ミュウツーの夢男子になりたい

 今年の夏のポケモン映画「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」、面白かったよな。

 春の映画「名探偵ピカチュウ」と合わせて、国の違いや制作環境の違いはあれ最新の3DCGで見るポケモンの世界は本当に美しかったし、旧作との変更点が少なかった──サン&ムーン世代の子供たちよりも旧作を知る親世代になったポケモンアニメファンに焦点を絞った──ところも良かったと思う。

 などと諸手を上げて賞賛している僕だが、3年以上前にレンタルDVDで初めて旧作を見た時には低い評価を挙げていた。特にロケット団の放つギャグから「まあ1998年のアニメ映画だな……今の流行とは違うな」という印象があった。

 それに物心ついた時にはポケモンが身近にあって半永久的に持続するであろうコンテンツと感じていた僕の視点からは、物語終盤のサトシが石化する展開を見て「まあ子供向けのアニメで主人公が死ぬわけにはいかんだろうから、そこで妥協したんだろうな」と感じていた。

 しかし今年に入って「EVOLUTION」がツイッターでも話題になり、その中で本作の脚本家である故・首藤 剛志氏のコラム「シナリオえーだば創作術」を見る機会があった。
 そこで「ミュウツーの逆襲」制作の裏側に触れ、僕は脱帽した。いち脚本家の見解で観客の感想が左右されるものではないとしつつ、僕の感じていたものが作り手の意図と180度違っていたことがわかってとても恥ずかしくなった。

 そして、映画で描かれるミュウツーのことがもっと好きになった。原作ゲームに登場するミュウツーはメインストーリー攻略後に出会える強力な伝説ポケモンだが、大抵は捕まえたら満足してボックスに置いておく程度で印象が薄い。それに比べればアニメで描かれたコピーポケモンを従える孤高のミュウツーのほうが明らかにキャラクターが起っているし、何しろ魅力的な声をしている。

 映画本編で逆襲が阻止され、特番「ミュウツー! 我ハココニ在リ」では安住の地を追われたミュウツーはどこかの大都市で人知れず生きている。
 あまりに不憫だけど、それがまたかっこいい……かっこよすぎる。僕の心の中の14歳が中二病を発症して悶えている。

「ああ、ミュウツーの夢男子になりたい」

 折しも映画「名探偵ピカチュウ」を見て「僕もポケモンと心を通わせたい」と思っていたところだった。

ポケカでミュウツーデッキを回したい

 ポケモンのいない現実世界でポケモンと友達になる方法は2通りある。ビデオゲームか、カードゲームだ。

 僕は「ブラック・ホワイト」以降のビデオゲームからは「中退」している──オタク活動に「卒業」の二文字は存在しない──。今年の「ソード・シールド」で復学するかはまだ検討中だが、ゲームでミュウツーと相棒になるのは少々手間がかかる────もっとも、ニンテンドー3DSのバーチャルコンソール版第一世代(赤・緑・青・ピカチュウ)からミュウツーを連れてくるとか、伝説ポケモンの使用が許可されるルールのオンライン対戦に挑むとか、所変わって「スマブラ」でミュウツーを使うとか、いろいろ方法はあるけれど。

 カードゲームでは、映画の影響もあってかミュウツーは優遇されている。映画「名探偵ピカチュウ」に登場したミュウツーもいるし「EVOLUTION」の入場者特典として「アーマードミュウツー」のプロモカードが貰えた。ミュウとミュウツーが一枚のカードでタッグを組んだものさえある。

 だが……なんというか、僕はミュウツーとふたりきりになりたいのに、それ以外のポケモンの力も借りないと勝てるデッキにならない(最悪の場合、ミュウツーのカードを抜いたほうが回る)のが不満だった。
 それに再来月(11月29日)スタンダードレギュレーションが変わってまた考えることが増えた。一緒に遊べる友達もいないし、なんだか張り合いがない。

 じゃあどうすればいいのか……………………妄想するしかない。僕とミュウツーの馴れ初めを。

ミュウツーを従えるのではなく、ミュウツーに振り回されたい

 どうしようもない僕のどうしようもない妄想を聞いてくれ。

 そもそも、アニメ版のミュウツーと仲良くなりたいなんて「お前ちゃんと本編見てたか?」と非難されるのはわかっている。ロケット団のサカキに利用され、人間を信用していないどころか超能力で人間を操ることさえできるミュウツーに、凡人が会いに行って何ができるというのか。

