あなたの見たもの/わたしの見たもの

2022年7月8日。
今日は日本という国に暮らす誰もが、これまで聞いたこともなかったような知らせを耳にした、特別な日になったのではないかと察するが、ことはわたしにとっても間違いなく同様なのだが、程度というか位相というか、すこし違うかたちでそれを享受したような、まあ誰にとっても畢竟はそんなところな気もしないでもないが、その、すべての人の数だけある特別さのうちのひとつ、という意味で、残しておくのも悪くはないと思った。

といってもまるでなんのこともなく、わたしは今日あらかじめ仕事の休みをいれていて、朝から関西への旅行にでてきていたのだった。いぇっさっさ。
もとよりが非日常の腕にいだかれて、そこに自らの身になにかが起こったならまだしも、や、それすらある意味旅の一興なのかも、ま、程度問題ではある。というところがあって、その、じっさいわたしもいつものように勤務でパソコンかちゃかちゃいわしてるまにビッグニュースが舞い込んできたらそら動転して、さらにSNS見たらみんな動転しており、連鎖の連鎖の雪だるま式でもうだみだ〜〜ってなふうであったろうと思う、や、確実になってたと思うが、それはやっぱりフレーミングの問題で、尺度の問題であって、なにも起きないよねっと、自分と社会のつながりの維持、それこそが日常なわけだが、そこの綱引き、バランス勝負にかかりきりになってるところに思わぬ角度の攻撃、それこそがテロ(正しい語法ではないが)なわけだが、がくるからこそ重心もってかれるという流れがあるところ、わたしはモロ非日常を楽しむモードに入ってしまっており、むしろそっちに集中したいってなもんなので、ちょっと常識的なあれは御免さしてもろたで工藤。

で、わたしは言い訳開陳会見をしてえんではねえっつうんで、世間様へのご機嫌伺いってんで世間様方からおめえは誰だっつうんで、単純に今日の心象をまとめておきたいと思ったんで、まとめておきたい心象ってそれなにってんで、わたしは今日美術展覧会に行きました。ふたつ。

中之島美術館。オープンしたばっかできれい。てかデカ。無愛想な真っ黒キューブなんでよけいふんぞり返ってデカデカ見えるぜ。しかし曇り日の下にはなんか不機嫌そうに見えるでもなく、なんかそんな風体を誇るようで、よその建築はしらねえけれど、おれって結構イカスでしょってな人目を気にしてんのかしてないのか、ちょっとオシャレさんな感じはある。
行ったことあるひとはわかると思うけども、蜘蛛の糸、カンダタってこんな、ちょっとワクワクした気分だったのかもねえと思うくらい長いエスカレーターのつづらおり。途中の階のでっかいガラス窓にあふれる光がきれいで、こっちは暗くて、さていまからどこに行くんでしょうか。
「開館記念特別展 モディリアーニ」のあとになんか白々しい小っ恥ずかしい副題がついておるけれども、まあモディリアーニはちょっと見たいぞ。わたし19世紀末〜20世紀初頭の絵画が好きあるね。ってまあ、モディリアーニ自体はそんなに点数なかったけれども、たぶん生涯制作点数自体少ないんでしょうね。短命だったし(1884〜1920)。初手に彼のあの細長い特徴的な女性の顔のモチーフの源泉ではってんで、アフリカ彫刻が置いてあり、モディリアーニ彼自身の作もあり、彼はホントは彫刻に夢中だったんだよ、ってなキャプションもあり、短命を知っていてやりたいことが次々出てきたのかなあ、それだとまるで、子規みたいね、とわたしはしんみり。
こっからが面白くて、面白いってのは興味深いでなくて、笑っちゃうほうなのだけど、当館メインで、日本中からかき集めてきたエコール・ド・パリその周辺の画家が一点ずつのオンパレード。こんなの、美術好きな人間ならみんな好きだし、みんな笑ってしまうと思う。
要するにモディリアーニもその一員であったところの、ベル・エポック、20世紀初頭の文化の中心地であったパリという都市の恩恵を受けた、芸術の花の時代を語り起こして、彼の絵を、時代性という横軸で、ついでに作家同士の交遊という作家性を人間臭いドラマでもって有無を言わさず構築しちまうアプローチで、見てみようと。それで言えばさきのアフリカ憧憬は縦軸とも言えるか。
それにしたって、各作家のダイジェストのような小品、あんまりパッとしないものがずらずらで面白かった。マリー・ローランサンは好きだけれども、ちょっと有名どころより手前の時代で、線やら色やら硬くて恐る恐るといったところがよけいビビッときたね。あとはルソーが自身税務官であったところの、よく目にしていたと思われるパリ市外の城壁を描いた絵、なんか不思議な、空というか無というか、つきぬける寂しさ、ぽつーん、があった。
この展覧会の白眉や此処に、と個人的に思ったのが、キスリングとモディリアーニが同一のモデルで……と言っても時期は別なようだけれども、描いた女性の肖像画が並置してあった一角。ルネ、というその女性はキスリングの妻君だそう。
キスリングのそれはべらぼうによかった。まったくアプローチのちがう、モディリアーニのそれも、比べられないけれども、同じ人物を描いたというあたりで嫌でも並べたり重ねたりしたくなる、そういう新鮮な興趣があった。しかしわたしが、もっとこれはと思ったのは、引っ掛かったのは、その絵の出来よりも、モディリアーニのクセ、作家性のようなものを見当てた気がしたからだった。

