そういえば

禁煙をしている。まだ3日目だが。

今年入って間断なく体調が悪いのですこし生活習慣を見直してみようと思った次第。このところは喫煙もただの習慣にすぎず、たとえば「ガッと降ってきたストレスをドバッと吸う負荷で対消滅させる」みたいなこともないので、吸う目的やメリットなども感じられなくなっていたころ。

わたしの喫煙は最初は興味からで、なんとなく試してみるものくらいの意味で吸っていたが、当時文章創作にもっとも旺盛だったころ、煙草休憩がいいリフレッシュになることに気づいてからは「なにか書いてるあいだ」に吸うことにした。書くために吸い、書くことのうちにこそ吸う即時的なメリットを引き出す目的があったのであって、そうでなければ吸う意味も意欲もなかった。
それが5年ほど前か、社会人となってしばらく、いつしか文章と切り離されたところで喫煙の習慣を得た。これもとくに付き合いとかではないので不思議だけれど、喫煙は「ひとりになる時間」を与えてくれるものだから、なにかを当てにして再開した、とかではないのかもしれない。そこに戻りたいときがあるのだろう。

喫煙のあいだは「わたし」から離れていられる。わたしは吸うことを周りに公言していないのでことにそうだ。ひとから見た「わたし」、ひとに見られることで築き積み上げてきたわたしがいなくなる。そうした時間を持つことは、疲れて帰ってくる日々のなかではこころを和らげるささやかな楽しみだ。

しかしそれも習慣の力に飲み込まれた。それに当てる時間すらも労働の一部のようになる。その証拠に、その時間が奪われると癇癪を起こすだろうから。不活性という言葉が浮かぶ。

してやはり、断ってみていざ起きる変化を見てみると、ニコチン断ちというよりも習慣、ルーチンが失われたことへの驚きや戸惑いに体が落ち着かないのがわかる。わたしは5年かそこらで、労働明けの一服を見事に習慣とすることに成功して、そこから脱けた頭が切り替わりきれていないだけらしい。

健康うんぬんはまだわからない。といっても、健康に飽きたらまた吸いはじめるかと思う。なんとなくの禁煙。なんとなくの不健康。

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