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あの日々のこと② すごさの理由は(少しでも)分かったほうがいい

 これまで100本とすこし位、テレビ番組を作って来たけれど、その中でもたぶん何十年経っても忘れられない番組の1つになった「アナザーストーリーズ 羽生結弦連覇」。BSの放送だったものが反響の声を頂いて1年がかりでついに地上波で放送される、という、テレビではなかなか無い現象をただなかで感じることができました。ご覧いただいた皆様、反響いただいた皆様にはただただ感謝のみ。本当にありがとうございました。

 そんなスペシャルな記憶をくれた番組をなぜ作れたか。もちろんその最大の理由は羽生結弦さんというとてつもない人気と実力を持つ方をテーマとさせて頂いたからなのだけど、1つだけテレビマンとしての矜持を持って言うなら、「誰もやったことのないものを作ろう」という意思だけは強く持っていたのは事実。羽生結弦さんのオリンピック連覇という「誰もが知る」快挙を、どう「誰もやったことのない形」で伝えるか、そこにひたすら腐心しました。

 でもその腐心の内実は、といえば、別に手品を使ったわけでもなく、僕としてはいつもやっている方法。「その人、そのことの「何」がすごいか、「何」がほかと違うか、ちゃんと、なにも知らない人が見てもわかるように、面白いと思ってもらえるように、「はっきり」させる」その1点。当たり前だけど僕らのほとんどはフィギュアスケートをやったことは無い。オリンピックにでたことも無い。メダルを取ったことも無い。そんな「全然違う」立場にいる人が、どうやったら「すごさをはっきり」感じられるか。僕が取ったのは、いつもと同じ方法でした。

 ぼくはスポーツの番組はむしろ時々しかやらないもので、普段ほとんどは歴史をテーマにしています。歴史は教科書に書いてある「事実」があって、それは時代時代のありとあらゆる事情があるなかでも厳選された教科書に書くべき「えりすぐりの事実」なのだけど、なんでそれが「えりすぐり」なのかは気にしないまま、まるで源頼朝と平清盛と後白河上皇と源義経と木曽義仲の5人しかいない源平時代のように印象づけられてしまうことが多い。でも実は彼ら彼女らがその時代を個々に代表するにはそれだけの理由があるのであって、それはただ「将軍である」とか「大臣である」とかいう以上に、彼ら彼女らが時代に刻んだシワなりミゾが深いから代表となっている。そのシワやミゾの深さを判断するのが、当時の歴史文書をひたすら読み、比較し、分析した歴史学者のみなさん。だから僕は歴史番組をやるときは必ず、その時代の専門家に「この人の何がすごいか?」「この事件の何が歴史上重要か?」それを徹底的に聞いてから番組作りをしています。教科書に書かれる「前」、「すごさをはっきりさせた」人に聞いてから教科書を読めば、歴史はワクワクと立ち上がってくる。時には「この5人じゃない!信西だ!」「いや平重盛だ!」なんて意見も歴史学者のみなさんから伺うのが面白くて、その歴史学者の興奮を引き出して映像に残すことを、作り手としていちばん目指しています。

 ひるがえって、羽生さんの場合。オリンピック連覇したことは誰でも知っている。もしかするともうすぐ教科書に載るかもしれない(もう載っている?)。でも教科書に載るのは「連覇しました」という事実のみで、なんで連覇できたのか?連覇ってどれくらい難しいことなのか?それは書かれない。でも一番面白いのは、教科書に書かれる「前」の物語。「連覇したからすごい」という結果論ではなく、「これだけすごいから連覇したんだ」という因果論へ。そこにこだわりました。

 そしてこの因果論、テレビマンなら当然みんなやろうとすることだと思います。最近は賞を取っているからすごいんです、みたいな謎の語り口のドキュメンタリーも増えましたが、真面目に作るならそれは逆。で、ただ「真面目」すぎて結構あるのが、「データ」に頼ることです。やれこの角度でこう入れるのはこの人だけ、とか、この得点構成はこういう計算のもとに成り立っています、とか。それは分析としてはとても正しいのですが、ぶっちゃけ言いますと、「面白くない」。特にフィギュアスケートのような明らかに感情に訴えてくる部分の多い競技の場合、数字化してしまうと失われるものがあまりに多い。それはいかにハイスピードカメラを用いようと(ちなみにファンのみなさんご存知の通り、羽生さんはどれだけスローにしてもポーズが崩れない!編集でやってみて驚きました)、「数字」に落としこもうとする限り同じ轍を踏むと思います。すくなくとも、番組でバトンさんが言っていたようにまず「劇場」として楽しむ視点からは、「数字」は極北にある考えだと思いました。

