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(制作の中で)「少しづつ」と「過去の栄光」

 時々、必要に駆られて過去の作品を見返します。先日1年前、2年前の作品を見返していたら率直に「最近の方が良いな」と感じました。嬉しい。

 昔の作品が悪いわけではなくて、あの頃はあの頃で良いなとは思うのです。それでも、最近の作品と比べるとまだまだ「足りないなぁ」と思える。現状を大げさに評価しているだけというただ傲慢な可能性も無きにしもあらず。ですが少なくとも「過去に囚われずに作れている」とは言えます。それは喜ばしい事だと思います。

 時々、賞を取ったり、他人から評価を受ける機会があります。いっときの喜びに浸るのなら何でもないこと。ですが油断すると長い間「成功体験」として気持ちが引っ張られてしまう事があります。

他人の評価は永遠でも絶対でもない上に、大抵は「消費期限」付き。いつまでも期限切れにかじりついていてもお腹を壊すだけ。それでも美味しい思い出に浸る事は心地良くて妙な中毒性があります。次第に忘れようとしても意識にのぼってきてしまい、過去の栄光を振り払えない苦しみ。私も過去に何度も成功体験に引きずられた事があります。

「過去の栄光に囚われる」とは「少しづつ積み上がった果てに成る」という現実に対する逃避でもあります。特に大きな出来事がなくても、少しづつを喜べている現状を維持すること。それは何かの拍子に大きく事を"成してしまった"時に、すぐに軸を戻すためにも大切なのかもしれません。

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