長島有里枝「ケアの学校」に行った記

春らしく日はらんらんと、晴れ渡ったがしかし異常な暑さ。20度を超えたそうな。わたしは白のカーディガンを着て出たがまったくの不用。まるめてバッグ(いつだか上げたTEMBEAの黒いトート)に押し込んで、シャツ一枚でじゅうぶんすぎるほどの気候。
電車をふたつ乗り換えてわたしは名港線築地口駅から外に出た。話はそれるが、乗り換えって嫌いだ。歩くし、どんなに慣れていても毎度合ってるのか不安になる。路線を変える時の、景色がそっくり変わる感じ。知らない場所へ運ばれてゆく積み荷の気持ち。そのときその場所はただの中継地でしかない、ってのが、なんだか不安。そういうのがすべて乗り継ぎの待ち時間のあいだに襲ってくる。疲れも二乗。

名古屋港近くのその街では長島有里枝「ケアの学校」を見に。港まちポトラックビルディングという、駅徒歩一分の小さなビルで、周囲には飲食店と競艇?の場外発券場とパチンコ屋と、あとで歩いたところ写真館や喫茶店やギャラリーや服屋さん?などなど、どれも個人商店ばかりで、古めかしいけれどもにぎわっていた。

展覧会の会場は3階だったけれど、1階が地域の情報センターみたいになっていて、老若男女のひとが集まっていた。なにかあるのかな。

長島有里枝さんのは、展覧会というよりタイトルの「学校」という文字が説くように、いろいろなプログラムが週ごと日ごとにあったりして、訪れたひとたちと長島さんと、ゲストのひとと交流することで作っていく、考えていくような形式を持っていて、その中心に「ケア」の概念があったらしい。わたしが訪れたときにはそれらが行われた形跡と、ひとが訪れた痕跡、そこで作られていった雰囲気のようなものがそこにはあった。
一角には長島さんの所有物と思しきちいさなフリマコーナー。壁には訪れたひとの残した色鉛筆の絵、長島さんの生活の一部を映したような写真とそこから生まれた、たぶん他のひとが描いた絵、大きな鏡とバレエのレッスン室にあるようなつかまり棒、大きくて低い円テーブルと丸椅子、古い漫画、テレビモニター(過去のプログラムの映像が流しっぱなしになっている)、造花、などがあって、それらが展示の内容の一部で、さらにはプログラムの名残りで、この空間自体が作品と言えるように思うけれども、よそよそしい感じとか畏まった感じがまるでなくて、すごく落ち着くような、リビングルームのような空間だった。
誰かの家に招かれたよう。誰かの家にはいっていくのは、粗相をしてはいけないという緊張を伴ったり、流れる時間や空気が自分のそれと違っていて居心地の悪さを感じたりするものだけれど、なぜかこの空間はまったくそんなことはなかった。開けていた。いてヨシ、と言っているようだった。

長島さんは去年……去年?一昨年?、金沢21世紀美術館で開かれた「フェミニズムズ」展のキュレーターを務めた、自身写真の分野で活躍もしているアーティストだ。展示室には彼女のかつての著作もあって、そしてじっさいに身を置いたその空間、雰囲気を企図して作り上げたひとだというのもあって……どんなことを考えているひとなのか、どういうものを作るひとなのか、とても気になった。これからも追っていきたい。

ビルを出て、近くの中華料理屋さんで昼を食べて、ちょっと駅の周りを歩いた。広い車道が通っていて、その脇にさきのビルやら個人商店が固まっていた。歩道も広く、歩道には街路樹と座れるスペースもあって、今日は出店というのか、路面販売?いろんなお店が出ていて、にぎわっていた。

街が作るもの、街が育てる感性ってあるんだろうなと思った。なんだか季節ごとに新しい、しかもヘンな、というか、自分の知らないものに出会えそうだった。たとえば大きな美術館の周りには、こういうものは見られない。画一化されたものが見られる。そういうのから受け取るものと、こういうところから受け取るものは、ぜんぜん違うな、質とかでなくて、場所、というか、空間が違うな、と思った。

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