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最近行ったお店。

▲写真は「フォーハノイ屋台33」のブンボーフエ。
店員から揚げパンを浸して食べて。って言われて
そのようにしたら天国が待っていた。
別途単品注文のライムソーダも複雑な爽やかさだ。

別に私はレビュワーではない。
世の中ではレビューサイトが散見され
評価が幅を利かせているのも事実だと思う。

しかし評価なんてものは大抵曖昧で、
場の雰囲気・当人の気分・知識や経験・ビジネス…
それらを持った上で"敢えて"何を選ぶのか。
正直、それでしかないと考えている。

皆が良いと評価するから、必ずしも
美味しい訳ではない。時と場合によっては
味よりも体裁が大切になることもある。

ブランドや歴史・物珍しさからの貴重な経験(・演出)
そして誰かに話すための話題性だったり。

そんなものは正直、私にとってはどうでもいい。
店を探すときの参考にはすれど。

辛くて美味しいアジア料理が食べたくなった。
歳なのか、ライムやレモン果汁の効いた
香り豊かでさっぱりとしたものが食べたい。
(と、言いながらもカオソーイが食べたくもなる)

お金を払って、現地に向かう労力を使うこと。
(時間コストはこの際考えない。「今は」時間を
貴重だと思うほどの何かを抱えていないので)

もちろん私は欲望に突き動かされている訳だし
その「欲」がないと動くこともままならず
布団の間で無になっているだけなのだけれど。

長くなるので割愛するが、ようやく踏ん切りが
ついて命を賭けられる覚悟ができる歳になった。
だからこそ、本気で選びたいし。本気で迎えて
くれる店がいいなーって思う自我が芽生えている。

どうせ動くなら。動かざるを得ないなら。
(そう思えるまでに回復した。喜ばしいことだ)

昔はそんなことを思ったことはなかったけれど
今は、どれだけ思い出の花束をあの世に持って
いけるのか。そんなことを考えながら生きている。

以前から辛いものもスパイス料理も好きだったが、
和食好きで。デリケートで繊細な胃を持つ
博愛主義者へのちょっとした腹いせが発端だった。

だから、美味しいものを本気で探して、見つけて。
忘れないように。大切な思い出として残すために
こうして備忘録を付けることにした。

その時々の自分を、ありのままに書き殴っておく。

自分がどんなフェーズにいて、何を思っていて
その時に何を食べて元気づけられたのか…丁寧に。

第三者・そして未来の自分が見たら、きっと
くだらないと思うような、ささやかな日常を。
そしてどうしようもないからこそ救われる自分が
いることも分かってる。これはもう、経験知。笑

それが誰かに刺さるかどうかは二の次だ。
書きたいように書いたら、誰かが共感するか
価値観の違いに離れるかの2択でしかないのよね。

それさえも個人の自由だと思ってる。
むしろその自由を奪ってはいけないし、
奪われてはいけないことも自覚的でいないとね。

そんな感じで。今日は雨だったから
次の休みを期待して。

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