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過去は自分の感覚を信じる出来事と経緯

先ほどアップした、自分が納得するかどうかに繋がる記事です。

自分の感覚を信じることって、なかなか難しいです。
理由なく信じれる人も居るとは思いますが

『何となくそんな気がする…いや、偶然かな』

これはよくわたしが思っていたことです。

直感力がずば抜けてると言われていたけれど、自分では自信がなくて…たまたまじゃない?とか偶然の出来事でしょう!とか
そんな風に思っていたことがありました。

何となくこうだろうな〜、は確かに当たることが多いんですけどね。
余談ですがわたしは、両手親指に仏眼という手相があります。これがあるとそういった勘が鋭いんだそうです。
信じるか信じないかは…笑

わたしは、信じられる裏付けを知りたがっていたと思いますいつも。

理由が欲しかったんです
『そう思えることの理由』が。

それは【自分自身の感覚を信じたいから】

だからきっとわたしはこの何年もの間
自分の感覚を信じるための出来事や経緯を体験してきたんだと思います。

自信って漢字の通り自分を信じる事です。

わたしの場合は〝何となくそう感じる〟という自分の感覚を信じる自信が欲しかった。

いろんな場面に出合う度に、外側だけでなくて自分自身の内側を見つめました。

何度も繰り返し、今どんな気持ちなのか自分に問いかけました。
どう思ったのか?
なぜ、そんな風に思うか?
どうなると良いか?

外側ばかりに気を取られると気づかないことが多く、内観することによって多くの気づきを得た
それがわたしの中の自信となったのです。

自分自身を信じることができる理由・証明になっていったのです。

このnoteに打ち込んでいるもの以外に、手書きのノートが何冊もあります。
その時の心情や学んだこと、印象深い言葉をたくさん書き綴ってます。

朝起きるか起きないかの時って、閃くことが多くて
今もノートを近くに置いて寝て、明け方に書き殴る事もあります。
たまに何書いてるかわからない笑

自分に問いかけるとちゃんと答えって返ってくるんだなと、それもわかりました。

わたしは年齢の割に、良い事も嫌なことも沢山のことを経験してきました。
恐らく皆が皆、経験するとは限らないことも。
『苦しい・不安だ』と部屋でひとり口にして書き出していた事も、初めて泣きながら友人に電話した事もあります。

でもそれも、今の自分が大丈夫だと思えることへの一つの経緯だったのかもしれない。
わたしがわたし自身を信じるための出来事のひとつ。

そう思ったらどの経験も決して無駄ではない。

進んでるのか進んでないのかわからない…
なんでかなぁ…
時間がかかるなぁ…
他の人はスムーズに行ってる(ように見えてる)のになぁ…

と比べたことも勿論あります。

でもそれはわたしのペースで
しっかりと咀嚼して栄養分にしていたのと同じで
ちゃんと納得行くまで腑に落としてたんだなと。

不思議な流れ、すごく良いタイミング、シンクロニシティと呼ばれる事象、自分が感じたこと、感覚…
わたしは、自分自身に色んな経験とその時思った事を通して『その感覚は合っているよ』と何度も自分自身に説明して見せてきたのだと思います。
その事を繰り返しながら自分を信じて行く、という事をしていたんだなと。

そしてこれらのことはこれから先わたしが発信を続けていきたいな、伝えていきたいな、ということの大切な軸にもなる。

『なぜ、自分の感覚でしかわからない事を相手に対して言い切ることが出来るのだろう?』

それが不思議でモヤモヤとしていたけれど、ここに繋がるんだと思ったらとても嬉しかった。

自分なりの信じる経緯と体験と感覚がないと、わたしは納得することが難しいし
そうなると、発信することも自分が納得行くように出来ないなと。
相手に伝わるように説明することも出来ない。

〝どこぞの惑星からやって来たんだよ!〟っていうような人たちともたくさん出会いましたw

それも、自分の感覚を信じていくことの経緯なんだと今なら思えます。
色んな人がいて、色んな意見があって
そんな中でも自分というものを見失わずに在る。バランスを失わずに過ごすこと。

この世の多数決が全て正しいとは限らない事。

何度も立ち戻り、その度にノートを見返して
自分自身を見つめて
外側じゃなくて…内側…内側…って思いながら
感覚を澄まして、気づいて、腑に落ちてノートに書いて…そしてまた自分に問いかけて…。

その繰り返しがわたしをこういう気持ちにさせてくれたのです。

自分自身の感覚を信じていく過程を歩んできたのだなと気づくことが出来ました。

『なんか、そんな気がする』

それを自信持って信じられるってすごく嬉しいこと。
過去にわたしが書き綴ってきた言葉は
今の自分が不安になった時に
『大丈夫!』と思わせてくれる言葉なんだなと。

わたしの経験した事が、全ての人のヒントになるとは限りませんが
『へぇ、こんな経緯を辿ってここにたどり着くこともあるんだな』と、思えたら
少しだけ自分の考え方や世界や選択肢が広がるかもしれません。

わたし自身が
『これは、もしかして…こう言うことかな?』と思うことの真実は
対人関係の場合はその人(発信した相手)にしかわからないことかもしれないけれど、

でも、ひとつ言えることはその『もしかして、こうかも!』がわたしの心を嬉しさで満たしてくれたのは事実なのです。
その自分が感じた事は、素直に大切にして行きたいなと思っています。

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