手紙ライクな奈良紀行
こんにちは。
お久しぶりでした。いかに日暮らし遊ばされておられたでしょう。
さきにお逢いしましてより永く日月を数えるうち、はや輪郭はときの中に溶け出しておおきな流れ、すなわち旅程の細末に飲まれてしまったかの心地でしょうか。
さればこそ搾り滓のごとく、最後にまみえました折の御姿のみわずかに残るばかりで、こうして、ふたたびのお目もじが叶いましたことまさしく僥倖、でなければ、月日は文字通りの百代の過客、訪れたこともはじめから無かったつれない泊まりのごとく塵だに残さず飛び立ってゆき、してまだ日夕を空けて別れたことさえなかったようなお変わりなき身かと存じます。互いに。
わたしはいま大阪のホテルにこれを綴っています。ひさかたぶりの遠出にこころは浮かれ、折もよくして装いも軽くなる、気楽な道行となりました。旅の真髄はこれ重荷を置いてくることにあり、その肝要なことは気掛かりのないことでしょう。やっと活計の数えもひと心地がつき、時まさに戸外に出でるうってつけの季節となりました。
此度の目的は、奈良の博物館に公開されました、聖林寺の十一面観音を拝することにありました。
しかしまだ列車を降りるまえから、奈良に入ると楽しい心持ちに相なりました。
奈良はわたしにとってどこかなつかしく、慕わしい古都であります。当地の歴史にも明るくはなく、また縁もゆかりも無い土地ではあるものの、景観の相似があるのでしょうか、なにとなくよく知っているような、一種の懐旧の思いがあります。室生犀星の「小景異情」がおそらく近いように思われます。犀星氏にとっては故郷も首都もおなじく親しく、同時に疎外されている、愛憎相半ばした感懐の遠心的なうごきがありましたが、わたしにとっても故郷はそれほど近いものではない一方で、どこか別なる土地に故郷を求める気持ちがあるのでしょう。
わたしにはそれが奈良のよう。
奈良は風。風の街です。
遠い天には五色の風が舞い、吹き過ぎてゆきます。それは神か古代人か知れませんが、地上の動静に左右されることなく、色褪せることもなく、つねにつねに高みに遊んで、街を守っておるのです。
それにあてられて、ひともどこかに飛ばされるような、またはどこかから飛ばされてきたような思いを起こし、大路に遊びます。奈良にいるひとはみな風の子です。
泣菫先生は「あゝ大和にしあらましかば」と、往時のみやこの姿から閑雅な情調を喚起せられておられましたが、わたしには奈良という地にあるのはそればかりでなく、また現在残る寺社仏閣のちからの圏域だけをも感じるものでもありません。かしこには土地の、変わらずに広がる土地の持つ、時間を遡及させてしまうものがあるようです。それはあるいは人力に冒されず残る土地の、ほんらいのちからであるようにも思われます。
さて、肝心の聖林寺の仏像ですが、これが非常によかった。
奈良の古蹟や古物を誇ることは年百年中でしょうが、此度のこの出し物はひとつ抜けて優れるように思います。
見ものはやはり十一面観音像。ついで、正暦寺からの日光・月光菩薩像。
十一面観音像は八世紀、日光月光は十、十一世紀のもの。八世紀とはとりわけ古い。それがしかし金泥もだいぶん残り、像本体は欠損もない往時の美しい御姿を残します。
日光月光菩薩は美的な対照からなる、双生児のようでした。
日光は男身。腕はふとましく、立ち姿もさり気ないながら堂々として、よって立つところの男性的な威容をは惜し気もなくなちます。裾の切れ端を腕にかけるにも神気がぴりぴりと立つ、霊妙とまで言える作にほれぼれといたします。御顔には疱瘡のように金泥の跡が集中しており、一種仏にも似ない、鬼気をはなっていらっしゃいます。
対する月光は、なんと女身。背後から覗えば一目でそれとわかり、その優美なまるみから受けた印象は覆しようもありません。さにあれど、表にまわればやはり胸にふくらみはなく、それもなんとはなしに意図して抑えつけられたような塩梅で、御顔は日光と瓜二つで、不思議。狐につままれたような思いがいたします。
そう思ったところで、はた。日光菩薩がどことなく下衆へのふんまんを張り詰めさせられる、今にも破裂しそうな畏れ多い御顔に対し、月光菩薩は一身に地上の惨禍をうけとめられて、それでも立ち続けなければならず、宿命までもうけいれたような、雨上がりの湖のようにことまだ静まりきらぬ平静といった、沈潜した面持ちのようにも思われます。腕もほそく、胴は折れそうに儚く。何とは言えず、削ぎ落とされた後のかなしみを匂わせておられました。