 でも、「数字」がそうであるように、ぼやけていない明確な分析は欲しい。だったらどうするか?答えは、歴史学者の時と同じ。「すごさが分かっている人」に聞く。その一点です。

 先日ぼくは水中考古学者の山舩晃太郎さんという素晴らしき方と番組を作りました。船に関する膨大な知識をベースに、フォトグラメトリーという最新技術を用いることで、1ヶ月かかった水中調査を1時間で終わらせる、というメソッドを確立した、おそらくいま世界で最も引く手数多の水中考古学者です。彼のすごさを物語るのにぼくはデータも用いましたが(「1ヶ月かかったものを1時間で終わらせる」というのはデータとして極上)、でもいちばん視聴者のみなさんに響いたのはたぶん、一緒に働くチームの学者の方々の評価だったと思います。すごさを目の当たりにしている人がその人のすごさを評する。その力は絶大。

 羽生さんがオリンピックを連覇できた理由、そのすごさを評するのに誰が一番相応しいか?そう思ったとき自ずと出て来たのは、「じっさいに連覇した人」バトンさんと、「連覇に最も近づいた人」プルシェンコさん、このお二人にお話を伺うことは早々に決め、「あなたにしか聞けない話が聞きたい」とややぶ厚めの手紙を送り、出演の了承をいただきました。

 バトンさんはフィギュアスケートという種目の”時の経過を経ても変わらぬもの(「劇場」)”を見つめた上で、自分から羽生さんに至る物語を話す「タテ」の視点で。

 プルシェンコさんはオリンピックという戦いの舞台の”そうあらねばならないレベルの高さ”を見渡した上で、自分と、羽生さんを同じ高みで話す「ヨコ」の視点で。

 連覇、金メダル2つという一見データのようにしか見えないものが、お二人の発言によって実に多層的になりました。

 そして3人めの証言者、ハビエル・フェルナンデスさん。羽生さんを語るのに彼が最も相応しい存在であることはよく知られていましたが、どういうスタンスで出て頂くか。ぼくは敢えて取材時には、「連覇を阻み得る最大のライバル」であったことにこだわりました。もちろん話を聞けば、彼しか知らない「友」の話になるのはよく分かっている。番組の最終形でも、友であることは他のふたりとの違いなのでしかと伝える。でも、取材時には、オフの素顔であるとかは聞かず(最初ハビエルさんは「けん玉が得意だよ」と話してくれましたが、話が深まるにつれ氷上の話だけに)、ソチ五輪の後、オリンピックに次ぐ最大の大会である世界選手権を2連覇ずつして平昌五輪を迎えた、「最大のライバル」という観点からずっと質問をし続けました。

 それは、ライバルこそが、最も相手の「すごさ」を知る人だから。

 最後に取材したのがハビエルさんで、3人の語る羽生さんのすごさを、その「違い」をマドリードの小さなホテルの1室でワイン飲みながら振り返ったとき、思わず「わあ」と口をついたのを覚えています。そのくらい、3人とも違うことを語っていて、でも3人とも「なんで連覇できたのか?」の答えを語ってくださっていた。羅生門じゃないけれど、なんで羽生結弦(あえて敬称略)がすごいか、これまでと全然違う物語が描けるかもしれないぞ、と。

 2連覇したからすごい、のではなく、すごいから2連覇した、という物語に。

 結果至上主義といいながら、その実、どうやったら結果が出せるかの分析がほとんどなされず、「天才待ち」してばかりのこの国で、少しでもすごさの内実が分かったらいいな、という思いで作りました。もちろんすごさの秘密を全部解き明かしたなんてことは毛頭言えず、また僕はフィギュアスケートについてはむしろ門外漢なので分析しきれていない点も多々あると思いますが、自分にとって普段のやり方がこんなに反響いただいたという意味でも、本当に忘れられない番組になりました。

 ご視聴誠に感謝します。長文失礼しました!

 

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