イカを捌く動画ばかり観ている

一時期やけに創作を司る部分の脳ミソが冴えていた時期があって、他者からの評価は兎も角自分が好きな物語ばかりを執筆する事が出来ていたのだけれどここ最近はとんと上手くいかない。
そもそも、人間の脳みそに創作を司る様なそんな部分があるのかどうか定かじゃないが、しかしヒトの脳の神経細胞は成熟を迎えると一日に10万から20万個死ぬそうだ。

10万から20万だ。そんだけ毎日死んでいれば徐々に自分の脳が冴えなくなっていくのも仕方ない気がしてきてしまう。
脳細胞は死んだら新しい脳細胞が生まれてくるのだろうか、それとも死んだまま二度とは蘇らないのか。しっかりと調べりゃ医学的な根拠のある資料を見つける事が出来そうだがそこまでする気力は無い。
今にもガソリンタンクの中が空っぽになりそうな状態でトロトロ走っている原チャリみたいな日々を俺は生きている。

そんな日々を生きている人間がどうなってしまうかというと、Youtubeで延々とどうでもいい動画ばかり見る様になってしまうのだ。
それならせめて、創作のインスピレーションを刺激する様なアーティスティックな映像作品でも見りゃ良いものを俺はというと、イカが生きたまま捌かれて刺し身にされる映像を狂った様に繰り返し観ている。
ある程度の道徳観念を備えた人間ならば、生命体が生きたままその肉体を切断されるという光景には眉を顰めるというか、直視出来ないと思うのだが不思議と魚介類に対してはその慈しみ深さは全くと言っていいほど発揮されない。
日本の刺身文化に染まって生きてきた弊害なのかもしれないが、「俺は日本人だけどお前みたいに活造りの動画なんて観ないよ」と言いたい人も沢山居ると思うのであまり思い切った断定はしないでおく。

しかし、言い訳する様だが本当に面白いんだ。イカを捌く動画は。
イカというのが、表情も無い、鳴き声も無い、ヌルヌルしていて墨を吐く上切っても血液に準ずるものをあまり出さないという愛嬌を感じる要素が殆ど排除された生命体だというのが、奴らを解体する映像を観ても何の哀れみも感じない理由の一因だと思う。
水から出されたばかりのイカは、兎に角ウニウニと全身を動かしながら抵抗する訳だが無慈悲な板前さんの精確な包丁捌きによって一刀両断されると先程までパタパタと動いていたイカ耳がペタン……と動きを停止して真っ平らになってしまう。
生命が事切れる瞬間だなあ、と思いつつ見ているとチャーミングな板前さんがまだ生きている頭の部分をポンとまな板の上に置いて、ゲソでビィ~~ンと立ち上がっているイカをカメラに見せつけてからそのゲソでさえも包丁でスパスパ切ってしまう。まるでモータル・コンバットのフェイタリティを観ている様な気持ちになってしまう。ITAMAE WIN FATALITY……

鮮度のある内に美味しく食べる為の技術が結果として、イカにとっては冷酷非情な暗殺剣となってしまっている訳だがやはり洗練された技術というのはそれが殺しの術であってもその動作の細部に宿る美しさを感じざるを得ない。
絶対来世には軟体動物に生まれてきたくないなあ。


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