 更に言えば「ミュウツーの逆襲」「ミュウツー! 我ハココニ在リ」で発生した事件はほかならぬミュウツーの手によってすべて隠蔽されている。記憶を消されてもなぜかミュウツーと出会ってしまうサトシ一行ならともかく、仮に僕が現在の知識を有したままポケモンアニメの世界に行ったとしても、都市伝説としてのミュウツーの尾ひれがついた影しか掴むことはできないだろう。

 このように、一般人がミュウツーと接触できる可能性はゼロだ。小数点以下の確率があるかも怪しい。

 それでもなんとか出会う方法があるとすれば……それはロケット団関係者でなければならないのではないだろうか。すなわち裏社会に精通し、あらゆる手を尽くしてポケモンを調査・捕獲できる人員の存在だ。
 さらに言えば、アニメのミュウツーは明らかに機械に弱い。ロケット団のカメラや捕獲機器に対し、強者の余裕というにはほとんど押し負けていた。
 仮に大都市の闇に居を構えていたとして、あれから10年、20年と経過してより近代化していく世界の中でどれだけ秘密を保っていられるものだろうか? 透明化能力を持つ「水の都の護神」のラティアス・ラティオスだって怪盗の手であっさり居所がバレたのに。

 ということから考えて、現代のミュウツーは、所謂アイアンマン的な機械のスーツに身を包んでいなければ電子戦に対抗できないと思う。自然の中で生きていきたいミュウツーは絶対に嫌がるだろうけど、そうしないとバレる。

 まあそうしなくてもバレたというケースを用意したいのだが……そもそも、僕はミュウツーと知り合って何がしたいのだろう。
 誰かに自慢する? その圧倒的な力で見返したい奴がいる? それとも、惚れてしまったことに理由なんてない?

 映画「ミュウツーの逆襲」はポケモンバトルの行き着く先を見せた。コピーポケモンとポケモンが、自分で自分を殴る悲しさはストレートに「人間が人間を殴る悲しさ」を見る者に訴えかけてくる────僕にはそう思えた。

 そんな壮大なテーマに対して、僕の妄想などは本当にしょうもないものかもしれない。

 それでも僕は出会ってしまった。ミュウツーというポケモンに。

 つまり……

それは、あなたの頭の中にしか存在しないのでは?

 ここ十年の間に「ミーム」という言葉とその例を目にする機会が増えた。

 例えば日本で大きな地震が起きた時「動物園からライオンが逃げた」というフェイクニュースが流れたことがあった。そこで添付された路上を歩くライオンの写真は、ヨハネスブルクの施設で2018年の1月に亡くなった「コロンブス」というライオンのものだった。下記の記事によれば、周辺道路を封鎖し、通行人が誰もいない環境で撮影したという。

 きっとこれから先も、この写真はネット上に残り、拡散され続ける。ある時フェイクニュースと共にこの写真を見た誰かは、もうこの世にいないライオンの影に脅えることだろう。もしかしたらそのことが原因で重大な意思決定が遅れてしまうことだってあるかもしれない。それがネットミームの恐ろしさだ。

 人は、同じ時間を生きているかもしれないが、必ずしも同じものを見て生きているわけではない。視点のずれ、認知のずれによって2プラス2が5になることもある。それがすり合わせによって修正できれば良いが、時として何かが間違ったまま事が進んでしまうかもしれない。

 つまり何が言いたいのかというと、僕が愛したミュウツーは、僕の頭の中にしかいないミュウツーと言う名のミームなのだ。それはまさに「夢男子」とか「夢女子」という言葉の意味が指し示す「都合のいい恋物語」のそれかもしれない。白馬に乗った王子様(まあ、ミュウツーは性別不明だが……)が私をさらってくれる、というような。

 もっと踏み込んで言えば、僕はその時エスパータイプの雌ポケモンになりたい。ポケモン図鑑には載っていない全く新しいポケモンに。そしてミュウツーの子を産みたい(だから、ミュウツーは性別不明だし、ポケモンの卵は産むものじゃなく見つかるものだろ!?)。

 どんなゲームでも叶えてくれない、僕の妄想を最後まで聞いてくれてありがとう。(終)

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