壊れた(嘘つき)機械たち

 自分は(が)自分を知らない。知る術すら持たぬ者との邂逅。悲劇がユーモアとなり果てのない迷宮へと堕ちる。または破綻という結末を迎えるか。無精卵である。性は関係性の中だけで熱い眼差しを向けられる。そしてそれは割れるし割られる、ので、真剣に笑える。犠牲となるのは生命ではない。記憶であり記録でありそれは物語だ。

 ぼくのなまえは××だ。名を奪われる。誰によって?物語がそうさせる?あるいは他者の欲望が。他者は記憶障害と呼び声の2つの線から一つの面をつくる。分身という面だ。彼女に彼女が極限まで近づくのだ(それ以前は変わった入れ物だろうか)。しかし、そこでは「ぼくの名」は必要とされない。「わたしの名」がトリガーとなって影(分身)が無数に立ち現れる。しかしこれは再来ではない。おかしな邂逅なのである。

 家が迫る。非母性の肥大化。いや、それにしては真っ直ぐだ。密室に声は届かない。悲鳴が聴こえる時にはすでにそれは完了している。恐らくここで重要な点は、脱出は殺意に対する防衛ではないということだ。これは日常へ回帰するためのレッスンである。ここでもまた狂気は形を変えて現れる。生き延びの条件は諦め(のふり)だ。その演技をする姿は地球に生還した宇宙飛行士のようだ。ここでは扱わないが、重力に耐えられない存在は数年後一定の強度を持って現れるだろう。一方、日常への回帰が成功した暁には、彼女は不満げな笑顔(彼女の顔に浮かぶ表情は常にそうだろう)でぼくを迎えに来るだろう。

 死体が散乱している。ぼくの知っている人たちだ。死んだのが悲しいのではない。消えて無くなることに悲しみを感じているはずだ。背後には父がいる。ぼくと僕と彼女を狂わせたあの父だ。彼女は痛み分けのため行為を反復する。僕は強迫の念から行為をエスカレートさせる。ぼくは始めと終わりに否応なくメッキが剥がされる。嘘で始まり嘘で終わるのだ。しかし、嘘の嘘というのは言葉遊びの上では逆転するのではないだろうか?

 裁判が始まる。名も無き偽者のぼくは告発することはできない。可能なのは赦すことだけだ。対して、僕は力を持っているが彼女の世界に触れることはできない。暴力は彼女の世界ではじゃれあいそのものである。彼女は好きなおもちゃを選ぶ子どものような無邪気さで決断をする。審判は下った。罪人はどこにもいない。しかし、この世界にまた一体分死体が増える。これは法ではない。ルールでもない。それは気分であって隠れた感情による判決である。ぼくにはあるようでないような、感情による決断なのだ。

 ぼくは死ぬはずだったのにまだ生きている。嘘のようなホントの話だ。夢のようとは思わないが、まさか現実とも思えない。まぁ、嘘だけど。




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