のがれられない恐怖と情念の物語 ~「怪奇話集 タクシー運転手のヨシダさん」感想
佐野和哉(2024)『怪奇話集:タクシー運転手のヨシダさん』宝島社.
レビュー(ネタバレなし)
豪放磊落な中年タクシー運転手のヨシダさんと、100キロ級の恵体でドアも蹴破れるが超怖がり……でも決して恐怖から目を背けないカズヤ青年がいわくつきの廃墟や呪いに立ち会った短編集。
さっきまでそこにいなかったはずのものが現れ、この世ならざる異界に迷い込み、それでも二人で力を合わせて(よくケンカしながら)怪奇な事件から日常へ生還していく…………あの日までは。
すでに取り返しのつかないことが起きてから、この物語は語られる。忌まわしい記憶を掘り起こすように。懐かしい出来事を思い返すように。
語り部のしゃべりは落語のように小気味よく、または想像力と五感で味わえとばかりにこの世とあの世の間にある生と死の描写がびっちりと詰め込まれる。
愛憎渦巻く人間の情念を「場所」が繋ぎとめ、いましめの解かれる日を待っている。
目の前に浮かび上がる凄惨な修羅場にも目を背けず向き合ったのち、本を閉じると奇妙にすがすがしい読後感が生まれる。
それこそが、恐怖体験から生還した(あるいは、猥雑で軽薄な現世に残された)者の感じる心持ちなのかもしれない。
感想(ネタバレあり)
初読の印象では「三ツ寺(ミッテラ)鉄仮面少女」「日本橋(ポンバシ)漂流少年」の二篇が好きだと思った。
それはヨシダさんとカズヤ君が軽妙に口喧嘩をしながら怪奇なる事件の深層へと足を踏み入れていく感じや、そうした超常的な異界に広がる、時にむごたらしく時に美しいありさまが緻密な筆致によりありありと頭の中に思い浮かべられることによった。
特にFCソフト「MOTHER」のメインストーリーをありのまま書いてしまうという挑戦的なくだりでは、読者である自分もまた和室で友人のゲームプレイを眺めるひとりとなったかのようであり、長年多くの人に愛され続けるというそのゲームを自分でも遊びたくてたまらなくなった(筆者のプレイ記はポテトのMOTHER。マガジンにて公開中)
しかし、それすらも本書の後半部分に対する言わばジェットコースター急降下の前のワクワクドキドキだったのだ、と思い知る。
「二十一世紀の聖域」以後、カズヤ君は禁足地に取り入られそうになりながらもほとんど聞き役に徹するため冒険色こそ薄れてはいくが、読後の印象としてちらつくのはやはりJさんの二重人格がごとき善と悪のグラデーションである。
いったいどのような仏僧の修行が、彼をここまでの人物にさせてしまったのだろう。あの口に出すのもおぞましい肉欲と暴力と恐怖の体験が彼の精神をとことんまでねじ曲げてしまったのだろうけれど、それを上回るような何か〝凄み〟のようなものをJさんはまだ隠しているような気がする。
また非常に映画的というか、解釈の余地があると思ったのは「最後の最後でカズヤ君を救い、彼を叱咤激励したのは誰だったのか」というところだ。
状況証拠から言ってそれはJさんなのだけれど、もしかしたらヨシダさんが助けてくれたのかもしれないと思える一瞬の出来事だった。
「タクシー運転手のヨシダさん」実写化妄想に関する一考察
すでにTwitter(現X)上でひと盛り上がりした感はあるが、自分も本作は比較的アニメやマンガではなく実写向きの作品だと思ったので、本を読み進めながら頭の中で思い描いた人物像を書いてみる。
なお、実在人物の名前は敬称略とする。
・ヨシダさん……三十代後半の頃の松重豊
孤独のグルメで愛されキャラになる前の、と注釈したほうがもっといいのかもしれない。
とにかくも短くした髪をオールバックにした感じのイカツイおじさんだとして、少々荒っぽいけれどユーモアのあるヨシダさんというイメージにぴったりだと思う。
さすがに60代の現在で本作のアクションシーンは難しそうであるため、妄想パワーで若返ってもらった(以降も妄想パワー万能説を発揮する)。
・佐野カズヤ……金髪の山田裕貴に100キロ級まで増やしてもらう
映画「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」で顔を覚えた俳優で、選考理由にはとにかくも「若者」「若造」というイメージが先行した。
ウェイトアップが大変そうだが、まあがんばってもらうとして……。でもこういう人があの場所に閉じ込められて出られなくて大騒ぎするところ、見たい気がする。
・Jさん……60歳の星野源
Jさんのイメージは、つかみどころがなく難しかった。一読すると若いのかなと思わせる外見ではあるが、過去のエピソードに整合性を求めると50代後半〜60代のように思われるからだ。
しかしどちらかというと昭和的な顔より、もっと若年層っぽい(アゴが発達していない感じの)美顔だろうと考えた。
