになるのだろうか。

音楽が成り立つ3要素には「作曲」「演奏」「鑑賞」があり、このうちどれが欠けても音楽は成立しない。つまり、これらのうち一つでも欠けたら音楽は伝わらない、音楽を世に出すための必要条件なのである。また、これらは明確に役割が分かれているケースが多いので、ここではそれぞれの役割による観点から「楽曲を推す」とはどうであるかということを考えていきたい。

次回の記事もお楽しみに

元の原稿が長いので、一旦ここで区切ることにします。序論で切ってしまうというのをちょっと躊躇ったのですが、文字数的にも1,500字弱になったので以降の内容については次回にお預けという形にさせて頂きます。
次回というより、明日の投稿となると思います。明日は実際に「作曲」の側面から音楽を推すことについて考えてみます。
もしよければスキしてくれると今後の活動の励みになります!!

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