十一面観音像は、いかがと思うほどの作りの趣向がありまして、言葉を悪くすればえげつないほどの小顔の造作。小顔とそのもとの身体とのバランスの作る人間離れしたプロポーションがとても妙なる雰囲気を纏わされており、それが不思議に男身とも女身ともつかない、肩のたくましい立派な体格をしておられる。それは頭上にまた別な御顔を捧げられているからでもありましょうか、それらを支える誠に頼もしい体つきにおわせられました。
表情は謹厳。その口元に一分のゆるみも迷いも見せられず、一重に自らに任されたつとめを過去に未来に守り抜く、忠義に沿われる従臣といったところ。それを知ってか知らずか、ちいさな御顔のそれぞれはまた下の大きな御顔の表情とそれぞれに微妙に異なっておられて、それぞれに、違うものを見られており、違う想いをお抱えのよう。
瓶にさした多弁の花はつぼみもあれば咲いたものもあり、あれはなんの花でしょうか。小ぶりの可憐な、清い香りが匂い立つような花です。それを敬虔なお気持ちで摘まれたばかりのような手付きで掲げられる様は、花の生命と御自らの使命を重ね合わせて、同時に誇るかのよう。
お立ちになっている台座の大きな花弁の様もまた誠心の見事な造形で、いまもまだ燃え立つ炎の如くして、きっと恐らく往時の台座や光背、その他の仕立てが揃った伽藍の中の御姿は、尽きること無い生命を無窮の春の如くに誇るありがたいご様子だったことでしょう。
これら拝した三体の像からは、わたしはつとめに恭順することのしたたかな清らかさ、またその困難の道行の遥かさといったものを与えられ、なにか新しい灯火の点るような想いを得たのでした。
その後は県立美術館の、春季の展示をめぐりました。蕭白、春信など堂に入った芸術的感性の真髄といったものもありましたが、私には広重の浅草を材にした易しい浮世絵と、探幽の六曲一双の屏風絵がとてもよかった。探幽のこちらはなにか非凡な省略、継ぎ足しの感性があり、描かれているのは春日若宮御祭の様子なのですが、その風景からなにか読み取ることも浅識のため叶わないながら、そこが却って面白い。ご存知のように、わたしは幼くてより馴染ませたひどい猫背の不格好でありますが、なにか気合の入った作品や、その崇高さに打たれること甚だしいといった作に相対した際には、自然しゃっきりした気持ちになって、曲がっていた背骨が正される思いがいつもいたします。
いわば、見るという主体的な動作がいつしか翻って、作品が直接にわたしに働きかけてくる、それがわたしの内部から作用してくる、そうした受動的な働きに還元されています。
わたしが美術芸術に求めて足繁く通うといった動機もここにあるのであって、今日はじつに久方ぶりにそうした体験を得ることができ、大変よかった。
さて、この日は博物館とも美術館ともほど近い春日の社にもお参りしましたが、あそこもなかなか面白い神域です。
その興の深さに分け入れるほどにはまだ言葉が足りないため、またいつかと思いますが、別の話としては、奈良の山は思ったほどには甘くないこと。
けして険しい斜面でもなく、また道も悪くはないのですが、なにか奥に秘めたところがあって、それが人間を拒んでいる、そのような見通しの立たないところがあるようです。此度は写真で拝んだだけになりましたが、三輪山というのもあれは、あの、非常にわずかずつに高みへ至る鋭角の稜線というのも他に見ない異質な形状をしており、以前山辺の道を歩きながら見上げた際には、その日がどんみりとした薄暗い曇りの日だったのもありましょうが、「あぁ、怒っている山だなあ」と感懐を覚えたものです。
さればこそ古代の昔より神山として敬い畏れられてきたものと合点したものでしたが、際立つことにはそうした三輪山の形状がある一方で、この度の御蓋山へ分け入ったこと、そして背後に擁する山々を遠望したことと合わせて、どうも奈良の山々は軽々と考えていいものではないようだ、となにか追い立てられるような、そして後ろ髪をひかれる思いをしたのでした。
そのようにして奈良を後に、大阪へ入り、こうして宿を得たものの、関西とはいえかくまで街の様相が異なるというのも面白いものですね。大阪という土地のことも、また考え合わせてみたいと思いました。
いつになるかは卑小な思惟する存在からでは思い及びもつきませぬが、また旅の途上からその収穫を、当地の叙景をしたためられること相叶いましたら、幸い至極に存じます。かしこ。
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