ヨシダさん役が松重豊のイメージなのでNHK「おげんさんといっしょ」関連で共演しているつながり、みたいな部分でも選んでみたが、意外と犯人役みたいな荒っぽい役もできるイメージがあった(どのMVか思い出せず、具体的な映像をここに出せないのでひょっとすると何かのドラマを誤認したかも……)。
著者いわく「モノノ怪の薬売りさんみたいな声のイメージを、もう少し優しく高めの声で」というのを、星野源の落ち着いた声に求めてみた感じだ(当てずっぽうでぜんぜん違うかも)。
ただ問題なのが、実現すれば自他ともに認めるMOTHERファンである星野源に「ロープレ、キライなんですよ」と言わせる業を背負うことになる点だが。
・「プカプカ」の店主……ひがもえる(アニメ会)
店とともにモデルとなった方がいるということだが、文中の要素から思い浮かんだのはこの人だった。この人も黒縁眼鏡にベレー帽を被っているのである。
ただし大阪の人ではないので別途「大阪ことば指導者」が必要になる。
・あぶくちゃん……山本美月
新喜劇のくだりで、ドラマ版「アオイホノオ」森永とんこ役の時のイメージが重なった。
どうでもいい話、この人と松重豊でテレ東オールスター感が増す。
・少年の声……高山みなみ
江戸川コナン役で有名なので作品に別の文脈が乗ってしまう疑惑はあるが、そうではなくこの人は皮肉たっぷりにまるで悲劇を喜劇のようにすらすらと語る少年役のプロフェッショナルである。
少年役の声というと割合限られてくるが、彼の雰囲気に合っているのはこの人だろうなぁと思った。
おわりにかえて
著者の佐野和哉さんは自分にとってはTwitterで相互フォロー/フォロワーのダイナマイト・キッド(ID:@kidsousaku)さんであり、このnoteアカウント開設前後から何かとご縁のあった方だ。
いくつかの記事に読後コメントをいただいたり、僕のTwitterアカウントの急な移設後もわざわざ探し出してくださったりして、ありがたいことだなあと思う。
そういう方のデビューを応援しつつ、逆に応援され返されている。
「今の積み重ねは必ず実を結ぶ」。
正味な話、今夏は改めて自分自身の遅筆に焦りを感じていた。
また僕自身の創作活動もあまり長続きしなかったり、投稿作品の出来が目標としているネット公募内の競い合いに届かない感じがしたりする。
焦った末に書きたいように書いてみて、やっぱり書き直して、それでも自分で書いたもののことがよくわからなくなってまた焦る。
小説書きを生業にする気がないと言ってはみるものの、自分の頭の中からひねり出して取り出せたものの出来上がりがこんなモンなのか、という現実を直視する。
そうやってのたうち回る日々の合間に読んだ「タクシー運転手のヨシダさん」には「おまえだけのばしょ」があった。
家の中じゃ見つからない、僕にとってのその「ばしょ」は果たしてドコにあっただろうか。
記憶を遡るに、そこは中学校の階段下に捨て置かれた大きな机の陰の下だったかもしれないし、今から7年ほど前に数回通った「ホビーサロン Puff」というカフェと居酒屋を兼ねた小さな飲食店だったかもしれない。
さもなくば、僕はずっと空想の世界に切り取った自分だけの夢の国を僕のためだけに守り続けていた。
そう、夢の国にはなんでもある。何にでもなれて、誰とでも仲よくなれる。それはいじめられっ子の僕が救われる唯一の法でもあった。
だけど僕はその上で、最後は夢の国に背を向けて地上に帰らねばならないということを了解していた。
ポケモンが、ドラクエが、メガテンが、Contactが────僕の愛してやまないゲームたちが「キミには帰るところがあるでしょ?」と目配せをして、僕にゲーム機の電源を切らせたのだ。
空想は現実を離陸するためのものだが、地上を捨てて生きることは只の人間にはできないからだ。
そうして僕は、10代の頃には想像の中にしか存在しなかった大人の世界にひとまずの居場所を立てて日々を過ごしている。
いまだに、他者とコミュニケーションをとるのはこわい。
けれど当たり障りのない、自分で自分を慰めるような都合のいい感情表現でしか、僕は僕を好きになれなかった。僕を好きな僕の差延にはそれが限界だった、と哲学的に表現できる。
ヨシダさんとカズヤ君のように、年齢が離れていても、お互いの悪いところをうんざりするくらいに知っていながらも、お互いを尊敬しあって力を合わせることができる、そんな二人組がどうしても僕のカラダから濾し出されてこないのだ。
そのココロの秘密を探したくて、またのたうち回りながらノートに字を書き込んでいく。そうありたい。
(了)
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