その後から最後に至るまでがやっとモディリアーニのコーナー。まず友達、画家の仲間でビッグネームもずらずらいるぜ。そのみんな男なわけだけど、こう、わたし含め絵を眺める国も時代もちがうわれわれ、誰もが、惚れ惚れしてしまうような溌剌とした顔でみなさん、いらっしって。
それはモディリアーニがモデルへむけていた思いの反映なのだと思う。リフレクション、彼がモデルたち、友達たちへ向けた思いは本人に通じていたのか知らないけれども、それは跳ねっかえって、キャンバスに収まって、今度はわたしたちのほうに向かってきた。すごい、みんな、紅顔で、楽しそうで、自信があって、精神の富裕というのを思った。
特にそう思ったのが、展示の最初の方にあった「ポール・アレクサンドル博士の肖像」。1909年ころ。博士は、まるで売れない若いモディリアーニを励まして、作品も買ってあげた、それつまり援助に他ならないが、作家にとって精神と生活を支えていた人だったらしい。
博士の肖像はのちの画風のような変形はなくて、いかにもシュッと描いてある。目には光。若々しくて、髭も雄々しい。いかにもこれから何かを為遂げるぜって、希望が後から後からついてくる、頼もしいことこの上ない美丈夫だった。
彼ら画家とそのパトロンたちの関係は、生活を共にし、金銭の苦労もわかちあい、芸術論をぶつけて時には、それかいつもか、人格攻撃みたいなことにもなってしまうが、また酒と絵をセメントにして、っていう、ガッチリくっついた、余人の入り込めない「青春」のようなものだったのではないかと思う。

して、会を進めば、本展の目玉であるところの裸婦像のコーナー。モディリアーニは晩年裸婦像をふくめ、肖像画家として注目を集めてってことで、仲間だけではない、恋人や妻、一般のモデルを描いた特集展示に移った。

いってみれば、モディリアーニの真骨頂である。彼が見出し、編み出した彼独自のオリジナルの造形。また美的感覚。その結晶としての女性像、ミューズたちよ。
でもそれはなにか違うんである。さきの男性たちを描いたものと決定的に違う。親密さや近さ、相手のことはすっかり理解している、といったものがなくて、なんか冷たい、突き放したような、取り残された彼女たちが佇んでいる、寂しさのようなものがあった。
作家が躍起になって取り組んだ、美的造形、肌感、筆触色面の中に、彼女たちはいなかった。それは作家が画布の上に作り上げたマニエリスム、なにか、至高へと向かう憑かれたような意識と、それと別に奥へと向かう真っ暗な虚無の寒々しさ。彼女らの肌はこんなに温かいのに、そこにはぽっかりなにかが空いていた。
モディリアーニはモデルに対して厳しいひとで、よく怒鳴りつける大声がアトリエには響き渡っていた、と藤田嗣治のコメントが紹介してあった。それは恐らく男性女性の別け隔てなくで、彼は都度真摯にモデルに向かっていたということなんだろう。
でもじっさい、これはただの勘であり下衆な想像ではあるが、男性はよくて女性はだめ、みたいなところがあった気がした。それを最初に感じたのが、さきのキスリングの妻、ルネ・キスリングを描いた肖像であった。
正方形に近い油絵の小品だった。そこに顔がいっぱいに大きく描かれ、首から下と頭部の端は収まっていなかったように思う。だから最初はそれが男性のモデルだと思った。ルネ・キスリングは先鋭的な女性で、オカッパよりもさらに短い短髪で、前髪を揃えていた。
しかし、その顔はそうした広い目につく部分を描いていないというだけでなく、顔の造作とか、あるいは内面とかも含めて、あえて女性らしいところを除いているように思えた。逆に、そうしたかったから顔のドアップで描いたのかもしれない、とも邪推したくなる。いわば男装の麗人として描いている、男性美を備えた女性として描いている、というところに落ち着きそうだ。
彼女の瞳は、モディリアーニのクセで、一面エメラルドに塗りつぶされていた。キスリングの描いたものを見ると、それがルネに生来のものであったらしい。黒目も白目も分てない、その瞳はなにも語らない。それゆえに彼女の強さがあるのかもしれない。だが、それはモディリアーニが"そこに何も見たくない"と思っていたんじゃないかと、尋ねてみたくもなる。

といーうわけで、若干のモヤモヤが残ったけれども、まあ大昔に描かれた作品を見てあーだこーだ言うのも美術の楽しみ。つまりは満足できましたと。逆に。

ついでふたつめ、国立国際美術館「遠い場所/近い場所」に行って、これがとてもよかった!!とてもよかった!!が!!疲れたのでもう書けません!!最高!!わたしは山城知佳子さん、ミヤギフトシさんの作家活動が大好きです。いつか感想を書けたらよいが。

最後に。そのあとなんばのソフマップに行って6Fアニメガのプリズムストーンで筐体プリパラ。2回。わたしはそのときプリパラをしていました。プリパラは福祉。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?