共感と同調
おはぎ専門店で買ってきたのです。
美味しそうでしょ?
例えば、大切な人が落ち込んでいた時
話を聞いたりそばに居たりは出来るし
したいと思う
何か意見を求められたら、自分なりの『こう思うかな』は伝えると思う
相手の思うことを理解して共有出来たら、と思う。
けれど、一緒になって沈むことは出来ない。
相手が沈んだ時に、しばらくそこに居たいならばそっとしておくけれど
(時々覗きに行くかも)
そろそろそっちに行きたい!っていう時に
手を伸ばして引っ張れるようにしていたいから。
一緒になって沈んでたらそれが出来なくなるでしょ?
わたしは何でもかんでも相手と共通点が無くては!と、思わない。
けど、共有することが増えていったらいいなとは思う☺︎
違うからこそ楽しめることもあるし
自分の世界がまたひと回り大きくなる気がする。
知らなかったことを知れる喜び、楽しさ。
相手の全てを『わかる、わかるよ!』って理解すること
出来た時にはこの世を去る時では、と思ってる笑
そして、わかるよって
わたしは言えない。
色んな考え方があるとは思うのだけれど
その人が感じる喜びや楽しさや痛み、怒り、悲しさって
その人にしか分からないと思うから。
全く寸分違わず感じれることはないんじゃないかな。
似たようなことがあったから、こんな感じかな?何となく、わかるかも…っていうのならあるけれど。
だからこそ、話をして相手の言葉に耳を傾けて
そして時間を、感覚を共有したいなと思うよ☺︎
どんな風に楽しかったか
どんな幸せを感じたか
どんな風に怒りを感じたか
どんな風に悲しかったか
目を見て、コロコロと変わる表情を見て、声を聞いて
少しでも共有出来たらいいね。
共感と同調の違い。
何でもかんでも相手に合わせることが良いとは限らない。
それが『自分は本当はこう思ってるけど…』って気持ちが在るのに抑え込んで合わせてるなら尚更。
あなたはいつでもあなたらしく☺︎
Mi sento veramente me stesso quando sono con te.
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