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鎌ヶ谷冒険記vol.1

かつて私がアルバイトしていたロックバー、アルカディア。亡くなった店主の面影を探して初めての墓参りに行くまでのお話です。



休業中のアルカディアの店内に明かりが灯された。その日はマスターの誕生日だった。生きていれば70歳。不老不死というか、いや老いてはいたのだけれど、いつまでも妖怪みたいにアルカディアにいるかのように思われたマスターは、去年の9月に亡くなった。数日のうちに火葬が済まされ、骨になり、そしてあっという間に四十九日が過ぎた。妹さんから届いたハガキよれば、千葉にある一家の墓に納骨されたそうだが、アルカディアに集まるスタッフも常連客も、誰もその場所を知らなかった。いつかお墓参りに行きたいねと言いながら、みんななんとなくアルカディアを拠り所にしていたと思う。その日も、仲間たちはアルカディアに集まってお祝いをしたのだった。
 
午後六時ごろ、他より少し早く到着した。店にいるのは、現店主である鎌本さんだけだ。空っぽの店内にはオレンジのライトが灯っているが、どこか寒々しい。店の奥にピアノがあり、そこに小さな遺影が飾られている。供えてあった煙草の一本に火をつけて、私は手前の椅子に腰かけた。
マスターとは、毎日会っていても話題が尽きなかった。それはマスターがおしゃべりなせいもある。店の話、レコードの話、ときに折り合いの悪い家族の話、聞いてもいないのに続々と、しかも唐突にしゃべり出す。出会った当初は困惑していたが、慣れてくると適当に合わせたり、でも時々まじめな返事をしたりして面白がっていた。それに、マスターも私の話を面白がってくれた。40以上も年の離れたアルバイトに対して、同じ目線で向き合ってくれ、そして肯定してくれた。他の誰にも言っていないようなことまで、マスターには話せた。大学卒業とともにアルバイトを辞め、遠くに引っ越してからも、そんな安心感を求めて、片道一時間半をかけてたびたびアルカディアを訪ねていた。
昇っていく煙草の煙を目で追いかける。マスターが亡くなっても、その魂はこの店の至る所に生き残っているような気がしていた。いつも座っていた丸椅子に、かつて読んでいた本に、貼紙の文字に、いつでもマスターを思い出すことができる。でも実際は、そのたびに、いなくなったことを実感してしまった。もやもやと暗い気持ちになった時、少しだけ明るいところへ連れ出してくれる、マスターの姿も声もそこにはない。「会いたいな」今まで避けてきた言葉をとうとう口にしてしまった。煙草の火を消して、誰かが来るのをじっと待った。
 
仕込みを終えた鎌本さんが、一枚の紙を手渡してきた。お墓の地図だ。マスターの妹さんが手描きで作ってくださったらしい。「明日行くつもりだけど、よく分からないんだよね」と鎌本さんが言った。大きな地図、周辺地図、墓地内部図と、ご丁寧に3種類が載っているが、よく見ると、肝心のお墓の位置がはっきり描かれていない。グーグルマップに、記載された住所を打ち込んでみるも表示されない。困った。が、宝探しの地図みたいだな、と妙に惹かれてしまった。店に人が集まり始めて、会がスタートしても、私はこの地図に引き込まれたままだった。目印として書かれたいくつかの地名から推測するに、どうやらマスターのお墓は、鎌ヶ谷駅の近く、名前のない広地(おそらく梨畑)の一角にあるようだ。ここに辿りついたら、マスターがいるのだろうか。私は鎌本さんについていくことにした。



vol.2へつづく

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