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実家から送られてきた小さい柚子たち

(過去の日記です)

クリスマスも終わり、
お正月も松の内も通りすぎた今日は1月9日。火曜日。
対外的には仕事初めの日にしていたけれど
不安定なフリーランス稼業、まだそんなに忙しくもない。
年の始まりから悲しいニュースが続き、
久しぶりにこのブログを書いている今も
スマホから防災速報ブザーが鳴り余震情報のお知らせが届く。

成人の日だった昨日、
夫のリクエストもありアマプラで「すずめの戸締まり」を観た。
タイトルだけは知っていたものの
物語についての事前情報をなにも頭に入れぬままスタート。
ストーリーが進むうちに鑑賞し続けられるか不安になった。
それでも最後まで観た。
エンディングに向けてのラスト30分ぐらいは、涙があふれて
拭いても拭いても止まらない。
なんてことのない日常が、「おはよう」「おはよう」
「いってきます」「いってらっしゃい」と声をかけあえる瞬間が、
どんなに尊いものであるか。

正直、今もまだ心臓の内側から深く爪を立てられたような
その感覚が残ってしまっている。
映画に関しては、また改めてゆっくり向き合った上で感想など書いてみたいが、
まとまるだろうか。

年末年始に東京から電車で一時間の実家に帰省し、
一月一日、晴れ間が見え始めたお昼頃に庭に出たら
まだまだたくさん実をつけた柚子の木があって
「ここから両親は実を摘んで、野菜やなにやらと一緒に
ダンボールに入れて送ってくれてるんだなあ」と
実感したのだった。ほんわか心があたたかくなった。
そしてその日の夕方、私たちは東京に帰るための荷物の準備も済ませ、
甥っ子姪っ子たちが帰った後の静かな居間でこたつに入りながら
両親と、私と夫の四人でコーヒーを飲んでいた。
その時だった。緩やかに、長く続く揺れを感じたのは。
その瞬間、テレビから発せられる大きな警報音と
家族四人それぞれのスマホからの緊急地震速報のアラームが同時に鳴り響き、
(あ、父はガラケーだ)
何が何だかわからないまま急いで石油ストーブを消した。
後ろに予定があり、帰らなければならないのに、
テレビのニュースから目を離すことができず、
両親を二人だけにすることも不安で、
「ありがとう。また来るね」そう家を出るまで
かなり時間がかかった。

黄色くて、小さい、両親が摘んで箱に詰めてくれた柚子たち。
昨年末、冬至の時期に合わせて届いたそれを使い、
あとでやろう、やろうとそのままにしておいた
柚子シロップを今日ようやく作ってみる。
すでに冬至の日の柚子湯や、いくつかの料理に使ってはいたが、
なんとなくシロップ作りは面倒臭そうで億劫にしていたのだ。
作ってみたら、案外そんなに面倒ではなかったけど。
一週間前のあの日。
柚子の木を眺め、冬の庭で感じたことを胸に思い返しながら
種以外、余すところなく使わせていただいた。
そんな時間を過ごせることに感謝しながら、
今もまだ不安な時間を過ごしている方々を思う。

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