見出し画像

いくつになろうとも「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり」と聞かされます。

今年で49歳になります。数えで言えば50です。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

「自力の念仏といふは、念仏おほく申して仏にまゐらせ、この申したる功徳にて仏のたすけたまはんずるやうにおもうてとなふるなり。他力といふは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり。」

はい。

「そののち念仏申すは、御たすけありたるありがたさありがたさと思ふこころをよろこびて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり。」

なんまんだぶ

「されば他力とは他のちからといふこころなり。この一念、臨終までとほりて往生するなりと仰せ候ふなり。」

はい。なんまんだぶ なんまんだぶ

年末年始は風邪をひいて頭痛が痛い慈海でした。なんだか今年はあまり正月気分ではないですが、それでも正月は来てしまいましたし、気がつけば今日で三が日も終わりです。

父は、母が居ないお正月は結婚して初めてだったようです。私も吉崎に詰めてましたし、兄貴家族は東京で、一人きりの年越しをさせてしまいました。

ほんとは父親は東京に行く予定でしたが、諸事情あって急遽福井にいることになりました。たぶん、一人きりの年越しは父にとってははじめてだったのかもしれません。そしてもちろん、母も同じです。母はことしは家どころか施設で他人に囲まれての年越しとなりました。お正月ということも分からないのかもしれないけれども、どのような思いでいるのだろうかと、胸に詰まる思いが起きてきます。

父も母も、寂しい思いをさせてしまいましたが、それでも父は「気にすんなヤァ」と吉崎を優先するようにいってくれました。

今年は特に吉崎のお仕事が忙しくなりそうです。私の体力と気力は年始早々もうゼロに近いですが、それでもいろんな方が気にかけてくださっているのに背中を押されながら、何とか頑張って行こーと思っています。

最初にも書きましたが、数えで言えば今年で50になりました。今の数え方で言えば5月に49歳になります。40代までにやろうと思っていたことが全く手つかずのままこの年を迎えてしまいました。まるで夏休み最終日の小学生の頃の私です。

お礼を言いたい人もたくさんいるし、お手紙を書きたい人もたくさんいます。言葉を尽くせない思いばかりですが、目の前の諸々に気と手を取られて、何もできないままでいます。無礼をどうかおゆるしください。

今朝(1月3日)の吉崎はちらちらと雪が降りました。

今日からまた寒くなりそうです。

それでも、春はいずれ来るでしょう。花も咲き、風も柔らかく、水も温くなっていくでしょう。

いくつになろうとも「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり」と聞かされます。

祖母は何かと言えば「よろこばなあかん」と言って、なんまんだぶ なんまんだぶ あんがたい と喜んでいました。言葉も荒く、気も強い祖母でしたが、それでもふとしたとき、ひとりお念仏をつぶやいていました。

子どもの私は、それを見ていて、それが風景になっていました。

風吹く時も、雨降るときも、外に見せる顔のうしろに、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ あんがたい とよろこぼうとする祖母の顔を、子供心に見てきました。

そのような、ささやかな、ひっそりとした、誰にも知られることのないような、お念仏の風景となれるような、そんなものに私はなりたい。改めてそう思う年始であります。

なんまんだぶ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?